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【対談】松居大悟(映画監督) × 二宮健(映画監督) 【CONNECTING FILMMAKER】

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劇団「ゴジゲン」の主宰を務める他、小説やドラマなど、マルチな世界で活躍する映画監督松居大悟、一方、映画一筋で自主映画を軸に、着実に活動の幅を広げてきた二宮健。共に20代から映画監督として活動をしてきた、そんな二人が初めてゆっくり話す今回の対談。二人の会話を通じてみえてきた両者の創作への姿勢は、形は違えど確かな熱を帯びてた対談となった。 
聞き手:前野朋哉
  

「この人のこともっと知りたいな」って思いながら、5年経っちゃった(二宮)

二宮)松居さんと僕、はじめてどこで会ったか知ってます?

松居)2010年のTAMA NEW WAVEでしょ。

二宮)TAMA NEW WAVEの「ある視点部門」ってのがあって、ぼくが高校生のときに撮った『アポロチョコレートガール』って映画が上映されたんです。松居さんの作品もそこで上映されたんですよ。そのとき、ぼくが大学1年です。

ーーTAMA NEW WAVEで、二人は話してないんですか?

二宮)話してないんですよ。その5年後のゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、出会うんですよね。そのときぼくは、大学休学中の「これから映画監督として頑張ろうぜ」って時期で。

松居)自分は『アフロ田中』をやった後、もがいてた頃ですね。

二宮)『アフロ田中』って監督したのは、何歳だったんですか?

松居)撮影してるとき25歳。

二宮)ぼくが通ってた大阪芸術大学って田舎だから、映画館行くのも大イベントなんですよ。大学の先輩たちが、「『アフロ田中』観てきたよ」とか言ってて。東京なんてパスポートないと行けないくらいの距離感で、そこで仕事しているって全く想像できない場所ってイメージだった。「若くて監督してる人がいるんだ」って思ってたら、その人がゆうばり国際ファンタスティック映画祭の自分と同じ部門にいたから。それでその時、喫煙所で松居さんに聞いたんですよ。「今どんな気持ちなんですか」って。そしたら、松居さんが「おれいまめっちゃ緊張してる。こういうコンペに来るのあんまりないからすごい緊張している」って言ってて。

松居)おれコンペだったり、映画祭がコンプレックスだったのよ。それこそニノケン(二宮健)のように、自主映画をやってどんどん花開いて、デビューしていく過程が、おれは憧れだったから。作品として興行として成立する規模のなんやかんや、っていうよりも、映画祭で賞取るとか、そういう何かがないまま来ちゃったことのコンプレックスが、いまだに続いてる。結局ニノケンは、ゆうばり(国際ファンタスティック映画祭)でさ、準グランプリだったでしょ。

二宮)はい、準グランプリでした。

松居)こっちは、観客賞をもらったけど、そのときの発表ではメインのやつには入っていなくて、けっこう落ち込んで。

二宮)いやいや。

松居)こっちは「勝ち」に行ってたから。

二宮)今だったら、もうちょっといろんな眼差しで語れるかもしれないけど、当時は松居さんに「落ち込んだ」とか言われるのが、全然ピンとこなかったですね。

松居)だからそこに不思議なギャップがあんのよね。

二宮)そのとき「この人のこともっと知りたいな」って思いながら、5年経っちゃったって感じなの。そのあと忘年会とかですれ違ったりとか、在宅映画で参加してくれたりしつつも、ちゃんと話す機会がなくて。とはいえ松居さんっていつもアクセル踏んでいない感じでいるから。

松居)(笑)

二宮)どこで「松居さん!」って言っていいかわかんなくて。ちょっと場を設けないとダメだと思って、今回お声がけしました。

松居)監督と関わるのが恥ずかしいのよね。そんなことない?

二宮)それはどういう思いなんですか?

松居)いまはちょっと違うかもしれないけど、監督同士って敵というか、時期がかぶるかぶらない関係なく、割と負けたくない相手なイメージで見てるから。仲良くなりたくないってのが、ちょっとあって。

二宮)結構、相当な負けん気というか。僕の知っている松居さんってクールな佇まいなんですよ。だけど、いまの発言とかそんなクールじゃない。ギャップが僕の中で処理し切れていない(笑)。

松居)だから全くクールじゃないって!嫉妬の塊だし。



中学高校と、漫画家になりたいと思っていたけど、ひとりで作ることの絶望にぶつかり、人と一緒に何か作りたいって思った(松居)

ーー松居さんのデビューの経緯って、どういう感じですか?

松居)もともとは主宰していた「ゴジゲン」って劇団を、大きくしたいと思っていて。でも「劇団大きくしても飯食えない感じはするな」って、ドラマの脚本書いたり、自主映画撮ったりして、いろんな方法を模索していた。そんな中『アフロ田中』のプロデューサーが、「ゴジゲン」の公演を毎回見に来てくれていて。あるとき「松居くん、自主映画みせて」って言われて、それでTAMA NEW WAVEに出品した『放課後の友だち』を見せたら、映画の主人公と同世代の若い人に撮ってほしいってことで、オファーをいただいて。

ーーずっと映画監督になりたいと思っていたんですか?

松居)そもそもでいくと漫画家になりたかったのよね。中学高校と、漫画家になりたいと思っていたけど、ひとりで作ることの絶望にぶつかり、人と一緒に何か作りたいって思った。

二宮)けっこう本気で漫画描いてたんですか?

松居)うん、描いてた。

二宮)慶應義塾大学に入学したってことは、漫画描きながら、すごい勉強はしてたんですか?

松居)えっと、高校が九州でも有数のド進学校で、慶應に進学するのは後ろ指差されるのよ。

二宮)中学にめっちゃ勉強してたってことですか?

松居)中学受験で入ったの。だから小学生のときめちゃくちゃ勉強してた。

二宮)落ちこぼれって言ったって、勉強しないと慶應には入れないでしょ。

松居)でも、してなかった。

二宮)「慶應受かった!」って言えない感じなんですか?

松居)「あ~お前逃げたんだね」みたいな。そこでおれは、学年最下位とかだったから。

ーー松居さんが漫画家の夢を諦めたのは、いつなんですか?

松居)漫画家の夢は高校のときに、大学のオープンキャンパスで東京にいくタイミングがあって、オープンキャンパス行かずに、出版社に持ち込みして、これで絶対勝負決めてやるって。半年ぐらいかけて描いたんだけど、10~15秒ぐらいでバッと見られて、「これ漫画でやる必要ないよね」って言われて悔しくて。そこで違う方法考えようって思ったのよ。「漫画じゃない何かを探そう」と思って。そこで、TV好きだったし、映画好きだったし、演劇も好きだったから、人に何かを届けるとか、そういう憧れがあって。芸術的なものをやってみたかったんだろうなあ。そこから自分が向いてるものを潰していった感じ。

二宮)早めからアクションしてるんですね。

ーー二宮さんも映画撮り始めたの、早いですよね?

二宮)ぼくは、映画をやりたかっただけだから。

ーー割と「映画監督のなる」っていう一択だった?

二宮)小学生の頃に漫画とか、小説も書いていたけれど、それはひとりでは映画って作れないから。だから何か自分ひとりでもできることってなんだろうで書いてた。でもずっと映画監督になりたいって思ってて。

松居)好きな監督がいるからとか?

二宮)じゃなくて、映画が好きになっちゃって。それはもう幼稚園ぐらいの話で。「映画が作りたい」だけだった。そういう意味では映画を否定されたら、違う何かをとぼくはならなかったですね。

松居)確かに、おれは漫画を否定されたときに、違う何かになったから。

ーーいまはどうですか?映画でも、舞台でも、小説でもいい?

松居)そうですね。「結局何がやりたいの」って言われること結構多いんですけど、別に決めてないし、なんかこう、おもしろいもの作るでよくない?って思ってしまう。

二宮)松居さんは、俳優もされてますもんね。

松居)やっぱ現場が好きなんですよね。自分が監督の現場だと責任感が大きいけど、俳優として現場に呼ばれていくと、監督のやり方を見るのが楽しいし、おもしろいから。


怒られてもいいし、どうなってもいいから、10代の若者たちに、ちゃんと向いている映画にしたいって思ってた(松居)


ーー二宮さんは、松居さんの作品に対してどんな印象を持ってますか?

二宮)松居さんが監督をされた『私たちのハァハァ』も、『ワンダフルワールドエンド』とか『アズミ・ハルコは行方不明』とか、かなり自由にされてるなっていう印象があるんですよね。いい意味で。

松居)映画っぽくないってこと?(笑)

二宮)じゃなくて、僕とかそもそも映画であることに関しては、頭でっかちなんですよ。だけど、その先は自由でいたいとは思ってるんですけど。松居さんの映画ってめちゃくちゃフレキシブルだった気がしていて、当時から。あの時期とか何考えていたんですか?2015年ぐらい。

松居)とにかく、尖り散らかそうとは思っていて。

一同)(笑)

松居)自分が良いと思えない映画が、良いとされていた。それがすごいイヤで。だとしたら、おれに近い感覚を持った人は何を見ればいいんだって。感覚を否定された気がして。

ーー映画業界にちょっとうんざりされていたってことですか?

松居)そのときは、怒られてもいいし、どうなってもいいから、10代の若者たちに、ちゃんと向いている映画にしたいって思ってた。意識的にそっち側に向いてた。誰もやってないこと考えようと模索してた。

二宮)同時代的でしたよね。

松居)そうそう。iPhoneで撮ったりとか、最初の方は「そんなの映画じゃない」とか言われたりしつつ、別にどっちでもいいしって。

二宮)松居さんってそういうことを、まだ誰もやっていないときに、果敢にやりつつも、そこを声を大にしてこなかったじゃないですか。それはなぜだったんですか?

松居)えー、なんか恥ずかしくない?やってる感は出したくないのよ。しれっとやってるのがよくって。

二宮)そういう若い感覚というか、10代に向けて作品を作っていて、その時感じたことってありますか?

松居)もしかしたら5年後くらいにに、「あの映画で人生変わりました」って言ってくれる人が出てくるといいなって思ってた。当時はやっぱり映画の上の人たちを批判しながらやっているから、おれの映画を良しとしたら、今までの歴史を否定してしまうような文脈の作品だったから、目を閉じられていて。「無視されてんな」とかは感じつつ、やってた気はする。でも、最近ちょこちょこ「あの映画を見て、自由でいいなと思って映画業界入りました」とかいわれると、ちゃんと何かきっかけになったのかなと。その当時はあんまり思ってなかったけど、ちょっと時間経って言われたりすると、けっこう嬉しいな。

二宮)これはぼくの感覚だから、松居さんと一緒かどうかわからないんですけど、本当にぶっ刺さる人って、その多感な時期ってすごい無力じゃないですか。影響力も持っていないし、お金も持っていない。すごい刺さった人って、エネルギーが、その人の中に閉じられちゃってる。だから、映画にハマっていく人っているし、何かのきっかけになるかもしれない。でも、その確実にここに残ったんだってことは、発見しづらくないですか?

松居)発見しづらい。特に当時はね。

二宮)そのジレンマって感じました?

松居)うん、感じた。

二宮)でもそれって自分のことを思い返しても、14歳のときにたまたま日本映画専門チャンネルで、『リリイ・シュシュのすべて』を見て、「うわ~!」って思ったけど、その瞬間にお金も落としていないし、僕の声は誰にも届いていないわけですよ。っていう自分の記憶を辿れば、「自分もこういう映画作りたい」って思うけど、その映画を誰かに届けたときって、本当にこっちから見えないなっていう。いつか「あの映画で…。」なんて言われたときにハッてなりますよね。

松居)その当時はそれが聞こえないから、「あれ聞こえないな」って思って。もうちょっとやんなきゃやんなきゃで、ずっとやってた。

二宮)今はどうなんですか?

松居)今もまだ聞こえないなって思ってる。

ーーそれでももっと違ったことやってやろうって気持ちは変わらないんですか?

松居)変わらないどころか、強くなってる。もっと新しいと言うか、自由になってきて、積み重ねてきたから、自分の企画にお金が集まりだして。ちゃんと俳優を口説けたり、スタッフを集めたりできるようになってきたから、むしろ大人っぽいことはしなくていいかなって思っちゃう。

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聞き手の前野朋哉

本当に目前に仕事がしばらくないってわかってたら、自主映画作ろうって思って、それをやるにはどの映画いま見ればいいかって考えちゃう。(二宮)

ーー松居さん、暇なときあるんですか? 

二宮)やってる感出さないから、忙しいのか謎なんですよ。

松居)暇なときは「開発をしなきゃいけない」って思っちゃうから、休みたいときは実家帰る。東京いたら精神的に休めない。東京にいたら休みの日は企画考えているから。

二宮)いま映画やって、ドラマやって、舞台やって、役者やって、いろんなところ行き来しているじゃないですか。自分のなかでハンドリングしているんですか? それとも流れに任せているんですか? 

松居)時期によるかな。この期間は舞台。このあたりは、映像だとか。それがあって、隙間ができると不安だから、小説書いてみるとか。

ーー時間があると不安になってしまうんですか?

松居)不安だね。必要とされなくなっちゃうんじゃないかって。

二宮)でもワーカーホリックな人ってそうですよね。

ーー忙しいのがずっと続いていた方がメンタル的にはいい状態ですか?

松居)そうだね、来年の撮影の予定が、今ないのよ。だから焦ったりする。

二宮)ぼくもどっちかというと松居さんと同じ。

松居)休み方わかんないんだよな。

ーー映画を観に行ったりはしますか?

二宮)本当に目前に仕事がしばらくないってわかってたら、自主映画作ろうって思って、それをやるにはどの映画いま見ればいいかって考えちゃう。

松居)わかる。

二宮)だから何もないって1日はないんですよ。何作ろうって考えて、それが自分の中で盛り上がりだしたくらいに、新しい仕事が入って、結局やらない。だけど、松居さんはいろんなところ行き来できるから、けっこう羨ましいなあって。

松居)切り替えができるからね。映画と舞台で作り方全然違うから。そこで感じたことを別のやつに持ってったりもできるし。

ーー1つのことをずっとやってると、つらくなってきますか?

松居)1つのことだけやってると、それで勝たなきゃいけなくなるじゃない。それで映画監督だけやりますってなって、勝てなかったときに、人格否定というか、立ち直れなくて。そのときに「まあおれ劇団あるし」って思える。4、5足の草鞋で。むしろ逃げ道だと思ってる。

ーー逆に演劇からの逃げ道としての映画ってのもありますか? 

松居)ある。なんなら劇団休止したときに、映像やり始めたから。

二宮)ぼくは映画の領域にいるから、松居さんは映画監督だってイメージなんですけど、松居さんは自分がどう見られていると思いますか?

松居)映画監督だと思う。でも劇やってるときは劇団主宰の顔してるけど。人の見方はそんな気にしてはいない。あとむしろ4足くらいあるからこそ、勝負にいけるみたいなのがあって。


あのときの借りを返そうってのはけっこう強い。(松居)


二宮)先ほど松居さんが「勝つ」って言ってたじゃないですか。例えば。さっき言ってた4~5年後に誰かに出会えることなのか、単純に大ヒットすることなのか、国際的評価を得ることなのか、いろんなパターンがあると思うんですけど。松居さんの「勝ち」ってなんですか?

松居)んー、何だろね。負けに敏感なんだよね。

二宮)それは過去に原体験があるんですか?

松居)大学に入ってからかな。演劇やったりとか、自主映画撮り出してから負けた経験が多くて。

二宮)そうは見えてないですよ。『アフロ田中』を25歳でやったわけじゃないですか。反響もあっただろうし、いい感じだった。でも、2015年の頃にの自分はコンプレックスがあったって言ってたじゃないですか。それはなぜだったんですか?

松居)劇団休止して、舞台で大失敗したのよ。『アフロ田中』がヒットした直後に。

ーーどんな失敗ですか?

松居)舞台の打ち上げで泣きながら土下座したのよ。「やりたいことできずにすいませんでした」って。それで俳優さんが信用してくれなくなって、池松壮亮が座長で、その池松くんとかを不安にさせてしまったりして、心が折れたのよ。「演劇ってなんて貧しくて惨めな表現なんだろう」って演劇嫌いになった。

ーーなんでそんなことになったんですか?

松居)自分の実力に普通に挫折しちゃって。演劇とか、芸術そのものがあんま好きじゃなくなって。それでそこから、好きなことやろうって思って。そのときにクリープハイプと出会って、こじんまりMV一緒に作ろうってところから、クリープハイプが売れたので、音楽の方面に繋がっていく感じ。

二宮)でも池松さんとは、そのあともやってますもんね。

松居)あのときの借りを返そうってのはけっこう強い。

ーー話戻っちゃうんですけど、『アフロ田中』で自主映画から商業映画を撮ることになって、そこは戸惑いとかなかったですか?

松居)それは洗礼を受けましたね。すごいベテランのカメラマンさんに。おれがポンコツになっても成立するように、制作会社の方がスタッフィングしてくださっていて。おれも一生懸命、カット割とか考えるんだけど、そもそも自主映画を2~3本しかやっていないから、長編のカット割とかよくわかんないのよね。「それじゃ繋がんないよ」とか言われて、繋がんないの意味もわかんないし。

二宮)当時の松居さんが?

松居)おれはもう「すいません、すいません」言ってて。結局現場のカメラマンが指示するからっていうので。空を見上げて涙が流れないようにしてた。

ーーけっこう辛かったんですか?

松居)マジで辛くて。「こうすればいいですかね〜」って、自分のなかの大事なもの捨てて、カメラマンさんにとっての「繋がる」を想像して。けっこうしんどかった。

二宮)そんななかでも、『アフロ田中』でこれがやった!って思うことはあったんですか?

松居)あるある。台本にはないけど、主人公が女の子とデートした帰り一人で歩くシーンで、「ちくしょう、好きだ」ってセリフを現場で付けたのは、「やったな」って思った。

二宮)なるほどね(笑)。

松居)あとは俳優たちが同世代だったから、おれがコテンパンになってるのを見てんのよ。セッティングする前にその時間があるから。で、「監督が言うならやろう」って言い方をしてくれて、優しかったな。リハのとき、『アフロ田中』だから「みんなパンイチでやろう」とか言って。男子高校のノリで出来た。

ーーいまはもうスタッフの方とうまくいかないことは、ないんですか?

松居)『アフロ田中』のことがあったから、その次の作品から同世代の人でお願いしますって頼んで。そこできた人たちは、同世代で尖りたいって人だったから、息があったりして。言いたいこと言い合えた。でも今思うと、あのときのカメラマンさんが言ってたことは、正しかったなってめちゃくちゃ思う。だからもう一回やりたいなって思うけど。

二宮)言っちゃえば同世代の、同じ志をもった人の方が、絶対気持ちよくやれるじゃないですか。でも上の人たちとか、とくに演出部の人たちって「監督ってそうなっちゃうと好きなことしかしなくなって」とかよく言うじゃないですか。それやってみて、何か感じました?

松居)うーん、結局自分も含め、芝居つけたり撮るときも、入り込んじゃうのね。で、カメラマンもガンガン手持ちで、ワンカットでとかで。それが現場ではとてもエモーショナルで、撮っている画も、いいなってなるけど、いざ編集するときに、「いや、ちょっと揺れすぎだな」と思うことがあって。自分のせいなんだけど。僕がご一緒した方は、どんなに感情的なシーンでも入り込まないから、そうはならない。それに20代のときは気付けなかった。

二宮)でも、入り込んでくれって思いません? 若い頃だったら。もっと作品とSEXしてくれよって!

松居)たぶん思ってたよ(笑)。


なんか松居さんとしか理解しあえないこといっぱいあるなって(二宮)


ーー二宮さんから松居さんに最後聞きたいことありますか?

二宮)松居さんって監督としてのスタートが早かったじゃないですか。監督のとして本番ってこれからくると思います?

松居)もっと勝負するときがくると思いますかってこと?

二宮)まだまだ知らないこといっぱいあるじゃないですか。25歳で監督のオファーきたときは、「よっしゃー!」って思ってるけど、振り返れば「知らないこと多かったな」って思うわけじゃないですか。そんななかで、ぼくなんかは毎回本気なんですけど、いつ自分の本番が始まるんだろうみたいな。

松居)ずっと本番ではある。ここでミスったら次ないだろうなって思いながらやってる。そういう意味で、2021年は『バイプレイヤーズ』の最終章があって、もう一個の『くれなずめ』っていうのはゴジゲンでやってた芝居の映画化があって。それは、ひとりの友達のためだけに作った映画なんだけど。だから、自分の中で一番広いところの作品と、一番狭いところの作品が二つ公開されるのよ。おれがいろんなことをやってきた意味を、来年なんとか結果に残したい。

二宮)ぼく、松居さんのその気持ちをなんか感じたんですよね。だからその二本作品のことを言われて納得というか。

松居)なんで、ニノケンおれを気にかけてくれてるの?

二宮)なんか松居さんとしか理解しあえないこといっぱいあるなって思って。

松居)なるほど。お互い25歳くらいからで活動しているしね。

二宮)だからいろいろ聞きたかったんですよ。これからも聞きたいし。今日だって「これ他の人に言ってもわかってくれないだろうな」って質問を全部ちゃんと返ってくるから。

松居)(笑)

二宮)やっぱそうかって。わかってくれんだって。

松居)(笑)

松居大悟(映画監督)
劇団ゴジゲン主宰、全作品の作・演出を担う。2009年NHKドラマ「ふたつのスピカ」で同局最年少のドラマ脚本家デビュー。12年、『アフロ田中』で長編映画初監督。その後『スイートプールサイド』、『私たちのハァハァ』、『アズミ・ハルコは行方不明』など監督作を発表、枠に捉われない作風は国内外から評価が高い。テレビ東京ドラマ24「バイプレイヤーズ」シリーズではメイン監督をつとめ、J-WAVE「JUMP OVER」ではナビゲーターとして活躍、2020年には自身初の小説「またね家族」を上梓。
二宮健(映画監督)
1991 年生まれ、大阪出身。
2015 年に大阪芸術大学の卒業制作作品として発表された 『SLUM-POLIS』が国内外の映画祭で話題を呼び、全国で劇場公開される。2017 年、『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY』で、商業映画デビューを果たす。2019 年、岡崎京子原 作『チワワちゃん』(19)が公開。最新作に『とんかつDJアゲ太郎』(20)。その他の監督作 に『MATSUMOTO TRIBE』(17)『疑惑とダンス』(19)など。映画上映イベント「SHINPA」 主宰。

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