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糸奇はな。1stアルバム『PRAY』(2018年8月)、プレスリリース

今日は糸奇はなさんが2018年8月7日にリリースした1stフルアルバム『PRAY』のプレスリリースを公開します。

上は昨日アップした記事。2017年に糸奇はなさんがCDデビューした際に僕が書いたプレスリリースと、それをアップした動機について書きました。

そのなかで、はなさんはこう話しています。

「例えば現実が辛くてそこから目をそらしたくなったときに、私の作った曲の世界に入り込んで救われたような気持ちになってくれたら嬉しいですね」

コロナ禍で世界の多くの人々にとっての「現実」が辛い状況にあるいま、それ以前だったら普通に気持ちよく聴けたのに、もう聴けなくなってしまった音楽、聴く気のしない音楽、自分の気持ちや世の中のムードに合わなくなってしまった音楽、嘘っぽく感じられるようになってしまった音楽があります。例えば高揚感のあるダンスミュージック。例えば繋がることの嬉しさ・楽しさを歌った曲。例えばことさらに「共感」や「共有」を求めてくるような音楽。

9・11や3・11のあとにもしばらく聴く気がしなくなった音楽があったものですが、でもあれらのときは「力を合わせて」とか「繋がろう」といった呼びかけの歌詞や、「共感」に訴えかけてくる音楽もまだ有効でした。が、今回はそのときとは違う。あのとき救いや支えになった音楽も、いまのコロナ禍の世界にはピントがずれてしまう。

先頃、久しぶりに僕は『PRAY』を聴き返しました。続けて今年フルアルバム化された『VOID』も聴きました。

それは、いま聴いても、というか、いま聴いてこそ強く響くものがある作品でした。

いま聴いて辛くなる音楽ではなく、まさに彼女も言っていたように「救われた気持ち」になる音楽。

なぜなら「ひとりであること」を嘆いていなくて、むしろ「ひとりであること」を立脚点として物事を見たり考えたりしている歌だから。「繋がる」大事さもわかったうえで、だけど表面上の安易な繋がりや共感性に頼ったりしない孤高の強さがあるから。どちらの作品にも根底にそれがあり、それは糸奇はなさんの表現に対する信念とも言えるものだと思うんです。

いろんなことが変わってしまったいまの世界に必要なことのひとつは、例えばきっとそういうことで、だから糸奇はなさんの音楽がなんだかとてもしっくりくる。

流行り歌っぽくなくて、引っ掛かりがあって、浮遊感があるようでいながら地に足のついた感覚があって。世の中の変化に惑わされたりしない揺るぎなさといったものがそこにあるんですね(それは『VOID』でさらに確固たるものになるわけですが)。

『PRAY』。「祈る」という言葉に思いを託して付けられたこの1stアルバムには、さまざまなタイプの12曲が収録されていますが、とりわけ僕は最後に収められた「あこがれ」という曲をずっと好きでい続けています。

「あの日 きみが 星に かけた 祈りが 届くように」

「いつか きみの 澄んだ声が ぼくの名を 呼ぶように」

では、2018年、『PRAY』が完成した際にじっくり話を聞いて書いたプレスリリースを。「聴いて」「読んで」ください。

 糸奇はなの1stフルアルバム『PRAY』が完成した。

 糸奇はな(いときはな)は、歌唱、作詞、作曲、編曲、打ち込み、楽器演奏(ピアノ、フルート、メロディカなど)までをひとりでこなし、イラストや漫画を描いて、版画や刺繍もするマルチな表現者。既発のシングル『体内時計』や『ROLE PLAY』の“手づくり盤”は糸奇が1枚1枚手刷りした版画がジャケットになっていたし、これまでのMVの多くは彼女の作画で制作されたものだった。本作『PLAY』のリード曲である「きみでないのなら」のMVも彼女が描いた膨大な数の絵を動かしたもの。また今年3月10日に渋谷サラヴァ東京で行なわれた初のリアル・ワンマンライブ(ツイキャスライブではなく、観客たちの前で行われた初ライブ)では、VJによる映像と音との同期、バレエダンサーによる創作ダンスなども含めた立体的なステージを自身でプロデュース。ただ“歌う”だけではなく、持てる表現手段の総力で世界観を表わす、糸奇はなとはそういうアーティストだ。

 滋賀県出身。父親の仕事の関係でスイスに住んでいた小学生のときにロンドンでミュージカル『オペラ座の怪人』を観て衝撃を受け、その憧れもあって中学から声楽を学び始め、創作も開始。京都市立芸術大学の声楽家に進み、卒業を期に2015年から本格的に音楽活動をスタートさせた。既存のゲーム音楽に独自のアレンジをつけることなどで早くからその個性と才能が注目され、2016年8月には初のCD『体内時計』(手づくり盤)を発表。それは11月にタワーレコード限定の全国流通レプリカ盤としてもリリースされ、同じく2016年12月発表の2枚目のCD『ROLL PLAY』も2017年2月に全国流通盤がリリースされた(6月には「ROLL PLAY」の世界をシュミレーションゲーム的なものに落とし込んだアプリ版もリリース)。そして2017年11月、ZABADAKの故・吉良知彦の未発表曲に小峰公子が歌詞を付けた「環 -cycle-」を歌ってビクター・フライングドッグよりメジャー・デビュー。この曲はTVアニメ『魔法使いの嫁』のエンディングテーマになったもので、それによって一気に注目度が高まった。

 ここに完成した初アルバム『PRAY』には、2016年の1stシングル曲「体内時計」や2ndシングル曲「ROLL PLAY」も、2017年11月のメジャー・デビューシングル曲「環-cycle-」も収録。またSound CloudとMVで発表されていた「Wither」(録音は2017年5月)や、2017年10月にM3盤として発表された「四角い世界」「忘却舞踏」も収録されている(「四角い世界」は大学在学中に作曲法の試験で提出した曲とのこと)。7月10日に先行配信されたリード曲「きみでないのなら」も、曲を作ったのは5年前に遡るそうだ。

 一方、ゲーム『Undertale』の作者にして天才プログラマーであるトビー・フォックスが糸奇の世界観と声に惚れ込んで初めて楽曲提供した「74」は、今年3月の初リアル・ライブ『The Other Side Of The MAGIC MIRROR』で初めて披露された曲。つまりここには本格的にオリジナル楽曲を作りだした頃から最近までの楽曲が収められているわけで、初アルバムでありながらもこの数年間の彼女の集大成的な作品であると言える。

 音楽配信サービスの普及に伴い、近年はさほど長い時間をかけずに制作してすぐに発表される作品も多いわけだが、これは10代後半から現在に至るまでの糸奇の創作の歩みをじっくり時間をかけてひとつにした、いまどきちょっと珍しい作品とも言えるのだ。因みに今あるオリジナル楽曲はデモを含めると90曲以上だそうで、Sound Cloudにアップされた曲も多数ある。そうしたなかから厳選された12曲でもあるわけで、そういう意味では彼女にとっての現時点のベストアルバムと捉えることもできるだろう。

 「長い間あたためてきた曲が多いので、やっと自分の根っこを出せた気がします。曲を作ったらすぐに聴いてほしくなりますけど、でも作っては出すということを繰り返すよりも、テーマのもとに曲を揃えて、順番の意味や曲と曲の繋がりを感じながら聴いてもらうほうが深く刺さると思うので」と彼女。小学6年の頃からキング・クリムゾンやピンク・フロイドを「レコードで」愛聴し、曲と曲との繋がり含めて楽しんできたこともあり、こうして自分の作品がアルバムという形にまとまったことに大きな喜びを感じているようだ。

 初めは「もっと透明で、幻想的で、非現実的で、魔法っぽくて、地に足のついてない感じ」を自分らしさと考え、そうした表現で統一されるアルバムをイメージしていたそうだ。例えばファンタジーを語るならそっちに徹底し、中途半端に夢と現実を混ぜるべきではないと考えていたと言う。だが、次第にそれとは異なる視点の曲や別の主張を持った曲ができ始め、統一感に縛られる必要はないのではないかと思うようにもなって、当初の全体像から少しずつ離れていった。それには、いろんなひと(「きみでないのなら」をアレンジしたkidlit、「74」でコラボレーションしたトビー・フォックス、「環-cycle-」の作詞をしたZABADAKの小峰公子やアニメ『魔法使いの嫁』のスタッフら)と関わりながら曲が形になっていったことが大きく関係しているようだ。

 また、2016年から月一のツイキャスライブを始め、それを見てくれるひとたちの存在を感じられるようになったことも大きかったと言う。聴く人の存在を実感し、他者と関わりながら創作していくなかで、抽象性は薄れ、幅が広がり、生々しさやダイナミズムが加味されていったというわけだ。

 「昔から自分のなかにあるものを直接的に自分として出さずにフィルターごしに出すことをやってきたし、常に自分と対話をしながらそこを考えて曲を書いてきました。今も根底の部分で、それは変わってないと思います。ただ、ひとと関わるなかでの突発的な出来事によってポンとできたりする特異点的な曲も確かにあって、そういう現実味のある曲もあればあるほど幅ができて面白い。やっぱり幅はあったほうがいいと思うんですよ。よく思うのは、私は0から100までではなく、マイナス100から100までを表現したいということで。普通の状態から前向きな100までよりも、マイナス100のどん底の感覚まで落ちたところをわかった上でプラス100の距離まで行けたほうが表現の幅として面白いと思うんです」

 長きに亘る制作のなかで、歌唱面での変化や発見も少なくなかったと言う。中学から声楽を始め、大学でがっつり声楽を学んでいた糸奇にとって、かつて歌は「正しい音程を正確に、クセを出したりしないで」歌うものだった。「気持ちがこもって自分のしたい表現をすると発声がくずれるので、そういう身勝手な表現はしちゃいけない」と思いながら歌に取り組んでいた。しかしクラシックとポップミュージックは別もの。「音程がくずれたり声が掠れたりしていてもグッとくる表現があるし、そういうのが大事だな、正しい音程を狙うだけのマシーンにはなりたくないなって思って」、正しさや完璧さに捉われない表現を意識するようになった。それもやはり、2016年からツイキャスライブを始めたことが大きかったようだ。「“いまの部分、ちょっと弱々しかったかな”って自分が思っても、観てくれたひとのコメントをあとで読んだら“そこがよかった”とあったりして、“ああ、そうなのかあ”って。そうやって気づけたことは大きかったですね」

 ロールプレイングゲームをこよなく愛し、究極の総合芸術として捉え、自身がその住人のような意識も持っていた糸奇だったが、現実世界でのさまざまな他者との関わりによってそれも変化。このアルバムには夢想世界を歩いている糸奇もいるが、そこから抜け出してリアルの場所で踊ろうとする彼女の姿も見て取れる。ふとした瞬間にこぼれだすエモーションやひたむきさ。そこにハッとしたり、グッときたりする。

 アルバム・タイトルは『PRAY』。代表曲のひとつでもある「ROLL PLAY」(こちらはRじゃなくLだが)に重ねているところもあるが、それよりも“祈る”という言葉に思いを託すべく、PRAYとつけたと言う。アルバムのクローザーとなる「あこがれ」に“きみが 星にかけた 祈りが 届くように”というフレーズがあるが、まさにこの曲自体が祈りのようで、アルバムのほかの曲全てはここに収束されていくようだ(そしてまた、この曲の祈りがオープナーの「きみでないのなら」にも繋がって、世界はもう一度回っていく)。

1.「きみでないのなら」
 先行配信シングル。息を大きく吸うところから始まるこの曲には、糸奇にとっての愛や生き方に対する考えが明確に表れている。「ここに出てくる“きみ”はたぶんもういなくて、でも“僕”はその“きみ”にずっとしばられていて、新しい出会いの可能性があってもそれをシャットアウトして、もういない“きみ”との孤独を選ぶ。それが“僕”にとっての幸せだから……。そういうふうに誰かひとりを思う強い気持ちと、それを信じる気持ちを書きたかったんです」。ストリングスやピアノのなだらかな音にオルゴールや柱時計の針の音が合わさり、8分の6拍子で進むこの曲も、祈りに似たもの。シングル『環-cycle-』のカップリング曲「EYE」に続いて、ピアニスト/ヴォーカリスト/作編曲家のkidlitがアレンジを手掛けた。

2.「ROLE PLAY」
 2016年12月に発表された2ndシングルで、これまでの代表曲とも言えるメロディアスな楽曲。ゲームに使われる電子音に始まり、RPGの世界に入り込んだ“ぼく”の感情を描いているようでありながら、それを見ている“こちら側”の自分自身がそこにいることを聴き手に理解させるメタ的構造がユニークだ。「ひとの人生にスタッフロールがあったとして、誰のスタッフロールにも自分の名前がなかったら、自分は生きてたことになるのかなぁって考えて。自分が生きていたと証明してくれるひと、記憶してくれるひとを持つには、どうすればいいんだろうと思いながら書きました」

3.「74」
ゲームの世界のカリスマ的なプログラマー、トビー・フォックスが初めてひとに提供した楽曲(英語詞と作曲を担当。曲中に出てくる男性の声もトビー本人だ)。もともと糸奇がトビーのゲームのファンであり、「感動しました」というファンメールと共にトビー作のゲーム『Undertale』の曲アレンジを2パターン作って送ったところ、トビーがそれを気に入って返信。彼は糸奇の歌声も気に入り、「いつか僕の曲を歌ってくれたら面白いな。まあ僕が誰かに曲を書いたことはないんだけどね」と冗談めかして書いてあったそうだが、その1年後くらいに「きみに書いたよ」と、この曲が送られてきたそうだ。そしてトビーの英語詞による物語を解釈した上で一部、糸奇が日本語にした。「“この塔に囚われているお姫様を糸奇っぽいと思いますか?”と尋ねたら、“そう思う”って。“きみはどう思う?”と訊き返されたので、“私はこの姫にすごく共感する”って答えました」。ドラムンベース的なビートが時間の差し迫っていることを表わしているようでスリリングだ。

4.「Pillowman」
英語詞によるこの曲を珍しく糸奇は地声で歌っていて、それ故、ほかの曲に比べるとやけに生々しい。「“Where you go?”って問いかけているってことは、独り言じゃなくて、投げかける相手がいるってことで。だから相手に喋りかけてる感じを意識しながら歌いました」。因みに“Pillowman”というモチーフは、彼女が上京した3年前、ディレクター氏と打ち合わせをしていたらカバンのなかに枕が入っていたことに驚いて閃いたそう。「“どうして枕を持ち歩いてるんですか?”って訊いたら、“タクシーで寝るときにあったほうが姿勢が楽だから”って言っていて。そんなにも睡眠時間を削って忙しく働いているひとがいることにショックを受けて、世の中の忙しいひとたちが幸せに眠れるようにと思いながら作ったんです(笑)」

5.「A love suicide」
 ジャンル的にはホラーゲームに分類されるが、「話が美しく、なんでこれを映画化しないのだろう…」と思うくらい糸奇が気に入っていたゲーム『Rule of Rose』のメインテーマ曲を自身のアレンジでカヴァー。「原曲はジャジーな雰囲気で大人の女性が歌っているものでしたが、物語に出てきた女の子たちが歌っているような感じにしたいと思って」作ったとのこと。初めてネット上で公開されるや、大きな反響を呼んだ。メロトロン(1960年代に開発されたアナログ再生式のサンプル音声再生楽器)をフィーチャーして録音したのは、「古ぼけた感じと切なさを表わしたかった」から。「歌は何度も録り直したんですけど、誰かに訴えかけるのではなく、誰もいないところにひとりぼっちで立って“私はこうですよ”と言っている感じをイメージして歌ったときのテイクがこれなんです」

6.「環 -cycle-」
 ZABADAKの吉良知彦(2016年7月死去)が残した未発表曲で、ZABADAKの活動を継続させる小峰公子が作詞を、上野洋子(ZABADAKの旧メンバー)が編曲を担当。TVアニメ『魔法使いの嫁』のエンディングテーマに楽曲が使用されることになり、その歌い手として糸奇が大抜擢された。「吉良さんの未発表曲を私に託してくださった小峰さんの思いにすごく感謝していますし、託してくださったからには望まれる歌をしっかり歌いたいと思って臨みました。でも歌入れのときに小峰さんが“あなたの自由に歌って”と言ってくださって、その優しさと、歌詞のおおらかさを感じながら歌ったのがこれなんです。人間よりも大地とか花とか、いろんな動物の死骸が栄養になって育っている大きな木とか、そういうものをイメージしながら幸せな気持ちで歌いました」。

7.「不眠症ロンリーガール」
 アルバムのなかでもっともポップな1曲。「モールス信号を使った曲を作りたくて、だとしたら賑やかな感じがいいな、とか。点滅する信号を照明にして踊るのってステキだな、とか。そういうイメージがぼんやりあって、そこから形にしていったんです。赤でも青でもない自分の心の不安定さや、赤く光るシグナルに逆らって踊る反抗心といったものを表現したかった。自分は寝つきが悪くて睡眠に苦しんでる人間なんですけど、鬱々とするのではなく、それを爆発力に変えてポップに前向きな感じで歌おうと」。アレンジは糸奇とscndworksが担当。

8.「忘却舞踏」
2017年10月に「四角い世界」との両A面でM3盤としてリリース。オフィシャルサイトにはデモがアップされている。詞世界もメロディ展開も拍子もサウンドもこれぞ糸奇はなといった楽曲。「どう足掻いたって自分は自分だし、そこから逃れられない。でも私は、“自分はこういう人間です”という思い込みを取り除いたところに本当の自分があると思っていて……」。自分が認識する自分、他人が認識する自分、自分らしい自分、かつての自分、こうなりたい自分。そういうところから自由になることで初めて自分は自分に出会えるのだ。

9.「四角い世界」
2017年10月にM3盤としてリリース。この曲のデモもオフィシャルサイトにアップされている。8分の6拍子の曲が多いが、これもそう。「ベネツィアのゴンドラに乗って揺られているイメージ」だそうだ。先述した通りこれは大学在学中に作曲法の試験で提出した曲。“四角い世界”とは「箱庭とか、柵で囲んだ空想の世界。また、この曲を作った学生時代、パソコンの液晶の四角い世界にしか自分は存在してないという気持ちもあったんです」。特に言葉に重きを置いて歌った曲とのこと。

10.「Wither」
 ドラムンベースのビートに疾走感が表れ、歌はエモーショナル。「明日にも 歌えなくなるような あの子を、想った。」とあるが、それは正しい歌い方と自己表現としての歌い方の狭間で揺れて悩み、大学を休学した1年間の自分を重ねたもの。「正直に言うと、あの頃は“歌うの大好き!”って感じで楽しそうに歌っているひとよりも、悩みを抱えながら明日にも死にそうに鳴いている鳥の声を聴いているほうが気分がよかったし、信じることができた。そんなふうに辛かったときの自分は、今はもういなくなったわけではなく、やっぱりそのままどこかにいて幽霊のように自分の足首をつかんでいる感じがずっとしています」

11.「体内時計」
 2016年に発表した1stシングルの表題曲。「この曲から始まったという実感は確かにありますね。ライブで歌っても安心感があるし、シングルのジャケットのお城が自分のおうちのようにも感じられる」。オルゴールの音が懐かしさを醸し出すイントロから、オーケストラ的な壮大な音へと一瞬で移行。旋律は哀しくも美しく流れていくが、何度かノイズ音が挿みこまれ、それも手伝って“いま”と“いつか”、“現実”と“非現実”の間に生じた時差、または自分と他者との感情的な温度差が表現されていく。

12.「あこがれ」
 とても優しく、安らげる曲だ。UKのアンビエント的な浮遊感をたたえながら曲は始まり、やがて世にも美しいメロディへと展開。糸奇の好きなキング・クリムゾン「風に語りて(I Talk To the Wind)」の空気感も途中に入ってきて、深い夜の黒が青く変わっていく時間、または夕暮れと夜との間の時間に聴きたくなる。先にも書いたが、アルバム・タイトルの通り、まさに「祈り」のような曲だ。「“Wither”を始め私は負の感情を消化させたいといった気持ちで衝動的に曲を作ることが多いんですけど、なぜだかこの曲のときは願いや祈りの気持ちがスッと出てきた。滅多にないことで、そういう意味でもこの曲は自分にとって特別です。好きな詩人が私に色や景色を見せてくれるように、私もこの曲で誰かにそれを見せることができる気がする。そういうことが初めてできたと思える曲ですね」

(文●内本順一)


↓こちらは「Mikiki」に書いた短めの作品紹介。









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