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『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』

2021年7月26日(月)

吉祥寺アップリンクで、『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』。

(*この作品は、8/13よりロードショー。現在アップリンク吉祥寺で1週間先行上映中。このタイミングで観ておきたいと思い、観に行った)

「東京2020オリンピック」がどれだけ酷い人災であるか、始まる前も始まってしまってからも考えずにはいられない日々がしばらく続いているわけだが、この作品を観て重い気持ちになりながら、改めてまた考え続けることになるのだった。「一体何のために・誰のために開催されているのか」と。「これほどの犠牲を払ってまでやる必要がどこにあったのか」と。

国立競技場の南側にあった「都営霞ヶ丘アパート」は、もともと戦後すぐに建てられた木造の公営住宅だったが、1964年の東京オリンピックの際、国立競技場の建設と同時に建て替えられたそうだ。が、そこから年月が経ち、今回の東京オリンピック開催にあたって、2017年にあっさり取り壊された。木造だった頃から住んでいた住人の話によれば、理由は「見ためが汚くてみっともないから」。外国から来る人の目に入ったときの印象がよくないという、たかだかそんな理由で、1964年には建て替えられ、今回は取り壊された。話をしている(撮影時)89歳のその住人は、つまり人生で2度、オリンピックのために愛着のあった部屋から出ていかなくてはならなくなったのだ。

平均年齢が65歳以上の高齢者団地で、ひとりで暮らすひとはもちろん、身体障害を持つひともいる。が、2012年に東京都からの一方的な通達で、そのひとたちは立ち退きを余儀なくされる。引っ越し資金17万を支給する以外、都は何もしない。行くあてを考えたり手配したり相談にのったり引っ越しを手伝ったり、そうしたことを何もせず、だから住人たちは途方に暮れるしかない。

80を過ぎた高齢者にとって、引っ越しが肉体的にも精神的にもどれほどたいへんなことか。自分の母も89歳なのでよくわかる。断捨離なんて自分で簡単にできるわけもなく、しかしどうしようもないから愛着のある家具やモノを廃品回収の業者に運び出してもらう。身体障害を持つひとは、ひとりで片手で段ボールに荷詰めする。そこを終の住処と考えて暮らしていたひともいただろうに…。切ないなんてもんじゃない。

映画は経緯を詳しく説明するではなく、また住人たちの「怒り」をことさら伝えようとするわけでもない。ひとりひとりに日々の暮らし、日常があり、まずはそれを静かに映し、その上で、その普通の暮らしが突如奪い取られるとはどういうことなのかを映す。戸惑い、途方に暮れ、けれども従わざるを得ないから出ていくためにモノを整理する、その姿を静かに、住人たちに寄り添うように映し出す。大友良英による音楽もまた、ドラマチックな感情表現に行き過ぎず、しかしだからこそ尚更、住人たちがどんな思いでいるかを想像させられ、胸が締め付けられる。

高齢者たちの住処と日常、コミュニティと命をこんなふうに奪っておいて、何が「感動」だ、何が「絆」だ。そう思わずにはいられない。ましてや立ち退かせた末のあの競技場とあのエリアのいまを見れば尚のこと。

こうした側面があることを知った上で、日本人金メダルやったー!などと無邪気に喜ぶのはやはりなかなか難しく、自分のなかの感情の持って行き方がグラつきまくるこの頃だ。


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