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『ノマドランド』

2021年3月27日(土)

TOHOシネマズ六本木で、『ノマドランド』。

1週間前にTOHOシネマズ六本木で観た『ミナリ』に続き、昨日は同じ劇場で『ノマドランド』を観た。

どちらも今年度のアカデミー賞・作品賞(ほか)にノミネートされている映画(最有力が『ノマドランド』で、対抗馬が『ミナリ』と言われているよう)。共通点はほかにもあって、どちらもアジア系の監督(『ミナリ』は韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン監督。『ノマドランド』は中国生まれのイギリス育ちで現在はアメリカで活動するクロエ・ジャオ監督)から見た、いわば「もうひとつのアメリカ」「表(オモテ)面からは見えにくいアメリカ」が描かれている作品だ。そして、どちらも大自然~風景(夕空や海や岩や土)が美しく(または寂寥感を伴って)映され、そこに弦の音色を主体にした静かな音楽が重なるのが印象的。どちらの作品も派手な盛り上がりなどなく、とりわけ『ノマドランド』は実に淡々と進むが、描き方が丁寧で、じわじわとあとから心に染み入ってくる感覚がある。トーンは静謐だが、観終わってから自身の生き方などをいろいろ考えさせられる(価値観についての問い直しをさせられる)、といったところも共通している。

『ノマドランド』は、「ホームレスではなく、ハウスレス」という自負を持って自分の生き方を貫こうとするノマドの、言うなれば実際の旅と心の旅。家に落ち着くチャンスは何度かあっても、結局はそれを拒んでまたひとりで場所を動いていく60代女性ファーンの、それを自由と捉えるか孤独と捉えるかは観るひと次第、とも言えるし、そもそも自由と孤独は常に表裏一体であることを痛みも込みでわからせられる感覚がある。

エンドロールでクレジットを見ててわかることだが、ふたりをのぞき、あとはみな役名と役者の名前が同一。フランシス・マクドーマンド演じるファーンともうひとりの俳優以外は、みな実際の車上生活者が演じているのだ。マクドーマンドもまた、演じるというよりは(もちろん演じているのだけど)その生活を続けているそのひとそのもので、つまり圧倒的にリアル。ファーンの人生とマクドーマンドの人生は同一なのじゃないかと思わせられる深みがある。(主演女優賞はマクドーマンドで決まりでしょう、と思わずにいられない)

若い頃に観たらたぶんそこまでピンとこなかった気がするが、50代後半のいまの自分が観ると、「自分はこうでよかったのか、このままでいいのか、まだチャンスはあるんじゃないか」とか、生と死についてとか、いろいろ思いを巡らさないではいられなくなる。それも含めて、観てよかった、しみじみいい映画だったと僕は思ったが、あとでSNSなど見ると、否の感想もちらほら。要するにこれは、「面白いか面白くないか」というより、「共感できるか、できないか」「こんな生き方をしてみたいという気持ちがどこかにあるか、無理ですまっぴらごめんですと思うか」で評価が分かれる映画であるだろう。

ファーンが出会ったひとたちの、ちょっとしたさりげない言葉(それは気の利いた、いかにもな「いいセリフ」ではない)が、観終わったあとで静かに効いてくる。

それまで流せなかった涙をようやく流せたあとに改めて決心できることって確かにあるよな、と思った。




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