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『フェイブルマンズ』(感想)

2023年3月5日(日)

新宿ピカデリーで『フェイブルマンズ』。

エブエブこと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た翌日は、スピルバーグの自伝的作品『フェイブルマンズ』。これもまた家族の愛と難しさを描いたもの。

監督だけでなく脚本もスピルバーグ。これを撮らねば自身の映画人生を終えることなど絶対にできなかったのだろうと、そう思える「本気の出し度合い」。宣伝の仕方がうまくいってないようでいまいちの入り状況だったが、期待値を遥かに上回るとんでもない傑作だった。映画の面白さ・良さが全て詰まっていて、水野晴郎じゃないが「映画って本当にいいものですね」とか言いたくなったほど。

映画は「本当」も撮れるし「嘘」も撮れる。何を正義として誰を悪者とするか、いかようにも撮れる。まだ子供の時代にそのことに気付いてしまったのがスピルバーグであり、氏の抑制や両義性、エンタメの心得やプロフェッショナリズムは子供の頃のこうした体験からきているのだということが本当によくわかった。

悪者は出てこない(いじめっこはいるけど)。誰も悪くない。それでも生きていれば摩擦は起きるし、うまくいかなくなることはどうしたってある。それで落ちる。不信にもなる。残酷なのだ、人生は。けれどもそういうときに思わぬ人が思わぬヒント、思わぬいい言葉をくれたりして、それで風向きが変わったりもする。だから人生は面白いし、素敵なんだと、この映画は伝えてくる。

これ以上ない完璧なキャスティング。みんな、いい。が、とりわけ母親ミッツィ役のミシェル・ウィリアムズが素晴らしい。あのときのあの表情、このときのこの表情。すごい。泣いちゃう。

音楽の使い方も素晴らしく、とりわけ母ミッツィが家のピアノで弾く「バッハ:協奏曲ニ短調BWV927 第2楽章アダージョ」にたまらない気持ちになった。

キラーワード、盛りだくさん。ビデオで見直していっこいっこ書き留めたくなるほどに。それでも言葉にしずきの感はなく、ちゃんと抑制を利かせている。つまり(してこなかっただけで)脚本書きもちゃんと上手い人なのだな、スピルバーグは。

前日に観たエブエブが2020年代的な新しいやり方で家族を描いた作品だとしたら、こっちはある意味正統的で普遍性も持たせつつ、でも今のイシューの複雑さもそれとなく入れた作品と言えるかな。

過去作のオマージュの入れ具合も面白いので、そういう意味ではスピルバーグ作品に親しんできた年代の人のほうがより楽しめるだろうけど、スピルバーグに親しんできてない人にも観てほしいと思える作品でした。


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