『アフター・ヤン』感想。
2022年10月29日(土)
kino cinéma 立川高島屋S.C.館で、『アフター・ヤン』。
アンドロイドが一般家庭にまで普及した近未来を舞台とする物語。監督は小津安二郎を敬愛するという韓国のコゴナダで、なるほど余白を活かし、ゆっくりしたテンポ感で、静かに静かに進んでいく。「A24」作品ということもあり、映像の色合い、空間の切り取り方、音楽の使われ方と、どれもが美しく、圧倒的にセンスがよくて、これは劇場で観てこそだ(たぶん家で観てたら眠くなっていただろう)。
人間とアンドロイドとの、理解しているようでしきれないといった関係性、すれ違い。昔から何度か映画や小説になってきたテーマだが、僕がそこで思い出すのはやはり多大な影響を受けた石森章太郎のいくつかの作品だったりする(例えばキカイダーとかロボット刑事とか)。根本的な問題はあの時代のSF作品で描かれていたこととなんら変わっていないけど、コゴナダ監督はそうしたテーマをとても詩的に、じんわり、静かに伝え、問うてくる。
わかった気になっていても、実は何もわかっていない。言葉が通じても通じなくても、やっぱり伝えるって難しい。難しいけど、理解しようとすることを怠ったらその先には進まない。そんなことを思わされる映画やドラマが、世の中のあれこれの分断化が激しくなったからなのか最近また多くなってる気がするが、なるほどこういう目線での描き方もあるのだなぁと。
音楽が本当によくて、さっきSpotifyでサントラ聴いてたら登場人物たちの表情や風景が甦ってきた。Aska Matsumiyaの音楽もだが、とりわけ坂本龍一によるテーマ曲「Memory Bank」の美しさたるや。