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5ヶ月ぶりにライブへ。~orange pekoe@ビルボードライブ東京

当noteのマガジンのひとつに「ライブ日記」がある。以前最も頻繁に更新できていたのはこの「ライブ日記」だった。それだけ「ライブを観ること」は自分にとって日常だったということだ。が、このマガジンの更新が3月上旬を境にパタッと止まってしまった。理由は説明するまでもない。コロナ禍によってライブというものが当たり前に行われるものではなくなったからだ。

2月はまだ「普通に」ライブを観に行っていた。「普通に」ライブを観ることができた。確かマスクもしていなかったし、入口での検温も消毒液設置もまだなかった。

だが、2月の最終週になって様子が急変した。2月26日に政府が文化団体にイベントや公演の中止を要請し、さまざまなライブやイベントの中止または延期が発表されたのだ。Perfumeの東京ドーム公演とEXILEの京セラドーム大阪公演が異例の当日中止となったのがその2月26日。続いて福山雅治、星野源ら人気アーティストの大会場公演の中止が次々に発表され、そしてライブハウスはというと営業自体が難しい状態になっていった。

自分が最後に観に行ったライブは、3月7日と8日、新宿ピットインでの「梅津和時・プチ大仕事2020」だった。会場は万全の対策を施し、換気に気を配って、入口には除菌スプレーを設置。マスク着用のアナウンスも繰り返された。

いろんなライブが続々と中止または延期となるなか、しかし3月上旬はこうしてしっかり対策を施しながら決行されるものもまだあったのだ。が、次第にそれも難しい状況になり、日本から「ライブがなくなった」。そうして「ライブのない」日常を僕(たち)はおくるようになったのだった。

観客入れてのライブがやれなくなったミュージシャンたち(の一部)は、やがて無観客での配信ライブを行なうようになった(もちろん、今もそれをしていないミュージシャンも多くいて、「それをしない」ことにもそのひとの理由と意志が当然反映されているわけなので、僕はそういうひとたちも応援したい)。まだ完全に定着したとまでは言えないが、配信ライブというものの可能性は見る見る広がり、さまざまな形、さまざまなやり方で配信ライブが行われるようになった。新たな表現形態であると同時に新たなビジネスにもなることが証明され始めたので、ここから配信ライブは急速に発展し、普及・定着を見せていくのだろう。

しかし、配信ライブはライブの「代わり」にはならない。ミュージシャンが演奏し、それを「観る・見る」という基本行為こそ同じであっても、受け取る感覚はまったく別物だ(送り手=演奏者はもっとそうだろう)。

この2~3ヵ月の間に僕もいくつかオンラインでライブを見た。正直、退屈に感じるものも少なくない。が、思いのほか心動かされるものもあった。配信ライブに関して、思うこと、書きたいことはたくさんある。が、この記事の、それは趣旨ではないので、それはまた別の機会に。

僕はライブを観に行くことが大好きだ。チケットをとり、当日はその開演時間に合わせて仕事をし、歯を磨いて、着替えて、家を出て、電車に乗って、駅から歩いて(距離によってはその日の演奏者の音源をイヤホンで聴いたりしながら)会場へ。いつもの階段や廊下を歩き、物販のぞいたりドリンクなど飲んだり、知り合いに会えば軽く話したりしながら開演を待ち……。そしてライブが終わって、友達がいれば「よかったねー」だの「ちょっとアレだったねえ」なんてことを言いあい、帰りの電車では観たひとの感想ツイートを見てみたり。で、なんか食べたり、いいライブだったら呑み屋でひとり呑みしたりして、「ああよかったなぁ」などとその日の名場面を頭に浮かべたりしながら家に帰る。「ライブを観に行く」とはそういう動き全部を含めた「体感」であって、その一連の行為と共にあるライブが好きなのだ。ということに、ライブに行かなくなって改めて気づいた。

また、落ち着いた空間での席ありのライブもそれはそれでいいが、僕はいい歳してライブハウスなんかでスタンディングでライブを観るのが特に好きな人間だ。新宿ロフトでも新宿紅布でも恵比寿リキッドでも渋谷クアトロでもどこでもいいが、満杯に入った客のなか、それこそ密な状態でライブを観るのが、若くはなくなった今でも大好きだった。というそのことにも、ライブに行かなくなって改めて気づいた。「ああ、密な状態で、立ってライブを観てえ~! 」と、この数ヵ月の間にどれだけ思ったことか。

配信ライブを家のPCで観るのもそれはそれでいいが、それだと感じられないことがどれほどあるか。そのことを、配信ライブをちょくちょく見るようになって、なおのこと思うようになった。この数ヵ月はそういう数ヵ月でもあった。

最後にライブを観に行った3月8日・新宿ピットインから、ちょうど5ヶ月。8月8日に、orange pekoeのバンド編成ライブをナマで観た。場所はしょっちゅう行っていたビルボードライブ東京。ビルボードライブに行くのは2月14日のホセ・ジェイムズ公演以来なので、半年ぶりだった。

地下鉄の乃木坂駅から地上へ出て会場まで歩く、そのことがもう嬉しくもあった。歩き慣れたいつもの道だが、なんたって半年ぶりなのだ。

ビルボードライブ。(公演名とアーティスト写真が載った)看板はいつもの受付横ではなく、エレベーター降りてすぐのところに移されていた。そして中に入ると、席のレイアウトも変更されていた。もともとは向き合って座るテーブルが並んでいた地階は、横に長いテーブルがステージに向きあう形で並べられ、観客同士は向き合うことなく横並びに。つまり大学で授業を受けるような形。「みんな前向いてて、ちょっと授業っぽいですけど(笑)、これはこれで新鮮です」と、オレペコのナガシマトモコさんもMCで話していたっけ。因みに2階・3階も席はひとつ飛ばしで。席数はフルの状態の半分以下ということだ。

開演直前になると「ただいまよりマスクを着用してください」というアナウンスが流れ、「アーティストへの応援は拍手でお願いします」と続いた。飛沫防止のため、声をあげて応援するのはよくないと、いまはそういうことになっているのだ(疑問ではあるけれど、とにかくそういうことになっているのだから、それに従わないとライブはやれないわけだ)。

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orange pekoeのこの日のライブは、ベストアルバム『SUN & MOON』のVinyl Releaseを記念してのもの。ナガシマトモコ(ヴォーカル)と藤本一馬(ギター)のふたりに、林正樹(ピアノ)、西嶋徹(ベース)、斉藤良(ドラムス)が加わったバンド編成での公演だ。

1曲目は「Honeysuckle」。ギターが、ドラムが、ベースが、ピアノが、その4つの楽器のひとつひとつの音色が、そして「裸足になったら~」と裸足で歌うナガシマトモコさんの伸びやかな歌声が、深く響いて、染み渡る。ステージからの音と声が空気と混ざりながら広がり、自分の耳に、カラダに、届いてくることを実感する。配信では絶対に味わうことのできない音の振動。バイブレーション。PCと繫いだスピーカーから出る音は、こんなふうには鳴らないし、響かないし、振動しない。そうなんだ、このバイブレーションはナマじゃなきゃ感じられないんだ。ライブはバイブレーションなんだ、と、そう実感した。と同時に、ああ、僕はここにいる。そう思えた。

ナガシマトモコさんは星の数ほどいる日本のポップシンガーのなかでも飛びぬけて歌唱スキルの高いひとだと僕は思っている。ピッチの正確さは完璧で、声が揺れない。歌の上手さが「気持ちいい」に直結する。息遣いひとつが歌表現を豊かなものに感じさせる。その息遣いはまさにナマでこそ感じられるもので、PCで見ていたらその味わいを得るのはやはり難しかったと思う。それは藤本一馬さんの繊細なギターもそうだし、ベースもドラムもピアノも一緒だろう。そして、それらがひとつになる、そのバンドアンサンブル。それをダイレクトに感じることができるのも、ナマだからこそだ。

序盤からしばらくテンポとノリのいい曲を続けながらライブは展開していったが、この日のハイライトと言っていいくらいに素晴らしかったのは、終盤にさしかかったあたりで歌われたバラード「Selene」だ。静かに聴き入っていた観客たちだったが、その曲に込められた思いに誰もが深く感じ入ったことは、歌が終わったときのみんなの拍手の大きさに表れていた。「もともとはささやかな曲だったんですよ。でも歌うほどに込められる思いが増えてきて」とナガシマ。「もしきみが たとえ疲れ果てたときには 思い出して そばにいるよ いつだって」と歌われるその歌は、コロナ禍で疲れた僕たちみんなに寄り添うかのように優しく響いた。

そのあとまたアップめの曲などもやり、アンコール2曲目では後ろのカーテンが開き、藤本は「音楽が、明日からのみなさんの最高の免疫力につながれば嬉しいなと思います」と言った。

確かにいい音楽、好きな音楽は、最高の免疫力だとそう思えた。

ライブはいい。体感。その空間と、時間と、思いの共有。PCを通してでは得難きもの。僕はここにいると、そう思わせてくれる。

まだまだ「普通に」ライブを観に行けるようになるまでには時間がかかるだろう。が、なくなるなんてことはないし、ライブを観て生きていると感じる自分がいなくなることはない。音楽の鳴っているその空間こそが最高なのだ。

5ヶ月ぶりにナマで観るライブがorange pekoeでよかった。


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