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『シン・仮面ライダー』(感想)

2023年3月29日(水)

吉祥寺アップリンクで『シン・仮面ライダー』。

自分は再放送じゃなく本放送を毎週見ていた昭和ライダーのドンピシャ世代。小学生で初代ライダーの途中から見始め、V3、そしてX(エックス)の何話目までかはリアルタイムで毎週見ていた(が、アマゾンで飽きて離れた。けどストロンガーは何話か見たな)。因みに平成と令和のシリーズは見ていない(1度だけ何かを見てみたが、ついていけなかった)。

あの頃(70年代前半)は大ブームだったのでみんなと同じようにライダースナックを買ってカードを集め、友達と交換したりもしていた。がしかし、そんなにハマりまくっていたの?と訊かれると、テレビシリーズに関しては、実はそこまででもなかった気もする(とはいえ、第1シリーズの本郷&一文字ライダーに関しては、ショッカーの怪人を出演順に言える程度にはなっていた。カードも100枚くらい集めたし)。

テレビシリーズよりも、自分は石森章太郎のコミック版が好きだった。そもそもサイボーグ009、幻魔大戦に始まり、石森章太郎(石ノ森と改名する前)の漫画は全部好きだったし、多大な影響を受けた。

ご存知の通り、コミック版の仮面ライダーはテレビ版よりずっとシリアスで、ダークで、猟奇性も帯びていて、子供向けとは言い難い。社会風刺もいろいろ入っていて、ショッカーによるマインドコントロール計画なんてのも出てくるし、最終話に至っては国民に番号(コード)をつけて管理しようとする10月計画なんてのも描かれる。そう、それってつまりマイナンバーカードで国民を管理しようとしている現社会ですよ。しかもその計画を立案したのは、実はショッカーじゃなく日本政府で、ショッカーは日本を征服するためにそれを取り込んだ、っていう話でね(→コンピュータ国家計画)。70年代前半に石森章太郎は50年後の日本社会のやばさを予見してたっていう。

で。「シン・仮面ライダー」の話だけど、庵野さんが仮面ライダーを撮るって知ったとき、自分はそのあたりを膨らませてくるんじゃないかなと思ったんですよ。まあ10月計画はともかく、マインドコントロール計画はきっと描くに違いないって。勝手にそう思っちゃった。そうじゃなくとも、少なくとも子供向けの戦闘ヒーローものではなく、大人が見るに耐えうるダークでシリアスで深みのあるものにはなるだろうと。勝手にそういう期待を抱いてしまったんですね。

ところが、そういうことでは全然なかった。庵野さんなりに設定の更新をしてはいるけど、それはエヴァの人類補完計画めいたもので、一度見てなるほどと理解できるようなものじゃないし、「またこれかぁ」となるものだった。

昭和的なムードはまあ取り込んでると言えば取り込んでるし、(昭和の)テレビ版に比べたら多少の残虐性(戦闘員をエグい殺し方していちいちドバっと血が出るとか)も入ってるけど、それでも大人向けとはまるで言えないものだった。

自分が好きだったコミック版の要素を取り込んでいるところもあるにはあった。ネタバレになっちゃうけど、コウモリオーグのエピソードと、あとラスト(ただ原作では本郷は脳みそになるので改変はしてるけど)。結末はまあ悪くないとは思うが、でもそれって石森先生のアイデアの凄さがあったからああなったっていうだけで、自分が幼少時代に読んで受けたインパクトを越えてくることは全然なかった。

はっきり書くけど、『シン・仮面ライダー』は、そもそもこれを映画と呼んでいいのか? というくらいの代物だった。登場人物たちの動きも場面も細切れで、監督は繋ぐ気すらないのだろうと思えた。演技らしい演技もさせず(役者たちのフィジカルによる躍動を抑え込み、高く跳んだりなんだりを役者たちにさせるのではなく、映像で処理する)、役者たちを信頼しているようにも思えなかった。言葉は言葉の役割を果たしておらず、ほとんどが設定と状況の説明(しかも説明がくどい上に、仮面をしてるからかモゴモゴしていて聞き取り辛い)で、感情なんてまるで伝わってこない。それもあえてそういうふうにしているようで、それが庵野スタイルなのかもしれないけど、じゃあ何を伝えたかったの? っていうのがよくわからない。庵野監督の自己満足。仮面ライダーごっこ。リスペクトではなく、エゴ。そうとしか思えなかった。

何より腹立たしかったのは、石森漫画の別の傑作である『ロボット刑事』の「K」をぞんざいに扱ったこと。ライダーの内面すら描けてないのに「K」の哀しみなど描けるわけもなく、ならばこんなに軽い扱いするなよと言いたくなった。

最後のチョウオーグが羽を広げるあたりの描写はイナズマンからのインスパイアだろうというのもわかったが、それが庵野さんの石森リスペクトにあたるのだろうか?   もしかして庵野さんは石森ユニバースをここに現出させたかったのか?   だとしても扱いが雑すぎないか?  っていう。

役者陣も総じて光らず(それは役者のせいというより監督のせいなんだが)。唯一、一文字隼人役の柄本佑さんが庵野さんの思惑から外れた自分なりの演技をするのだとなんとか抗っているように見えたのはよかったが。

ハラハラもワクワクもない。肉体の動きも心の動きもない。
現代性も普遍性もない。かといって郷愁を呼び起こす作用もない。
2023年に公開されることの意味が本当に、本当に1ミリも見つけられない作品だった。


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