ウソツキ@渋谷プレジャープレジャー

2019年8月21日(水)

渋谷プレジャープレジャーで、ウソツキ「~USOTSUKA NIGHT STORIES # 3 party~」。 

3ヵ月連続で開催されたウソツキの東京マンスリー・ワンマン企画"USOTSUKA NIGHT STORIES"。6月と7月は何かと重なっていて観に行くことができなかったが、シリーズ最後のこの公演は観に行くことができた。ああ、これは観ておいてよかったと、あとでそう思った。

2度目のプレジャープレジャー。ワンマンともなると演出に凝ることの多かったウソツキだが、この日は特にそうしたものはなし。スペシャルなゲストがあとで登場するのだから、あとはただしっかり自分たちの音を鳴らせればOK。そういう意識なのだろう。

「新木場発、銀河鉄道」のあの印象的な汽笛ギターリフを加工したものがSEで流れ、それにのせて登場したメンバー3人+サポート・ギターのはるか(エドガー・サリヴァン)がそのままその曲「新木場発、銀河鉄道」を演奏。続いて名曲「夏の亡霊」。そして動きのある「コンプレクスにキスをして」「旗揚げ運動」「恋はハードモード」と、普段のライブなら中盤かそれ以降にもってくる観客参加型の楽しい曲を早くも続けて演奏した。さらには疾走感のある「水のなかからソラ見てる」もこの段階で投下。このように前半から出し惜しみなくアップめの曲を畳みかけてくるあたりに、シリーズ最終回に対しての彼らの意気が感じられた。

ブルーズへの愛がところどころのフレーズに見えていたヨシケン(クラプトンやジョン・メイヤーに彼は多大な影響を受けていた)のギターと違い、はるかの弾くギターにはUKロックっぽいニュアンスがあり(実際彼がどういう音楽に影響を受けてきたかは知らないが、僕はそう感じる)、そうなるといまのウソツキが奏でるこうしたアップめの曲もUKのギターバンドっぽいエッジの効いた音として響く。当然だがヨシケン時代の音とは感触がずいぶん違う。ヨシケンのギターがリードしてときどき往年のアメリカンロックバンドっぽい(男っぽい、という言い方も可)重奏となっていたウソツキのライブは40代以上の親父ロックファンにも観てもらいたいと思えるところがあったが、はるかのギターは20代・30代のUKロックファンに好まれそうな感触があり、女たらしな音にも感じられる。どっちがいいとかそういう話ではなく、ここで言いたいのは、ギタリストの個性の違いにあった曲アレンジをウソツキが施し、当然だが林山と藤井のリズムもそれに合ったタイトなものになっていたということだ。

聴き慣れた旧曲の全てに、大きくではないが細部に異なるアレンジが施されていた。そうしてアップデートされていた。今のメンバーで何度かライブを重ね、そのアップデートされた形が板についたものになっていた。4月にWWWXで観た際はまだ新しい音を探っているところがあるようだったが、いまはいまのウソツキとして調和がとれている。と、そう思える音だった。

7曲目に新曲の「0時2分」が演奏された。4月のWWWXで披露されてそのときに初めて聴いた曲だが、竹田が出せるギリギリの高い声で歌うところなどは歌詞と相まった泣き表現がなんともエモーショナルでグッときた。また、そこに続けたのが「君は宇宙」と「ハッピーエンドは来なくていい」という2曲のバラードで、この3曲の並びに勝手に意味性を感じたりもした。

このあとゲストの常田真太郎(スキマスイッチ)が呼び込まれて登場。彼が鍵盤を弾いて「一生分のラブレター」「綿飴とりんご飴」、そして常田との共作による新曲「大丈夫。」、それからスキマスイッチの「ガラナ」の4曲が歌われた。

驚いたのは、常田の鍵盤によってバンド全体の音の感触が大きく変化したことだ。アップめの曲が続いた序盤を観ながらUKのギターロックバンド的な音色を感じていた僕だったが、常田の鍵盤が入った途端、それは良質なJ-ポップといった音になった。英や米でなく日本的なポップスのまろやかな音。しかもそれはまったくもって自然で、この5人で演奏されるのはこれが初めてとなる新しいものであるはずなのに、なぜだが妙に懐かしさを覚えたりしたのも不思議だった。そういう意味で(僕はスキマスイッチのライブを観たことがないのだけど)常田真太郎というミュージシャンのプレイの個性がちょっとわかった気がしたりも。

常田とのコーナーがいい形で終わってホッとしたのか一瞬放心したようになった竹田だったが、しかし4人に戻って演奏された次の新曲「ネメシス」が凄かった。ウソツキらしさのある前半~中盤を経て後半でダイナミックに展開する際の爆発力に現在のバンドのポテンシャルがあらわれているようにも思えた。僕は9月18日に発売になる4thミニアルバム『0時2分』を一足早く聴かせてもらっていたのだが、音源で聴いた以上にライブでの「ネメシス」のその部分にガツンとやられた。ライブで映える曲である。(因みにそのミニアルバム収録曲のなかでは、まだライブ演奏されてない「今だけは」という曲が個人的に一番ツボだったりします)

続いて「名もなき感情」、そして「偽善者」で本編を締め、アンコールではまず竹田がひとりで再登場。そこに常田が加わり、彼のピアノだけにのせて「ボーイミーツガール」が歌われた。もとはアップテンポの曲だが、テンポをグッと落としてスローにし、竹田は歌詞を噛み締めるようにして思いの全てを込めながらそれを歌った。「また会えたなら」というフレーズはまるで祈りのようで、泣きながら歌っているように見えるほどエモーショナルだった。これがこの日のハイライトだったと言ってもいい。

それにしてもピアノと竹田のヴォーカル、その相性はとてもいい。それはこのライブを観ての発見だ。常田によって竹田のなかの、あるいはウソツキというバンドの、新しい扉が開かれた感すらある。このライブを観ておいてよかったと僕が思ったのは、その貴重な瞬間を目撃できたからだ。

最後は再び4人で、「ラブソングは無力だ」。本当はひとりにだけ伝えたいだけだった歌が、竹田の思いが、会場のひとりとひとりとひとりとひとりと……に伝わっていってるように見えた。

かっこも髪形も、思いダダ洩れでまとまりのない喋りもそうだが、いまの竹田はもうカッコつけることなんて意味がない、カッコつけるよりこんな自分をそのまま見てもらわないことにはしょうがないというような境地に立ってライブをしている。それがよくわかる。『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』というのは僕の敬愛する早川義夫さんの作品タイトルだが、つまりそういうことだ。いじめられっ子だった男の子がこういう境地に自信もって立って表現しだしたら強い。彼のそういう表現はいまこの時代に救いを求めてる子たちにとっての救いになるし、泣くような歌表現はどうしたって心に響く。強がってイキがってるあいつらよりも、弱っちい僕たちにこそ響く歌。そういう歌が『0時2分』にも詰まっている。


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