見出し画像

『ニューヨーク 親切なロシア料理店』

2021年1月23日(土)

吉祥寺アップリンクで、『ニューヨーク 親切なロシア料理店』。

昨年日本公開されるタイミングで、たまたまTBSの情報番組『王様のブランチ』を何の気なしに見てたとき、この作品と『ノッティングヒルの洋菓子店』という作品の紹介が続けてなされていた。ぼんやり見てたのでタイトルも記憶しなかった。そのため自分の頭のなかで、この2本の話が混ざって記憶されてしまった。つまり僕は、この映画(『ニューヨーク 親切なロシア料理店』)に出ている誰かが死に、それをきっかけに家族だか友人だかがニューヨークで(洋菓子店ならぬ)ロシア料理店を開いて成功する……というような話を勝手に思い描いて観に行ったのだった。「親切なロシア料理店」などというホンワカした邦題のせいもあって、そう思い込んでしまったのだ。

なので、しばらくはこのなかの誰がいつ店を開くのだろう……などと思いながら観ていた。序盤から映画のトーンは暗めで、あれ?  こういう感じなの? とは思ったが、それでもしばらくは途中からトーンが変わって、あったかい感じになっていくのかと思い込んでいた。自分が思っていたのはどうやら別の映画だとわかったのはけっこう時間が経ってからだった。馬鹿である。

知らない街で店を開いて、いろんなひとに助けられながらそれを成功させる。邦題もあってそういうほっこりした作品を勝手に想像していたのだが、実際は生きることの厳しさを描いた、なかなかにヘヴィな群像劇だった。夫のDVから逃れるために地方都市からマンハッタンにやってきて、ホームレスになりそうになりながらもなんとかギリギリ生き抜いていく母親と、ふたりの子供たち。その母親の生きる様を主軸とし、失恋の痛手から立ち直れずに仕事中毒に陥っている看護婦や、服役歴のあるマネージャー、何をしてもうまくいかない不器用な青年らが絡んでいく。光と影の街の、その影のほうがリアルに描かれた作品だ。

子供を連れて逃げ出してきた知らない街で、母親クララは次第に追いつめられていく。しかし、そんなクララは廃れたロシア料理店に集まる世の中の「はじかれた者たち」の助けによって救い出される。即ちそれは「共助」であり、共助の念がどのように生まれるかが丁寧に描かれ進んでいく。「国」や「見知った人たち」ではなく、クララは異国でたまたま出会った「見知らぬ人たち」に救われるのだ。そこがこの作品の肝であり、「共助」とは、「公助」とは、「自助」とは、ということについて考えせられる。

日本の政府は「自助」ありきだと言う。公助をどっかに置いて、まず「自助」と「自粛」を市民に求めてくる。しかし「自助」では生きていけない人がものすごい数生まれているのが現実である。この映画のクララもそういうひとりだ。そんな現実社会では「共助」も細っているが、それがなくなったわけでは決してなく、生まれるところでは生まれるのだと、この映画はそう言ってくれている。つまり絶望で終わらせなかったところに製作者の思いがある。

ほんわかした優しくあったかい映画、というのではなく、生きる厳しさをリアルに描いた上で、共助の念がどう自然に生まれるかを描いている、そういう作品であり、コロナ禍真っ只中の2021年に観てよかったと思えた作品だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?