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『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(感想)。

2023年1月11日(水)

TOHOシネマズ新宿で、『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』。

(多少のネタバレも含みます)

12/23公開なのでまだ3週間くらいなのに、思いのほか小さいシアターで1日2回だけだし、あまりいい入りとも言えない状況。ホイットニー人気、今の日本だともうこんな感じなのだろうか。それとも、成功してスターになって、その後ドラッグで破滅して…という物語自体がもう飽きられてきているのだろうか。

それほど話題になってないようだし、Filmarksでは3.8という「悪くはないけど絶賛というほどでもない」という点数だったので期待しすぎることなく観に行ったのだが……。これが、よかった!!  いい映画じゃないか!!

2019年1月に日本公開されたドキュメンタリー『ホイットニー〜オールウェイズ・ラヴ・ユー〜』は、成功までの過程は前半のちょっびっとだけで、3分の2以上が破滅へと突き進むホイットニーを映した、それはもう観ていて辛くなるだけのドキュメンタリーだった。絶頂期を知らない若い人がこれを観たところで、ホイットニーのことを好きになりはしないだろうという、本当に誰のことも幸せにしない映画だったわけだ。それに対して『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は破滅だけを描いた映画なんかじゃなく、いかに彼女が破格の才能とスター性を持った歌手だったかもちゃんと描かれている。

歌唱そのものがどれだけの人をどう惹きつけたか。それがわかるライブシーン(歌唱シーン)をしっかり時間とって見せているのがいい。歌の人なのだから、歌っているところをちゃんと見せる。歌っている場面がハイライトとなる。ごちゃごちゃと話に枝葉をつけることなく、そういう正攻法で作っているのがいい。

脚本が『ボヘミアン・ラプソディ』のアンソニー・マクカーテンで、まさしくボヘミアン~で成功したやり方をここでも用いているわけだが、それが功を奏している。

それと、描きすぎないことで品が保たれている。例えば最期の瞬間や、娘のその後のこと。そこまで描けば映画的ショック度も増すだろうが、ホイットニー自身や遺族への配慮もあってのことだろう、それをしなかったのがよかった。

人間としての弱さや痛々しさが浮き彫りになるのはああいう人生だったから避けられないにせよ、可愛らしさや情の深さ、面白さといったチャームもちゃんと描かれていて、特に若い頃の彼女は本当にキラキラ輝いている。『ボディガード』の話がきたとき、脚本がつまらないとゴミ箱にポイッと捨てたかと思えば、ケビン・コスナーが相手だと知った途端にゴミ箱から拾うゲンキンさとかも笑ってしまう。

ホイットニーを演じたナオミ・アッキー、クライヴ・デイヴィスを演じたスタンリー・トゥッチ、ホイットニーのソウルメイトであるロビン・クロフォードを演じたナフェッサ・ウィリアムズら役者陣の熱演もみな素晴らしく、とりわけスタンリー・トゥッチは(僕の知る限りにおいて)クライヴ・デイヴィスそのものという感じだった。

ホイットニーの物語であることは間違いないが、ある部分ではクライヴ・デイヴィスの物語であり、ロビン・クロフォードの物語でもあるという、そういう視点も持ち得ているのが、この映画の膨らみだと思った。

総じて、よくここまで話を整理して、華と闇の塩梅もいいダイナミックな映画に仕上げたなと感心させられた。つまりアレサの『リスペクト』やビリー・ホリデイの『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』とかよりもずっとストレートでわかりやすくて、起伏もあって、それらよりも『ボヘミアン・ラプソディ』に通じるダイナミズムのある映画。そういう意味で、これならもっと大きなスクリーンで、できれば爆音で観たかったと思った。

帰宅して、夜はWOWOWで以前やっていたのを録画してあったものの未見だったドキュメンタリー『ホイットニー: 本当の自分でいさせて』を見た。それを見ると『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が映画的な脚色はそれほどされておらず、かなり史実に基づいていることもわかった(そして、ロビン・クロフォードの人生についても考えさせられたり……)。

そういうわけで劇映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は、(ドキュメンタリー『ホイットニー〜オールウェイズ・ラヴ・ユー〜』と違って)ホイットニーを通っていない人にも観てほしい作品だ。お早めに劇場で、ぜひ。





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