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仲井戸"CHABO"麗市 SOLO Stage[Walking By Myself]@ 南青山MANDALA

2024年5月10日(金)

南青山MANDALAで、仲井戸"CHABO"麗市 SOLO Stage[Walking By Myself]。

10日・11日の2日間の、自分は初日を観た(2日間とも申し込み、初日のみ当選した故)。

チャボにとってキャリア初の「全曲リクエストでかためた」ライブだ。リクエストに応えるようなタイプではなく、これまではそういうのを無視して自分の好きなようにやってきたが、初めてやってみようと思った……というようなことをMCで言っていた。

ライブに行く人から事前にメールでリクエストを募り、驚いたことに全員のリクエストに応えるという試み(複数曲書いてきた人には、そのなかから1曲のみ応える形にしたと言っていた)。よって、集まった客たちは、いつ自分のリクエスト曲を演奏してくれるのかというドキドキとそれをやったときの喜びが与えられることにもなる。自分はこのライブ前は締め切りに追われるなどしてバタバタしていたため結局リクエスト曲を送らないまま観に行くことになったのだが、それでもどんな曲が飛び出すのかとワクワクしながら楽しんだ。

たったひとりで(ギター弾き語りで)約3時間、全部で30曲くらいやっただろうか。やる曲が多いので今夜はいつもみたいに喋りを挿まずどんどん曲をやるよ、と初めにそう言っていたチャボだったが、やはり普段そんなに歌わない曲をやるとなるとその当時のいろんな記憶がよみがえってもくるようで、結局は1曲やってはMCが入るという、そこはまあ(いつもほど長くは喋らないにせよ)やっぱりいつもながらのスタイルであった。

そして久しぶりにMANDALAで観るとなると、改めてそのMCの柔らかで優しい口調、ひとりに語り掛けるようなそんな口調に、気持ちがあったかくなる。どこまでも親密な雰囲気をさりげなく作る、そういうチャボのライブは、チャボ”ならでは”のライブである。フォーク系アーティストの喋り多めの進行とはやっぱりどこか異なるし、曲と同じようにMCも固定して数日間同じことを話す山下達郎のような進め方ともまた異なる。なにがどう異なるかを説明するのは野暮なのでしないが、とにかくチャボのこのスタイルは観ているみんなをあたたかな気持ちにさせるもので、それが好きだからチャボのライブに通っている、それが好きだから何度でも観に行く、という人はけっこう多いに違いない。

古井戸の曲、RCの曲、ソロ初期の曲・中期の曲・最近のソロ曲まで。「初めて歌うよ」というかなりのレア曲もいくつかあった。古井戸の曲では、加奈崎さんが歌っていた曲を初めて歌ったりもしていた。2000年代のソロ曲のあとに古井戸曲をやったり、ソロ曲のあとにRC曲をやったりと、曲順の時系列はバラバラだったが、にも関わらず「いきなり時代が飛ぶなー」といった違和感のようなものは少しもなかった。古井戸の曲でもRCの曲でも、今のチャボが歌えば今のチャボの歌になる。ということと、あと、もちろん30曲ったってチャボの持ち曲のほんの一部にすぎないわけだが、にも関わらず結果としてチャボの歴史を3時間で辿っているような、そんな気にもなった感動的なライブだった。

「マイ・ネーム・イズ・チャボ!  アイム・ア・バンドマン!」と、何かの曲の途中でチャボはシャウトした。そう、ひとりでやってもバンドマンの矜持。それがチャボなのだと、改めてそう思った。

聴けて嬉しい曲ばかりだったが、「またひとつ新宿の灯が消えてしまった。唐十郎…」と話して歌った「エピローグ」はとりわけ深く心に刺さった。

いや、ほかにもあの曲、この曲と、個人的な思い出にも重なる曲がいくつもあったが、それらについて書き出したらきりがない。きっとあの場にいた全員がそうやって自分自身の個人的思い出に重ねながらチャボの歌を聴いていたことだろう。長く生きて、長くチャボの音楽を聴いてきて、同じ時代に生きることができて、よかった。そう思わせるのがチャボのライブなんだよなと、またしてもそう思った。バンデミック以降、しばらく体感することのできなかった小さな場所のあの親密なライブ。それがこうして今あることのありがたさと幸福を思った。

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