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追悼:坂本龍一。アルバム『1996』(96)インタビュー。教授の夢に隠された音楽の未来形とは……。

坂本龍一さんの訃報。覚悟はしていたけど、やはり受け入れ難い。

⁡あんなにも大きな存在でありながら、いつだって「一個人」としての音楽・思想・言葉を発し続けた人。⁡
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⁡90年代の半ばに2度だけインタビューが叶った。1995年作品『Smoochy』のときと1996年作品『1969』のとき。

すごく「対話」を重んじる方で、ただ質問するだけでなく、坂本さんと「対話」ができたように思えたことでライターとして少し自信が持てた気がしたのを覚えている。⁡
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96年のインタビューのなかで(文字数の都合で記事にはしていないが)「音響」についての話をしたこともなんとなく覚えている。この1年くらいの間にどこかで読んだか聞いたかした坂本さんの言葉…正確には覚えてないけど、最近は旋律よりも雨の音とか風の音とか毎日のそういう音にじっと耳を傾けることが多い、というような内容が頭に残っていて、それと27年前に聞いた音響に関しての言葉が自分のなかでいま、線になっている。
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⁡1996年、当時連載を持っていた女性ファッション誌「ヴァンテーヌ」掲載のインタビューを、追悼の意を込め、ここに再掲載します。

INTERVIEW
教授の夢に隠された
音楽の未来形とは……。

坂本龍― インタビュー

 昨年『SMOOCHY』のリリース時にお会いしたときは、そのアルバムの話に終始してしまったので、今回はもう少し坂本龍一の音楽の核となる部分に迫れるインタビューにしたいなと考えていた。なぜなら新作の『1996』が、近作の中でもっとも坂本龍一の音楽の本質的な部分をズバッと表した作品に思えたからだ。インターネットにはまり、ビジュアルと音楽を融合させたステージを突き詰め、ゲイシャ・ガールズからアート・リンゼイまでをラインナップするgutレーベルを主宰し、女優・中谷美紀のプロデュースも手掛ける。そうした活動で好奇心を満たす一方で、自らのアルバムにおいては、より核となる部分、つまり″坂本龍一の音楽とは何か″を突き詰める作業を行っていく。僕が最近の坂本氏の動きを見て感じていたそんなことは、例えば『SMOOCHY』の楽曲群の作曲法について「ピアノの前に座ったときに何を弾きたいのか、心の耳を澄まして欲する音を見つけていく。昔の絵描きとか彫刻家にも似た作り方で」と話していたことからも窺い知れる。ともかく、新作『1996』の話から聞いていくとしよう。

 『1996』は、坂本龍一とヴァイオリンのエヴァートン・ネルソン、チェロのジャック・モーレンバウム(*ジャキス・モレレンバウム。当時のレコード会社はこの表記だった)の3人の出会いから生まれたアルバムだ。エヴァートン・ネルソンはかつてレゲエ・フイルハーモニック・オーケストラに在籍していた20代後半のジャマイカ系イギリス人。ジャック・モーレンバウムは故アントニオ・カルロス・ジョビンのバンドで7年間活動し、ジョビンやカエターノ・ヴェローゾのプロデュースも行っている坂本と同世代のミュージシャン。3人は4年ほど前から何度かコンサートを行っている。
「3人とも子供の頃にクラシック音楽の訓練を受けていながら、普段聴いているのは、ヒップホップやブラジル音楽やダンス・ミュージックだったりする。ヴァイオリンでもチェロでも、クラシックの世界にはもっと上手い人はいくらでもいるけど、コンピュータと一緒に演奏するような経験をしている人はほとんどいないでしょ。そういった背景や考え方で共通する部分が多いし、2人とも非常に柔軟なミュージシャンだからね」
 事実このアルバムは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロという楽器で構成されていながら、繊細さとともに肉感的な色気も備えている。例えば、ピアノはメランコリックなメロディを奏でるだけでなく、ダイナミックに叩かれ、リズム楽器のように機能することにもなる。ヴァイオリンもチェロも同様だ。
「リズム楽器は入ってなくても、グルーヴ感はあると思う。ドラムやベースがなければ、グルーヴが生まれないってことはないんだよね。ただ、それは彼らとだから出来ることであって、いくら上手くてもクラシックの人からは絶対出てこないものだけど」
 そう、このアルバムのポイントはグルーヴにありということは、僕もアルバムを聴きながら感じていた。そこで、そろそろ核心的な話に迫っていくとしよう。そもそも坂本龍一はクラシック、ダンス・ミュージックといったジャンルの壁をしなやかに超え、自由自在に行き来しながら音楽を表現してきた。これまでに作られたアルバムは、その(クラシック的な方向とポップの)距離感の違いによって性格を決定づけていたといえなくもない。それはクラシックとポップの距離を縮めようという意識があってのことなのだろうか。
「(そういう意識は)ないですね。自分の引き出しにクラシック的な曲作りの方法もあるから使っているだけで。ただ、距離感は確かにあると思う。坂本っていうのをイメージしたときに片一方でクラシック的、あるいは映画音楽的な方向性がありつつ、片一方でポップな面があると。二面性なのか三面性なのかわからないけど、そうやってイメージが分離していることを自分では嫌だなと思っています。それを融合させたいという気持ちはずっと持っている」
 そして、僕を震わせるに充分なこんな言葉をはっきりと口にした。
「ドビュッシーのハーモニーとスライ・ストーンのグルーヴが混ざったような音楽を作るのが夢ですね。僕、ホントに両方好きだから。表面的には共通点はないけど、でも両方に感応しちゃう自分がどうしようもなくいるわけじゃない?   だから、融合させる方法が見つかるはずだと思いながら、いつもやってるわけだけど。それは『ハートビート』くらいからずっと意識していることで」
 エヴァートン、ジャックとのピアノトリオは、この記事が出る頃はワールドツアー真っ最中のはず。ギリシャ、ポルトガル、台湾、北京、シンガポールなど、今まで行ったことのない国でも演奏できるのが楽しみだと言う。また「このトリオに、台湾では胡弓のプレイヤーを招いて演奏するんですけど、ほかにも例えば韓国の歌謡曲が入ったり、ポルトガルならファドの歌手が歌ったりというようなことも考えられるし、そういった意味でも、このユニットには無限の可能性がある」とも。
 ″ドビュッシーのハーモニーとスライ・ストーンのグルーヴの融合″。そんな彼の夢が形になる日は、もしかしたらそれほど先のことではないのかもしれない。僕は今、ワクワクするような気持ちで、そう考えている。

(内本順一)

坂本龍一の名曲の数々をトリオ・セッシヨンのもとでリアレンジした新作『1996』(フォーライフ)。このピアノトリオによる日本公演は(1996年)8月からスタートする。


ご冥福をお祈りいたします。

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