『ロケットマン』

2019年8月30日(金)

渋谷TOHOシネマズで『ロケットマン』。

感想、ネタバレ含むので、これからご覧になられる方はご注意を。

途中降板(実質、解雇)となったブライアン・シンガーに代わって『ボヘミアン・ラプソディ』をあそこまでのものに仕上げたデクスター・フレッチャーが監督だってことでそこそこ期待して観に行ったんだが、まあ、こんなもんかと。つまらなくはないけど、それほどたいしたものでもないというのが正直な感想。同じ監督ってだけでなく、英国ポップスターの伝記映画で、ゲイで、といった共通項がある故、どうしても『ボヘミアン~』と比べてしまうが、ラスト数分にああいった昂揚感があるわけでもなく、“この曲まわりのこの感じを最後にもってくるのかぁ…”というところでの食い足りなさも残った。

これは『ボヘミアン~』もそうだったけど、展開がスピーディーである故、内面的葛藤の描き方が表面的で、細やかさがない。テンポがいいと言えばよく聞こえるが、まあ、雑ですわ。あと、エルトンの自伝がもとになっていて、しかもエルトン自身が制作にがっつり入り込んでいるからか、客観性が希薄というか、「私、こんなにつらかったの~」とずっと訴えてるのをただ見せられてる感もあり。で、親があんなだし、恋愛もうまくいかないし、いろいろ悲しいめにあってきて孤独だったからこんなにいい曲を書けるようになった…ってなもって行き方も凡庸というか、そんなん、程度の違いはあっても家庭環境が複雑なひと、セクシャリティのそれで生き辛かったひとは世の中にたくさんいるわけだし、じゃあなんでエルトンがそんななかで優れた音楽家になれてあんなにヒット曲を出せたのか、みたいなところまでは掘り下げられてないのも、うーんって感じ。私はつらかった→でもいい曲いっぱい残せた→いろいろあったけど立ち直っていまは結婚して幸せに暮らしてます、って、それ、エルトンはそう伝えられて満足かもしれないけど、ぶっちゃけ、「で?」ってところもあるかなぁ。僕はそもそもパーソナリティ込みでのエルトンへの思い入れがないのだけど、ファンが観たらまた違う感情が湧いてくるものなのかどうなのか…。

因みに、映画のけっこう早いうちに「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」が誕生したエピソードが描かれるんだけど、あそこの描き方はよかったですね。「僕の歌は君の歌」って、そうか、ほんとにそういうことだったのかっていうのが自分的には一番グッときたところ。とにかくバーニー・トーピンが最後まで一貫してめちゃめちゃいいやつなんですよね。あれ、そんなにエルトンを通ってきてない僕は初めて知るところでもあったので。

というふうに、いろいろ「知ることができた」という意味では観といてよかったとは思ったけど。この歌ってこんなふうに生まれたこんな悲しい歌詞だったのかあ、とかね。でも、さっきネット見てたら、ビートルズのポスターのジョン・レノンが目に入ってエルトン「ジョン」にしたって話は嘘なんですってね。なんだよ、信じたじゃないかよぉ。あと、初めての大事なトルバドール公演で、実際は「クロコダイル・ロック」演奏してないんですってね。おいおい、っていう。

あ、エルトンを演じたタロン・エジャトンはちゃんと歌うまいし、よかったと思います、はい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?