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『あんのこと』(感想)

2024年6月29日(土)

新宿武蔵野館で『あんのこと』。

*ネタバレ的な記述があるので、これからご覧になられる方はご注意を。

新型コロナウイルス感染症パンデミックによって引き起こされた二次災害=孤立や分断を記録した作品として価値があると思った。

ダイヤモンド・プリンセス内での集団感染が始まって報道されたとき(あんが介護施設で明るくそこの人たちと交流していたとき)、自分は何をしていたか。ブルーインパルスが都心の上空を飛んだ日(あんがああした日)、自分は何をしていたか。そのことをこの映画を観て思い出した。気持ちが晴れないあの日やあの時期、ブルーインパルスが空につけた飛行機雲を見て「なにをやってんだか?   何が空からエールだ、くだらねえ」と思ったことも思い出した。観る者の多くにあのとき/あの時期を思い出させる、忘れないようにさせる、そういう意味において価値のある作品だとは思った。

自分の背中に昇り流の彫り物が入っていると妄想していたおじいちゃんは、あれからどうしただろう。夜間学校であんと机を並べていたいろんな国籍の人たちはあれからどうしただろう。それが気になってしょうがない。あんのように追い詰められたり、不幸になっていなければいいのだけど。

ドキュメンタリー的なカメラの使い方がいい。それ故、主要とされる登場人物たち以外の人の動きも目に入り、脳裏に残る。あんが家へと続くあの階段をのぼるところは、地獄への通り道をのぼっているようで、引き返せと声に出して言いたくなった。ドキュメンタリー的なカメラの回し方の効果ありだ。

実在したひとりの女性の人生から着想を得てつくられた作品だそうだ。そのリアリティはまあ、ある。が、刑事の加害はどこまで本当なのか。盛ってるんじゃないか。いや、劇映画なので盛るのはいい。いいけど、でも、厳しい見方をすればエモ消費的なことと言えなくもないのではないか。そういう引っ掛かりが自分のなかにはどうしても残ってしまった。誤解を招く言い方になるかもだが、話は少しも飽きさせずどんどん展開していき、面白い。入江悠監督のことは、僕は面白い映画を撮る人、エモい映画を撮る人として認識/信頼していた。『SRサイタマノラッパー』北関東三部作や『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』には当時めちゃくちゃ撃ち抜かれたし、そのエモさを食らいまくったものだ。そこから10数年が経ち、上から目線な言い方で恐縮だけど、入江監督、技術を身に着けて上手い監督になったなと思う。が、その上手さが、この作品では仇となっているように感じる。物語として面白い展開の仕方に、これに乗っていいのかどうなのか観ながら自問が生まれ、むしろ冷めてしまう自分がいた。

ドキュメンタリー的な撮り方の効果ありと先に書いたが、それでもフィクション部分(特に多々羅の描き方)が「これはフィクションなんだろな」と思わずにいられない。で、例えばほかの監督、例えば是枝監督だったらこの題材をどう撮っただろう、なんてことを考えてしまったりも。そういう比較めいた考え方は失礼だし、どうするのがいいのか非常に難しかっただろうことも想像できるけど、特にあんがああしたあとの数分間……物語の仕舞い方に、自分のなかではこの映画を推しきれない何かを感じてしまった。どこでどう仕舞うか、きっと監督は何通りも考えに考え抜いてああしたのだろう。けど、子供に希望を託すみたいなそれって、あまりに安易じゃないか。実在したその女性まわりの残された人たちはあれで納得するだろうか。こういった映画にするのに果たして今がベストなタイミングだったのかどうか。そのあたり、モヤモヤしたものが今も自分のなかには残り続けている。


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