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『コーダ あいのうた』感想。

2022年1月26日(水)

新宿バルト9で、『コーダ あいのうた』。

「これ、すごくいいみたいだから観に行こう」と妻に誘われ、なんの情報も入れずに観に行った。妻の「いいみたい」はよく当たるのだ。

すごくよかった。いまどきこんなに真っすぐ心にくる映画は珍しいかもしれない。こんなに純粋な気持ちで「いい映画」と言える作品に、そういえばしばらく出会ってなかったかもしれない。そう思った。

SNSではみんなが「泣いた」とつぶやいている。自分もボロ泣きした。が、泣けるからいい、というのではないし、そういう薦め方はしたくない。実際、安っぽい恋愛ものや難病もの映画にありがちな「泣かしにかかる」といった作為はこれっぽっちもない。むしろ情緒的な方向に行き過ぎるのを周到に避け、(笑いも込みの)何気ないコミュニケーション描写の積み重ねによって感動がもたらされる、そういう作りになっている。監督の、ひとに対する誠意と、実力を思わされる。

この作品で初めて知った女優だが、主演のエミリア・ジョーンズさん、演技も歌声も実に素晴らしい(&溌剌としていて可愛い)。加えて父親役のろう俳優も、母親役のろう俳優も、兄役のろう俳優も、みんなそれぞれに素晴らしい。下の良記事によれば、当初企画が持ち込まれた大手映画会社は聴者のスター俳優をキャスティングするよう監督に要請したそうだが、監督は主人公の父・母・兄は絶対にろう者が演じるべきだと訴え続け、その結果インディペンデント映画として違う会社で制作されることとなったのだそうだ。セリフ~感情表現のリアルは、ろう俳優が演じている故で、例えば日本ではまだスター俳優やタレントに性的/文化的/言語的/社会的マイノリティの役を演じさせることが絶対的に多いが、それとの差を感じずにはいられない。

本作『Coda コーダ あいのうた』は、2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクで、アメリカ、フランス、カナダの共同製作。ロケーション撮影は”漁師の街”と言われるアメリカ合衆国マサチューセッツ州グロスターで行なわれている。自分はもとの『エール!』を観ていなかったのだが、『Coda コーダ あいのうた』に感動し、帰宅後、U-NEXTでそっちも観てみた。

フランスの田舎町で家業が酪農だったのが、米マサチューセッツ州グロスターでの漁業に変更。弟が兄へと変更。設定の大きな変更はそのふたつだが、登場するひとりひとりのパーソナリティ、背景が、いろいろ肉付けされている。特に兄と父の、ろうで肉体労働に従事することの厳しさや、主人公の疎外感が、『エール!』より遥かに丁寧かつリアルに描かれているし、ヤングケアラー問題について考えさせられることにもなる。『エール!』よりも、家族の背景、生き辛さの部分をしっかり描くことで現代社会と接続され、それ故にコミュニケーションの大切さも伝わってくる。ボーイフレンドとの関係の縮まりも繊細に描き込み、青春映画的な甘酸っぱ味もある。(でも『エール!』は『エール!』のよさがもちろんあるんですけどね)。

取り上げられる(歌われる)楽曲も、変更点の大きなひとつだ。『エール!』はフランス特有のエロティシズムを含んだ曲が取り上げられるが(ああいう曲を若い学生がうたったりするのがなんだか面白かった)、『コーダ あいのうた』で歌われたり流れたりするのは英米のロックやポップス。マーヴィン・ゲイ、クラッシュ、シャッグス(!)、デヴィッド・ボウイ、ジョニ・ミッチェルなど。とりわけクラッシュの「アイ・フォウト・ザ・ロウ」が実にぴったりのタイミングでガツンと流れてきたときは「おおっ!」とあがったし、ルビー(エミリア・ジョーンズ)が自分の思いとして歌うジョニ・ミッチェル「青春の光と影(ボース・サイズ・ナウ)」はそのままこの映画のテーマと言えるものとして響いてきた。それはもう、(あそこで歌われる曲として)「よくぞこの曲を見つけてくれた!」と監督に感謝したくなるほどに。そのくらい、曲(歌詞)がこの映画のなかで重要な役割を担っていたということだ。

因みにジョニ・ミッチェルがこの曲「青春の光と影」を飛行機のなかで書いたのは1967年3月。20代前半!   すごいな。驚いちゃうな。と、そんなことも改めて思った作品だった。

あと、あれだね、『エターナルズ』のマッカリに影響されて手話を習い始めるひとがものすごく増えたって聞いたけど、この映画でまたさらに増えるだろうな、いいことだな、とも。


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