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『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』(感想)

2023年4月2日(日)

TOHOシネマズ日比谷で『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』IMAX。

以下、その日の夜に連投した感想ツイートです。

「感動。くらいまくり。これまで聴いてきたボウイ楽曲の理解がぐんと深まり、なかにはガラリと印象の変わった曲もあった。1ヶ月くらいかけて全作品をじっくり聴き返したい気分。死ぬまで好奇心持ち続けてしっかり生きようと思った。」

「ボウイも凄いがブレット・モーゲン監督の執念も凄い。曲と言葉と映像素材の取捨選択&組み合わせの拘り度合いはちょっとどうかしてるほど。こんなドキュメンタリー、観たことない。」

「ボウイの表現者としての資質と才能は言うまでもなく破格だけど、ちゃんと悩んで葛藤して、反動で次に進んで…。ああ、人間らしいな。でもカオスをサーフする能力にはやっぱり長けてて、だから壊れずあのように人生を全うしたんだなと。」(*「カオスをサーフする」は、「GINZA」webのインタビューでのブレット・モーゲンの言葉)

「この先もしプリンスのドキュメンタリー映画が作られるならブレット・モーゲンくらい拘り・愛情・執念を持った監督に撮ってほしい。あのレベルの監督はそうそういないだろうけど、それによってアーティストの評価の定着の仕方、ひいてはアーティスト像も全然変わってくるもんな。」

「とにかく『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』は、音楽に限らず何かを表現して生きている全ての人に観てほしい/観たほうがいい映画だと思いました。」

以下、追記として。本作はドキュメンタリー映画によくあるナレーションも周辺の人たちのコメントも一切ない。言葉は全てボウイがどこか(インタビューなど)で発したものであり、監督はその言葉の意図と紐づける形でボウイの楽曲をそこに使う。鬼のような編集・繋ぎの拘りだ。そして、それがひとつの方向、ボウイの人生の転がる向きを伝えてくる。断片と断片が繋ぎ合わされる様から、ボウイの生涯が見えてくる(ような気になる)。「ちゃんと悩んで葛藤して、反動で次に進んで…。ああ、人間らしいな。」という僕の感想ツイートはその手法だったからこそ出てきたものだ。

僕はつまり、ひとりの人間の生涯を見届けた気がして感動したわけだが、「GINZA」webのブレット・モーゲンのインタビューを読んだら、ブレット監督自身がこの映画を作り始めた当初に心臓発作を起こして1週間の昏睡状態に陥り、その経験からボウイの言葉のなかにあった老いや死、スピリチュアルについての哲学に魅了されていったのだそうだ。なるほど、だからこういう作品になったのかと大いに納得。ボウイの人生観を抽出しながら、ブレットが自身の人生観を焼き付けた、これはそういう映画だとも言えるだろう(故にこれは優れたドキュメンタリーなのだ)。


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