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『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』(感想)

2024年6月5日(水)

吉祥寺アップリンクで『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』。

平日の午後2時過ぎの回だというのに満席。加藤さんの音楽の再評価が最近起こったわけでもなく、没後〇年ということでもなく、どうして今なんだろう?  というタイミングでの公開であるにも関わらず、これだけ人が入るとは。ちょっと驚いた。

自分の隣の席にいた年配の女性は、映画の途中でギンガム(加藤さんが作った日本初のPA会社)の話が出たとき、「〇〇くんが務めてたところよ」と友人に耳打ちしていたが、そのように加藤さんのしてきたことに(近い遠いに関わらず)なんらかの形で関与した人とか何らかの影響を受けてきた人が多く劇場に足を運んでいるのかもしれない。……とも思うけど、でもそういう人ばかりじゃないだろうし。このヒットの理由はなんだろう?

ヨーロッパ3部作がとにかく大好きなんだという人はこれまで何人かいたし、ミカバンドが大好きだったという人もいたけど、誰よりも加藤和彦のファンなんだという人と、そういえば自分は会ったことがなかった。例えば吉田拓郎のファンにしても泉谷しげるのファンにしても坂本龍一のファンにしても高橋幸宏のファンにしても、どれかひとつの作品、または限られたある時期のその人が好きというよりも、その人の存在そのものだったりいろんな時期のいろんなワークが好きだという人が多いものだが、加藤さんはそういうファンをそれほど多く持たずにきた気がする。スター性は大いにある。長身でスタイリッシュでめっちゃかっこいい。が、そういうファンを多く持たずにきたのは、ソロ/自分名義のライブツアーをほとんどやらなかったことも大きく関係しているかもしれない。

「高橋幸宏さんから何気無く “トノバン(加藤和彦)って、もう少し評価されても良いのじゃないかな?  今だったら、僕も話すことが出来るけど” と言われたのが、加藤和彦さんに強く興味を持ったきっかけでした」という相原裕美監督の言葉がフライヤーに載っている。幸宏さんの言う通り、「もう少し評価されてもいいんじゃないか」という思いは僕もずっとあったし、そう思っていた人は少なくなかったんじゃないかと思う。「今まで、もっと語られるべきでありながら実はあまり語られていない加藤和彦」という一文もフライヤーに載っていて、これも確かにそう思う。ではどうしてあまり語られてこなかったのか。「同じものは作らないをモットーにジャンルも多岐に渡る、加藤和彦の功績に迫る」というキャッチがフライヤーにあるが、実際加藤さんのやってきた音楽のジャンルは多岐に渡りまくっているし、仕事の範囲も趣味の範囲も広すぎるくらい広かったし、数々のプロデュースや楽曲提供からギンガム設立まで功績は数えきれない……のだけど、それが線で繋がってない、というか本当は繋がっているのだけど、ひとつが終わると次にやるのはまったく種類の違う音楽だったりするから線として見えづらく、それが“語られにくさ”に繋がっているんじゃないだろうか。多岐に渡る音楽ジャンルや残した功績という意味では例えば細野晴臣さんにも匹敵するというか、ある意味ではそれ以上だとも思うが、にも関わらず「あまり語られていない」のはどうしてなのか。個人的にはそのへんも腑に落ちるような映画になっていたらいいなと期待して観たのだが……。

前置きが長くなったが、ここから映画の感想。まず、始まり方がよかった。アンコーさんのオールナイトニッポンで一気にAMラジオが文化を担っていた時代に連れていかれ、そこからフォークル「帰って来た酔っ払い」の大ヒット(オリコン史上初のミリオンヒット)の背景を知ることができた。この曲がヒットしたのは僕がまだ幼稚園に通っていた頃だが、それでも面白い曲だと思って、オラは死んじまっただぁーとヘン声で歌っていた記憶がある。

そこから始まり、いろんな人の証言で加藤さんまわりのあれこれが語られていく。最も加藤さんの人物像をリアルに捉えていて印象深かったのがフォークルの創設メンバーだったきたやまおさむさんで、「(学生時代の加藤は)長身だったゆえに居場所がなかったんじゃないか」「ミュータントのようだった」といったような彼ならではの言葉、彼ならではの加藤和彦観にハッとさせられた。

東芝の新田和長さんの証言も加藤さんとの距離が近かった故に面白く、ミカバンドでミカがクリス・トーマスとくっついて帰国しなかったときに加藤さんがどうしたか、という話は初めて知って、へえ~っと思った。ひとりの女性が去るとわりとすぐに次の女性に…という潔さと、パートナーというものの価値観に関して、僕は加藤さんの本を昔読んでかなり関心を持ったし少し影響も受けているので、新田さんのその話は実に興味深く、そういうところと、出会った人によってどんどん音楽性を変えていくその性質は通じているんじゃないかとも改めて思った。

そうしたナマの証言のいくつか、特に加藤さんの人間性に触れたものは興味深いものだった。が、仕事まわりに関してのあれこれは既知の事実が多く、普通に加藤さんの作品や加藤さんの関与した作品を聴いてきて、加藤さんと安井かずみさんの本も昔愛読した自分には、これといって驚くような新証言はなかった。ミカバンドまわりの話は、僕は最近になって雑誌「昭和40年男」の「黒船」の記事で小原礼さんに取材したばかりだったし、加藤さんのスタジオに伺ってご自身にお話を聞いたこともある。それほど熱心に加藤さんのワークを追ってきてなくとも、フォークルがどういう曲を残して、ミカバンドがどう海外で受けて、ヨーロッパ三部作がどんなメンツでどんなふうに録音されたかぐらいは知ってる人が多いはずだ。なので、そこを順を追ってサクサクと紹介する程度では、どうしても物足りなさが残る。そのひとつひとつにもう少し深い分析なり考察なり、あるいは過去に語られていない新事実なりがあってほしかったし、観る者としては驚きがほしかった。

一方、加藤さんのワークや人となりをまったく知らずに観た人にはむしろ不親切と思えるところも少なくなかった。グルメで自身も料理好きだったということを伝えるための料理人らの証言にもそれなりの時間がさかれていて、あそこはいらなかったんじゃないかという感想もSNSで多く目にしたが、僕は「いらない」とまでは言わないまでも、それを伝えるのならまずそもそもグルメだったという基本情報を伝えないことには何のためのシーンなのかがわからないだろうと思った。唐突すぎるのだ。

アルフィーの坂崎幸之助が加わるレコーディング・セッションがこの作品の締めになるのだが、和幸については一切触れられていないので、坂崎と加藤との密な関係性も知らない人にはわからないまま。そこまで収めるには時間が足りないということなのだろうけど、だったら誰かナレーターを立てるなどしてザックリとでも説明すればよかったんじゃないだろうか。

そして最も不満なところは、いかにして加藤の才能が開花し、それはどうして備わったか(フォークル以前)がまったく描かれないことと、キャリアを追うのがヨーロッパ三部作までで、そこからいきなり自死の話に飛ぶこと。アルバムで言うと『ベル エキセントリック』(81年)で話が終わっていて、その後の28年間の人生がなきものとされていることだ。ヨーロッパ3部作は確かに加藤さんの生涯のなかでも傑作であり(とりわけ『パパ・ヘミングウェイ』は僕にとって日本のポップミュージックアルバム・ベスト10位内に間違いなく入る特別なアルバム。擦れきれるほど聴いたという形容が相応しいくらいにあの頃どっぷり浸かっていた)、だからそこを映画のピークにもってくるのもわかるが、それ以降も『あの頃、マリー・ローランサン』を筆頭に傑作を生んでいたわけだし、『だいじょうぶマイ・フレンド』など映画絡みでも名曲を放っていたわけだし、舞台音楽も、再結成ミカバンドも、再結成フォークルも、和幸の活動も充実していたのに、一切触れられないというのはどうなのだろう。安井かずみの死去や、中丸三千繪との再再婚のことも、自死について触れるのだったら少しは触れないと筋道としてしっくりこないように僕は思うのだが。時間が足りないなら足りないなりに、せめてそこを描かないことの意図ぐらいは伝えてほしかった(そうじゃないので、知らずに観る人にはヨーロッパ三部作のあとで自死に至ったような誤解を与えかねない)。

最後の加藤さんより若い世代のミュージシャンたちによる「あの素晴らしい愛をもう一度」新レコーディング場面も、評価の分かれるところだろう。普遍的な加藤の名曲を今に繋げていくのだという意味と意図はよくわかる。そこが素晴らしいと感じる人もたくさんいるだろう。が、僕はそれまで順を追って描き、革新的だった『ベル エキセントリック』まで辿り着いたのに、急にまたフォークの時代の「あの素晴らしい~」に戻ることに違和感を拭えなかったし、この数分を使って『ベル エキセントリック』以降の活動のことも少しは触れてほしいという思いのほうがどうしても強く残った。

と、よくない方向の感想ばかりつらつら書いてしまったが、最後によかったところを。70年代半ば頃の毎週土曜日、学校から帰って楽しみに見ていたフジテレビの音楽番組「ニュー・ミュージック・スペシャル」の加藤さん出演回の映像(「シンガプーラ」など)を見れたこと、それから1980年の土曜の夜にやっていたフジテレビの「アップルハウス」の加藤さんと竹内まりやさんの共演映像(番組の司会もこのふたりだった)を見れたこと、さらにはテレ東の音楽番組(番組名、ど忘れした)の泉谷しげる出演回でそのアレンジも手掛けた加藤さんをバックに名曲「流れゆく君へ」を歌っている映像が見れたこと。これは嬉しかったし、軽く興奮した。このあたりの映像、まだ残っていたんだな。ならば「ニュー・ミュージック・スペシャル」のほかの回とかも映像化してくれないかな、なんて思ったりも。なにしろ映画全編のなかで、演奏している映像がかなり少ない故、「ニュー・ミュージック・スペシャル」や「アップルハウス」でのクッキリした映像があったのは非常によかった。

また、自分はとりわけ泉谷しげるのファンであり、特に加藤さんがプロデュースとアレンジを担当した泉谷作品(なかでも『80のバラッド』と『都会のランナー』)に強すぎるくらいの思い入れがある人間なので、泉谷さんが加藤さんを語り、加藤さんが泉谷さんの”ヴォーカリストとしての”才能を高く買っていたことが明らかになる証言もあったのがよかった。加藤さんは星の数ほどプロデュースをしていたが、やはりなんといっても加藤×泉谷のコンビネーションは最強だったのだ。

あとは、終盤、加藤さんが自死したあとの高中正義のひとり追悼演奏映像にグッときた。

映画の副題の「音楽家 加藤和彦とその時代」の「その時代」とはどの時代を指すのか、そのあたりの曖昧さがこの映画の物足りなさにも繋がっているんじゃないかという気もしたが、それでもこうして加藤さんのドキュメンタリーが初めて作られたことはよかったと思える。これを機会に加藤和彦作品の再評価の機運が高まれば最高だし、また別の監督の別の視点による加藤和彦映画がいつか作られることがあったりするといいなとも思うのだった。





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