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『怪物』(感想)。

2023年6月10日(土)

吉祥寺オデヲンで、『怪物』。

昼間に『怪物』を観て、夜はライブに行く予定でいたのだが、『怪物』にやられすぎ、切り替えてロックンロールのライブを無邪気に楽しむのは無理と判断。夜は家でおとなしくしてた。

『怪物』。前情報入れずに観たほうが楽しめるのは間違いないので、以下、これから観る方はあとで読んでいただければと。

是枝裕和×坂元裕二×坂本龍一。観る前は、嚙み合うのか?という疑心があったのだが、驚くほどに見事な交わり。自分はもともと坂元裕二の作家性に対してやや苦手意識があるのだけど(気の利いたふうの言葉数の多さが鼻につくなど)、足し算より引き算の美学を持つ是枝裕和の作家性がかけ合わさったことで奇跡的な傑作が生まれたという印象だ。もとの坂元脚本から説明的だったり明示的だったりの部分を是枝さんが引いて引いて熟考してはまた引いて、そうしてこれほど映画としての美しさを湛えた作品に仕上がったのだろう。

音楽(あるいは音響)も「坂本龍一じゃなければならなかった」としか言いようがなく。フィールドレコーディングの芸術をつきつめた坂本さん以外に、この物語&この風景(緑や土や風や水の流れ)とこれほどまでに一体となり、寄り添い、そして包み込む音楽をあてられる人はほかにいなかったとハッキリそう思う。

3つの章で成り立つ構成で、1と2はどちらかというと坂元裕二の脚本力が効いている印象だが、自分的には第3章の是枝演出の素晴らしさに気持ちをもっていかれまくった。この3章で伝えたいことのために1章2章があるという感じ。

3章で明らかになる主題的なところに関しては賛だけでなく否の意見もSNSに散見され、否を唱える人の言いたいこともまあわからないではないけれど、作品はこれはこうだという明示を避けてそれぞれに考えさせる形になっているのだし、その上で映画としての圧倒的な(残酷さ込みでの)美しさを放っている。ので、目にしたいくつかの否の意見(例えばクィアを物語のネタとして消費している云々)に対しては、自分は違和感。映画としてこれ以上ない形であり、これしかないという美しいエンディングだったと僕は思う。

観た人といろいろ語りたいし、実際妻と観て昨日も今日もこの映画の話をずーっとしている。ずーっと考えている。思ったこと・考えたことを書き出すとキリがないのでやめておくが、ひとつだけ。登場人物のなかで自分が誰に最も共感したかと言えば、依里(柊木陽太)だ。ああやって学校で日常的にいじめられてるとああいうふうに何事もないかのようにやり過ごすような態度になっていく…というのは経験的に僕にはわかる。のと、ああやって違和からいじめの態度に出るのは男の子だけで、女の子たちは依里を普通に受け入れている、というのも僕は経験的に理解できる。小中学の頃「女みてえだな」と暴力的な言葉を自分に投げてくるのはいつも男の子であって……。という話を書き出すと長くなるからやめとくが、ああいう子供の心の揺れ動きやクイアネスを本当に繊細かつ見事にこの映画は描いていて、そここそがもう是枝さん。素晴らしいと思った。


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