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『佐々木、イン、マイマイン』

2020年12月1日(火)

新宿武蔵野館で、『佐々木、イン、マイマイン』。

凄い映画と出会ってしまった。昨日観た『佐々木、イン、マイマイン』。

自分にとって2010年代で最も衝撃を受けた邦画は5年前に観た『ケンとカズ』なんだが、そこでも強い印象を残していた藤原季節主演の『佐々木、イン、マイマイン』は5年に一度、いや10年に一度の傑作。世間の評価は知らぬが僕はそう思う。

昨日は時間があったので映画をはしごするつもりでいたのだけど、『佐々木、イン、マイマイン』が震えるほどによすぎて、その余韻を剥がしたくなくて、もう1本観ることなんてできなくなった。観たあと「らぁ麺はやし田」でのどぐろラーメンを食べながら佐々木や悠二のことを考えていたら涙が出てきて、帰ってからもずっとひきずり、今朝はパンフレットを隅々まで読みながらまた泣いた。1本の映画にここまでやられるなんて、一体いつ以来だろう…。

『ケンとカズ』の小路紘史監督は公開時に確か28~29歳くらいだったと記憶しているが、『佐々木、イン、マイマイン』の内山拓也もまだ28歳の新鋭監督。だが、これ1作でどれだけ力がある人かがよくわかる。評論家の森直人さんは11/27の朝日の夕刊に「緻密さと情動を兼ね備えた”エモーション・ピクチャー“としての設計力に舌を巻く!」と書かれていた。なるほど「設計力」が秀でているんだと、いま冷静に振り返ってそう思う。過去と現在の交差のさせ方、語りすぎずに余白を残して観る者に想像を任せるあり方、冷め方と爆発力の抑揚、古典的な主題の突き詰め方と今っぽい言葉回し……。

シンプルに言えば若者たちの青春群像劇ということになるが、そこにいる全員にそれぞれの生き方と息苦しさがあり、誰に対しても監督の愛情がちゃんと注がれているのがいい。悠二は悠二の、佐々木には佐々木の生き方と迷い方があり、多田には多田の、木村には木村の、ユキにはユキの、苗村には苗村の生き方と迷い方がある。もっと言えば佐々木の父親にも。悠二の祖母にも。男たちの物語においてそこに出てくる女性のそれを上手く描けない監督は意外と少なくないが、28歳の内山拓也監督はこの作品のなかで女性の感情の揺れと生き方も愛をもって捉えているし、若者だけじゃなく大人という年齢の人たちのそれも捉えていて、つまり監督はいつも「みんな」を見ているひとなのだろう。

中学~高校の頃、いつも近くにいて一緒に馬鹿なことたくさんやって、己の人格形成にかなりの影響を与えた「友達」。悠二にとっての佐々木のようなやつが、きっと誰にもいただろうし、そういえば忘れていたけど自分にもいた。「村木」。先生も恐れるくらいの不良で、だけどIQが高くて、大胆不敵なあいつとは、どういうわけかヘンなところで気が合ってよく一緒に遊んだものだった。人に言えないヤバイこともした。「がんばれ元気」を読んで本気でプロボクサーを目指すようになったあいつとは、やがて連絡が取れなくなって社会に出てからは1度も合ってないけど、今はどこで何をしてるのか、生きているのかどうなのか……と、『佐々木、イン、マイマイン』を観終えてから考えたりもしている。

焼き付いているシーン、好きなシーンはたくさんあるけど、とりわけ明け方のシーンが好きだ。居酒屋から朝方出て帰る多田と悠二。カラオケ店を出て帰る佐々木と晋平と苗村さん(特に苗村さんのあの表情!)。そのときのあの空の色。夜の高揚は明け方と共にスーっと冷めて空気と溶け込む。それは終わりなのか、始まりなのか、終わりの始まりなのか……とか考えてみたり。

ところで今朝パンフレットを隅々まで読んでいて、藤原季節、細川岳を始め、出演者と制作者たちのインタビューにもやたらグッときてしまった。さらに衣装さんや美術さんの拘りのひとつひとつにも情熱がこもっていて(佐々木の部屋にある絵とか小説とか)、気づかなかったけど佐々木の本棚に並べられた「バガボンド」の1,2巻だけがなく、その2冊は悠二の部屋にある…とか改めて胸熱。観た人はパンフも絶対買うべきです!

『佐々木、イン、マイマイン』。またあいつらに会いたいから近いうちに観に行こう。そしてたぶん、観る度に僕は“自分の中の佐々木という気持ち“を感じ、「できるからやるんじゃないだろ。できないからやるんだろ」という佐々木の言葉も思い出して、それを忘れちゃならぬと心を引き締めるのだ。

こんなにも大事に思える映画、そうそう出会えない。

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