見出し画像

『寛解の連続』

2021年5月18日(火)

20日に閉館したアップリンク渋谷で、『寛解の連続』を18日に観た。

『寛解の連続』は、躁鬱病の症状により活動休止した神戸出身のラッパー小林勝行さんが、隔離病棟での生活を経て日常に復帰する姿を描いたドキュメンタリー。

ラップシーンに詳しくない自分は小林勝行さんのことをこれまで知らず、この映画の予告で初めて知って氏のラップを聴き、興味を持って観に行ったのだった。そしてこの映画は、小林さんのある数年(2枚目のアルバムを出すまで)を追ったものであり、そのなかで映画的に何か大きな事件が起きるわけでもない。それでも約2時間というそれなりの長尺を長く感じずに見入ってしまったのは、ひとえに小林さんのラップの力と喋り言葉の力であり、同時にひととしての素直さ・正直さ、魅力(笑顔がめちゃいい)、生きてる日常のリアルさみたいなところに引き付けられたからだ。

正直に生きるのはたいへんなことだ。正直者は生き辛い。小林さんは躁鬱と寛解を繰り返し、だけど悩みながら言葉を紡いでラップする…つまり解き放つことでどうにか前に進んで行く。全部隠さずラップする。自分が創価学会員であり、信仰が支えになったことも隠さずラップに入れる(Def Techは結局それを言わずに活動してて、それじゃリアルじゃない…とも言う)。そして「(解き放つために)みんなラップしたらええねんけどな」と言う。そんな小林さんの言葉の力はビリビリくるほどリアルで個性的で圧倒的だ。

また、小林さんは障がい者の介護職に就いていて、「ダイレクトに必要とされるから、やっぱ…ええことやんか」と言う。ダイレクトに必要とされること。それがどれほど大きなことかを思う。

そして小林さんは、介護してる男性のチンチンを洗ってるときにそれまで男らしさに拘ってたことがどうでもよくなった…みたいなことを話す場面があり、つまりそれは男性性という概念から彼が解放された瞬間のことでもあって、そこ、この映画のなかでとても重要なとこじゃないかとも僕は思ったのだった。

上映後には、ブレイディみかこさんと光永惇監督とアップリンク渋谷の支配人さんによるリモートトークがあり、それも聞けてよかった。ブレイディさんは、小林さんのラップの言葉はINUの頃の町田町象(町田康)やルースターズ初期の大江慎也にも匹敵するというようなことを話されていて、なるほどなぁと思った。僕はというと江戸アケミのことを思ったりもした。

ブレイディさんは、躁うつ病であることを特別なこととしてではなく平熱に描いているのがいいといったことも話されていた。例えばかつての大江慎也の場合はまわりがそうせず、そこを強調した見せ方もされていたのが嫌だったけど、今の時代は、この映画は、そうじゃなくて、そこがいいと。僕もそう思った。

因みにアップリンク渋谷の支配人さんもかつて躁うつ病を患ったことがあり、深い共感からこの映画をアップリンク渋谷で最後にかける1本に決めたのだそうだ。

アップリンク渋谷。いろんないい映画をここで観たけど、そこで最後に観たのが『寛解の連続』でよかったし、アップリンク渋谷の記憶と共にこの映画を僕は記憶に残すだろう。

画像1

ありがとう、アップリンク渋谷。ここがあってよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?