見出し画像

ザ・たこさん『タコスペース』ライナーノーツ

今日は、ザ・たこさんの5枚目のアルバム『タコスペース』のライナーノーツを公開します。『タコスペース』は、バンドが安藤八主博、山口しんじ、マサ☆吉永、オカウチポテトの4人になって初めてレコーディングされたアルバムで、2013年9月に発売。

2008年3月からザ・たこさんでベースを弾いていた脇本総一郎(仮名)が2010年9月に脱退し、代わって2010年12月に加入したのが、当時26歳だったオカウチポテトだった。

↑ここに書いてある通り、僕はオカウチが加入してわりと早い段階で「ようこそオカウチポテトくん~新生ザ・たこさんのこれから」をテーマに、彼を大フィーチャーしてインタビューをした。それは音楽ウェブサイト「music shelf」に掲載されたので、そのリンクをここに貼って改めて読んでもらえたらよかったのだが、残念ながら「music shelf」のサイトは2018年に閉鎖。もうアクセスすることができない状態だ(「music shelf」ではザ・たこさんのインタビューを度々行ない、安藤・山口・内本で駄話ポッドキャストも何度か行なって配信していた)。

だが、そのインタビューがいま読み返してもなかなか面白いので、ここにその一部を再掲載しておく。

――オカウチくんの加入は去年のいつでしたっけ?
安藤八主博: 年末ですね。12月19日にスタジオ入って決定しました。
――音を出して、“こいつや!”と。
安藤: まぁ正味ね、決定打は、音ではなかった。プロフィールを見たら面白そうなやつやから、スタジオ入って、音出して。“ま、こんなもんやろ”っていう評価ですよね、テクニックに関しては。で、終わってからちょっと掘り下げて話をしたら、思った通り面白い男で。「絶対にオレはやめません」言うてたからな。「バンドをやめるやつはアホや」とまで言いましたから。
オカウチポテト: 僕もずっとバンドやってきて、メンバーにやめられたことでけっこう苦労したんで。
安藤: 彼は高校からずっとバンドをやってて、メンバーが減ってって活動できなくなることも経験してるし。自分からは一度もやめてないんですよ。
――で、デビュー・ライヴが……。
山口しんじ: 2月5日ですね。
――そこからけっこうなハイペースでライヴやってますよね?!
安藤: たこさん史上、稀にみるハイペースですわ。それもね、ハッキリ言うてこいつ、テクニックはないですから。それでず~っとスタジオにばっかり籠ってたら落ち込むと思ったんですよ。で、僕は、こいつはライヴでいけると思ってたから、とにかくライヴを入れようと。それで手応えがあれば自信を持ってくるだろうし。実際、僕が思ってた通りのパフォーマンスをしよるようになってきてますからね。



――ではここでオカウチくんのバンド経歴を訊いておきたいんですが。ベースは昔から?
オカウチ: 14歳からやってます。兄貴もベーシストなんですよ。なので、家にベースがあって、これやったらオレもできるかもって思って始めたのがきっかけです。
――最初にバンドを組んだのは?
オカウチ: 最初はバンドじゃなくて、ストリートライヴをベース1本でやってたんです。
――歌いながら?
オカウチ: はい。中学卒業してすぐ。とりあえず人の目に触れなあかんやろって思って歩道橋でひとりでやってて。そしたらヤンキーみたいな人に「オマエ、面白いな。オレもバンドやってるから一緒にやろうや」って言われて、その人たちと一緒にバンドを始めて。
――そのときは何をやってたの?
オカウチ: ブルーハーツのコピーバンドで、オリジナルもちょっとやってて。
――パンク好きだったと。
オカウチ: なんか爆発させたかったんですよね。自分のなかの何かを。
――髪を逆立てたりして?
オカウチ: や、ロン毛でした。
山口: なにやってんの、自分(笑)
オカウチ: ハハハ。で、天王寺の歩道橋の上が、当時、警察も甘かったので、ストリートライヴ、ガンガンやってて。僕に声かけてくれたその人はロン毛で金髪のヤンキーだから、演奏してる最中にすぐケンカ売られるんですよ。グワ~ってこられて、すぐにケンカが始まって、僕はそれを止める役で。もうグダグダになってきたので解散して、で、今度は同級生とバンドを始めたんです。そのときに初めてライヴハウスでやるようになって。
――それは何系の?
オカウチ: サイケデリックです。
山口: ホンマかいな。
オカウチ: ホンマですよ。ピンクフロイドやってました。その頃、まわりでレディオヘッドが流行りだしてて。“グリーン・デイも飽きてきたし、オレらもUKロックやろうぜ!”ってなって、そこからどんどん深みにはまって、ピンクフロイドまでいってしまったんですよ。
――すごいなぁ(笑) バンド名は?
オカウチ: VISION。
全員: 爆笑。
オカウチ: それは3年くらいやりました。高校卒業したあとに。
安藤: その頃にオレらのことを初めて観たらしいんですよ。
オカウチ: そうなんです。それはまだ高校のときだったんですけど、知り合いのイベントに呼ばれて観に行ったら、そのときにたまたま、たこさんも出てて。
――そのときの印象は?
オカウチ: 僕が観たその日は、安藤さんがドロップキックの着地に失敗して骨折した日なんですよ(*2004年8月、千日前ウォーターでのライヴ中、ステージへの乱入者めがけて安藤がドロップキックするも不発。着地に失敗し、左鎖骨を骨折)
安藤: あの時かぁ。あれ、客席から観てても、折れたの、わかった?
オカウチ: 折れたのは気づかなかったんですけど、安藤さん、様子がおかしくて。
全員: 爆笑。
山口: ライヴ終わったあと、いつも安藤、真っ赤な顔してんのに、そのときは真っ青だったんですよ。よっぽど痛かったんやろね。
安藤: 「愛の賛歌」で、いつもなら時計をこう耳にあてるんですけど、痛くて腕があがらなかったんですよね。たぶん、あそこでやめてたらそこまでにはならなかったと思うんですけど、そのまま歌い続けて、カラダも動かしてたから、ポキッと折れたとこがどんどん離れてもうたんです。結局、手術しました。
オカウチ: そのライヴがあまりに凄いインパクトだったんで、僕、終わってから喋りに行こうと思って、主催者の人に「あの、たこさんってバンドの人、どこかにいますか?」って訊いたら、「救急車で運ばれたよ」って言われて。スッゲ~~~~~って思って。それでファンになったんです。
安藤: そんときは、まさかそこに自分が入るとは……。
オカウチ: まさか思ってなかったですね(笑)

――で、いつか見返してやると思って悶々としてたときに、ザ・たこさんのメンバー募集を知ったの?
オカウチ: そうです。「ざ、あいしてる」はふたりで話し合って、“これはもう無理やわ”って結論を出して、解散して。そのとき初めて弱気になったんですよ。で、どうしようかなと思いながら、まわりの知り合いに“ベースおらんかったら声かけて”って電話したり、いろんなバンドのホームページを見たりしてたんです。そんななかで、“そういえば今、ザ・たこさんってどうしてんのかな”と思ってホームページを見たら、メンバー募集をしてるじゃないですか?! “おおっ”って思って、速効、メールして。
――昔から憧れてたバンドで弾いてみたい! っていう?
オカウチ: はい。昔好きやったアイドルとつきあえるくらいの(笑)
山口: アホか。
オカウチ: いや、でも、たこさんのホームページを開いた瞬間ね、ブワ~っと光ったんですよ、パソコンが。ホンマですよ。
全員:爆笑。
安藤: 『ブルース・ブラザーズ』の教会みたいなやつや。
山口: 神の啓示や。
オカウチ: ホンマにそうじゃないかと思いました。

そんなオカウチは徐々にライブで存在感を発揮するようになったわけだが、やがて「ベーシストとして」だけではなく、別の形でもバンドを広く知らしめる役割を果たすことになる。そう、『ザ・たこさんの無限大記念日』というフェス(イベント)の企画・立ち上げだ。

『ザ・たこさんの無限大記念日』は、バンドが結成20周年を迎えた2013年にスタート。1回目は兵庫県三田市・三田アスレチックでの開催となった。

以降、『ザ・たこさんの無限大記念日』は会場とスタイルを変えながら2018年まで続行。2014年と2015年は大阪・服部緑地野外音楽堂で、2016年は大阪・Zeppなんばで行ない、2017年は5月に大阪・味園ユニバースにてフェスではなくワンマンライブの形で行なったあと、11月に『ザ・たこさんの無限大記念日MAXヴォルテイジ』と題したワンマンライブを大阪・服部緑地野外音楽堂で行ない、2018年12月に大阪・なんばhatchで行われた『ザ・たこさんの無限大記念日6』でひとまず幕を閉じた。

どの回もめちゃめちゃ楽しかったし、その時々の景色も込みで記憶に残っているが、自分にとってとりわけ印象深いのは、やはり兵庫県三田市・三田アスレチックで行われた第一回目だ。まわりだけでなくメンバーからも無謀だと言われながら、それでもわけのわからない熱意でいろんなひとを巻き込み、結局バンド結成20周年の感動的な祝祭にまでもっていったオカウチポテト(これまでライブで何十回と聴いた「我が人生、最良の日」だが、あのときほど感動したことはない。僕を含めザ・たこさんを好きでい続けた何人もが三田のあの曲でボロ泣きしていた)。

毎回毎回、前売りチケットが売れず、メンバーとスタッフはいろいろたいへんだっただろうが、それでもとにかく無限大記念日を続けたことでバンドの名前と魅力はそれ以前より遥かに多くのひとに広まったし、ひとつ上のステージにあがったとも言える。それは間違いなくオカウチの功績であり、三田アスレチックや服部緑地野音や味園ユニバースでのあのような景色を見せてくれたことに僕はバンドのファンのひとりとして感謝している。

5thアルバム『タコスペース』は、『ザ・たこさんの無限大記念日』の1回目が三田で開催された2013年9月に発売された(アルバム発売が4日で、無限大が28日。会場には、あの赤いタコスペTシャツを着たひともけっこういたものだった)。

ライブの定番曲であり、バンドの代表曲のひとつでもある 「突撃!となりの女風呂 (On A Blow)」のショートバージョン(ロングバージョンはNAG TIME RADIO and RECORDSから出た12インチに収録)や、やはりライブのほぼ定番曲 「Blue Mountain Blues」といったファンク曲があれば、 「レバー・フォーレバー」「コッチ・マーレー」「飯よ」のように重めの曲もあり、月命日を歌った「チェーンスモーキンな爺さん」やフォーキーな「いいちこお湯割り」のような歌ものもいい仕上がりとなっているこのアルバムは、この前の『ベターソングス』以上にバラエティに富んだ1作。20周年にも相応しい作品だった。

『タコスペース』ライナーノーツ

 ザ・たこさん、実に4年ぶりのアルバムだ。いやぁ、待った。ずいぶん待った。2012年の早い時期には3ヵ月ほどライブを休止して集中的に曲制作を行なったりもしていたので、いよいよかと期待したものだったが、そこからがまた長かった。バンド結成20周年の年だし、さすがにもう作らな! ……ということでメンバーが重い腰をあげたのは今年に入ってからだ。

 しかし録音作業自体はえらくスムーズに進んだそうで、それぞれが“修行”という名の日々の労働をこなしつつも夜な夜な営業終了後のCLUB WATER(*大阪は十三にあるライブハウス。オーナーはザ・たこさんの全作品のミックスを手掛けている元メンバーの松田健)に集まり、迷いなく2ヵ月で録り終えたらしい。それができるならもっと早くに取り掛かってや……と言いたいところだが、ヴォーカルの安藤八主博曰く「いや、言うたらこれがぼくらのペースなんですよ。たこのペース。タコス・ペースなんです」。

 うわっ、そこにかかっていたか、タイトルの『タコスペース』。さすがにそれは見抜けなかったが、そう言われるとこの4年という時間に何やら説得力がでてくるこの不思議。話がでたのでタイトルの説明をもう少し聞こう。「タコスペースというのは、たこの宇宙。たこの世界みたいなことですわ。それと、スペース=空間。ファンクは空間が肝心ですから。で、ぼくらのペース。キャッチフレーズは、“宇宙で踊れ! 空間で踊れ! オマエのペースで踊れ!”です」。おっと、まさかのトリプルミーニング。意味なさそ気なところにこそ意味がある。そのあたりにも“らしさ”がよく表れた全12曲だ。

 前作『ベターソングス』でいうところの「ティーンエイジのテーマ」「モ・ベターライフ」「サヨナラ生活」のような所謂“歌もの”よりも、語感の面白みで攻め立てる曲ばかりが並ぶ。「まじめな歌はうたいたくない」という安藤の最近のモードがそのまま表れ、“な~にを歌にしとんねん!”ってな曲が折り重なっている。一般的に言う“ラブソング”もない。がしかし、愛はある。夢もある。生き様も見える。反復される言葉と言葉の間(スペース)からそれらが立ちのぼってくる。音のみならず言葉においても独特の間が活かされ、音楽が説明的になったり一方的になったりすることを拒んでいる。若いもんには真似のできない、結成20年バンドならではの矜持がそこに表れているとも言えなくない。

 朝起きて金はないけど首が回れば大丈夫と家を出て。夜まで働き詰めで意識は朦朧、飯をもってこんかいなと訴えて。ときにはスッポン野郎やパツキン・ネエチャンにハメられたりもして。帰り道の居酒屋で儚さ噛みしめ、ひとりいいちこお湯割り。家に帰って、結局TENGA。そんなひとりの労働者の終わりなき日常が描かれたアルバムでもある。言うなればワーカーズ・ソング集。けれども男はそんな日常に嫌気がさしているわけでもなく、なんなら愛おしくさえ思っている。なんたって男には夢がある。だから聴いてて力が湧いてくる。オレは男だ!  男には夢しかない! 

 全編ほぼ一発録り。前作よりもライブの熱をダイレクトに反映させることを意図して作られたこのアルバムは、とりわけ山口しんじの縦横無尽なギターの筆致が際立っている。また、マサ☆吉永はあえてあれこれオカズを入れない基本と安定の叩きで通し、2010年末に新加入したオカウチポテトは自らの得意とするところをしかと見せながらバンドへの馴染み感もよく表れたベースをプレイ。シンプルめに行くリズム隊の支えがあるからこそ、ギターは自由自在に動いて色調を変化させ、歌も生々しく響いてくるというあり方だ。では曲と用語の解説をしておこう。

1.「KAMINUMA」。笑福亭仁鶴の口調で安藤が「カミヌマ相談員でした~」と言いたかったがために作られた。『バラエティー生活笑百科』ネタ。前作には笑福亭鶴瓶口調の「これうまいわ~」(「This is Delicious!!」)があったが、その第2弾とも言える。

2.「チェーンスモーキンな爺さん」。煙の似合うサザンソウル。「ダニエルさんはペンキ塗り」もそうだが、毎日同じことを繰り返す爺さんに対する安藤の目線はとても優しい。因みに舞台となるこの店は純喫茶レイコだそうな。「ボビー“ブルー”ブランド(*今年6月に他界した偉大なるブルーズシンガー)なみの痰切り唱法で、“カッ”って入れてみたらうまくいきました」と安藤。

3.「ジ・オールドマン・アップ・ザ・ロード」。ザ・たこさんが毎年出演しているイベント<稲妻フェスティバル>の公式テーマソングとして作られ、同フェスで必ずうたわれていた曲を改めて音源化。ファンク曲が増えたザ・たこさんのなかでは異色のようだが、実はこれこそ王道。“グッモ~~ニン”というコーラス部分におけるオカウチポテトのバスヴォーカルも効果あり。ブルースブラザーズの「ソウル・マン」でエルウッド(ダン・エイクロイド)が“ソ~~ルメ~~ン”とうたっているようにやってみろと山口が指導したそうな。

4.「レバー・フォーレバー」。牛レバー生食禁止に対しての思いを歌に込めた、妖しくも泥臭いスワンプ曲。「スワンプ(沼地)ということで、最後はエイドリアン・ブリューなみの牛ガエル奏法でしめてみました」と山口。

5.「BLUE MOUNTAIN BLUES」。名曲「猪木はそう言うけれど」から14年。「馬場がいるから猪木がいる。猪木がいるから馬場がいる。馬場と猪木がいるからザ・たこさんがある」という安藤の思いから書かれた1曲だ。ジャイアント馬場、本名・旧リングネームは馬場正平(ばばしょうへい)。アントニオ猪木。本名・旧リングネームは猪木寛至(いのきかんじ)。ターザン山本、和田京平レフェリー、元全日プロ社長で馬場夫人の元子らが会したキャピトル東急ホテルの喫茶オリガミで、馬場が和田に向かって言ったのが「やっぱコーヒーはブルマンだよな」。因みにマテ茶を日本に普及させたのは猪木である。……などと解説するのも野暮ってもんだが、そんなプロレス事情を知っていようがいまいがこれは昂る。

6.「いいちこお湯わり」。結成当時に作られ、カセットテープ10円で販売していたという楽曲を再録音。もともとは吉田拓郎ふうにうたわれるフォークソングだったが、原田芳雄を経由してこうなった。“空き缶蹴飛ばして歩いてる”や“オヤジのハゲ頭”といった描写はまさしく昭和。松田健がアコギを弾いている。

7.「コッチ・マーレー」。人を陥れるしつこい連中から追われて「こっち回れ!」と逃げているイメージ。ニューオーリンズ・ファンク的なグルーヴの粘っこさが“奴ら”のしつこさを表わしているよう。

8.「殺し屋のテーマ」。これも結成当時の曲の新録音。初代ドラマー、ドンパッチ芝野の父親が詞曲を手掛けた。終わり方は山口によればアニメ版『サスケ』の“次週に続く感じ”。また、ヴォーカルの響かせ方は『アパッチ野球軍』のエンディングテーマのイメージで、「ヤーっ!」といった安藤の声は『サタデー・ナイト・ライブ』におけるジョン・ベルーシの『サムライ・デリカテッセン』からきているとのこと。

9.「突撃! となりの女風呂(On A Blow)」。6月に発売された12インチ・シングルには12分に及ぶほぼライブ通りのバージョンが収められていたが、これはそのショート・バージョン。ジェームス・ブラウン「セックスマシーン」に出自を持ったリズムで、かつて銭湯通いだった安藤が自らの夢をうたったファンク曲。

10.「飯よ」。「メイシオ!」とパフォーマンス中に自らのホーン隊J.B’sのサックス奏者メイシオ・パーカーの名を叫んでいたのはジェームス・ブラウンで、プリンスもそれを真似ていたものだったが、腹がへって「飯を!」と叫ぶのが安藤。それにしても、かつて“疲れマラ”という言葉が使われた歌があっただろうか?!  

11.「Roll Your Neck」。昨年、「バリバラ~愛のテーマ」と共に配信限定でリリースされた曲(Eテレ・障害者情報バラエティー『バリバラ』のエンディングテーマ)の新録音ロング・バージョン。“朝起きて~金がない~”といった前ふりがついたことにより重みがでた。

12.「(Make it)FUNKY TENGA」。オリジナル・バージョンは12インチ・シングル「突撃!となりの女風呂(On A Blow)」のB面に収められていたが、これは“使用後バージョン”。ピピーっという音がTENGA型宇宙船との交信のようにも聴こえてくる。ベースライン含めてPファンクの趣。まさかTENGAで果てて宇宙に行き着くとは!    

                                                                                       2013年7月、内本順一










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?