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『ケイコ 目を澄ませて』(感想)

2023年1月3日(火)

テアトル新宿で『ケイコ 目を澄ませて』。

新年初観映画は巷で大変評判のいい、この作品。以下、ネタバレを多量に含む感想なので、これからご覧になる予定の方は読まないように。

数多のボクシング映画と違うのは、聴覚障害を持つ女性ボクサーという設定だけじゃない。ボクシングを扱っている大半の映画にある敗けからの勝利といったカタルシスは、ここにはない。潜在的にあった才能が何かのきっかけで目覚めて(引き出されて)最後に勝利する……というのが多くの格闘スポーツもの映画のパターンだが、この作品の主人公は特別な才能があるというわけでもなく、ジムの会長(三浦友和)はスポーツ誌の記者に「小河さんは才能がありますか?」と聞かれて「才能はないなぁ。体も小さいし。でも…」と応えている。才能のあるなしじゃない。そこまでの才能はなかったとしても人は何かのきっかけで何かに打ち込み、だけどふとしたことでやめたくなったりもする。やめたくなったりもするけど、これまたちょっとした理由でやっぱりやめずに続けたりもする。自分もそうだ。音楽ライターとしての特別な才能なんてありゃしないけど、何かを燃やせている充実感が時々得られるから続けている……けど過去に何度かもうやめたほうがいいんじゃないかと思ったことはある……けどやっぱり続けている。そこにものすごく明確な理由があるわけじゃない。そんなもんだ。ケイコがこのあとまだボクシングを続けるのかどうかだってわからない。わからないけど、今何かを燃やせているものがあることが重要なんであって、ジムのみんなもそれを過度に優しくなく当たり前に支えている。その温度感がいい。つまりここで描かれているのはケイコのある期間の日常であって、ドラマチックな物語とか勝利の大団円とかそういう特別なことじゃなく、要するにライフ・ゴーズ・オンってことなのだな。

岸井ゆきのが素晴らしい。三浦友和もまた実に素晴らしい。三浦友和はいつも素晴らしい。仙道敦子もとてもいい。

それから16mmで撮られた荒川のざらついた景色映像。光。空。電車。土手。路地。階段。が、印象に残る。

聴覚障害を持つ人の見る世界なので音(音楽)はない。劇伴がないし、エンディングで曲がかかることもない。故に観客は感情を誘導されることがなく、ただ「目を澄まして」感じ取る/読み取ることしかできない。故に深い余韻も残る。我々は普段、いかに劇伴などに感情を誘導されているかが身に沁みてわかる(もちろんそれが悪いと言いたいわけじゃない)。

あと、聴覚障害と言えば去年自分はドラマ「silent」にハマり、SNSで言われているほど聴覚障害に対する理解の浅いドラマだとも思わずに見ていたのだが、こうして『ケイコ 目を澄ませて』を観たあととなると、あっちはそれをひとつの装置として使っていたところがあったのもやっぱり否めないかな…と、ちょっと思ったり。まあ比較すべき対象ではないのですが。


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