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『マウリポリの20日間』(感想)

2024年5月8日(水)

吉祥寺アップリンクで『マウリポリの20日間』。

惨劇。
絶望。
容赦なし。
まるで地獄絵図。

「戦争は爆発ではなく静寂から始まる」。
冒頭でジャーナリスト(AP通信のウクライナ人記者)でありこの作品の監督・撮影・製作を務めるミスティスラフ・チェルノフが静かにそう話すが、まさしくその怖さを見ている間中ずっと感じていた。爆撃や砲弾を予感させる音はなく、まさに静寂の次にいきなりそれがくる。そのリアル。戦争の本を読んでもニュースを見てもそういうものだということはわからなくて、この映画を観てその怖さを初めて実感できた感覚がある。

ニュースを見て知っていた映像もある。いや、知った気になっていた映像というべきだろう。ニュースでは、こういうことがありました、ということしかわからない。その際にもきついなとか辛いなとか何をしてやがんだという感情はわくけど、CMが入って次のニュースが映しだされてまでその感情を長くキープし続けることはそこまで多くはない。ニュースは流れていく。留まらない。ところがこのようにドキュメンタリーフィルムとなって1日1日、日を追って、約1時間半、目をそらすことなく見るとなると、そこで初めて戦争の本質(のようなもの)がわかることになる。ましてやここでの映像は監督・ジャーナリストが文字通り命がけでカメラを回したもので、そこでの言葉を聞きながら観ることになるので、同じ目線、同じ圧迫感に”近いもの”を自分も感じることになる。同じ対象を映したものであっても、ニュースで見るのとこうして映画として観るのとではあまりにも違う。情報量、それ以上に体感性が違う。こうして観ることで、改めてそこと繋がっている世界、同じ時代に自分は生きているのだという事実をつきつけられることになる。つきつけられるのはきついけど、つきつけられなくてはいけない。目をそむけてちゃいけない。そう思った。

観終わって、劇場を出て、吉祥寺の街を歩きながら、この気持ちをどこにどう持って行けばいいのか難しく感じた。それからしばらくしてカレーを食べ、こうやってカレーなんぞ食べてる自分はまったくいい気なもんだよなと思った。その店でSNSを見て、イスラエル軍のラファ侵攻の新しく入った情報を知る。狂っている。何も終わらない。同じ地獄が起きている。地獄が続いている。これが起きている場所と繋がった空の下、同じ時に、我々は生きている。

(今自分の住んでいる)”ここ”がいつあのような静寂に包まれ、その静寂からいつ”それ”が始まったっておかしくない。


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