見出し画像

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』感想。

2021年11月28日(日)

吉祥寺アップリンクで、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』。

休みだしなんか映画観に行こう、何がいっか、と妻と話し、妻の意向に沿ってこれを観に行った。自分はなんの前知識も入れておらず、原作本も紹介文もレビューも一切チェックしていなかった。結果的にそれがよかった。

というわけで、ここからは観る前に読まないでいただきたい。内容を知らずに観たほうがいい。また、12/1からNetFlixで配信されるのだが、これは劇場で観るべき作品だ。どうしてそう思うかは観ればわかる。

ティーザーは見といてOK。トーンはわかっても、内容はわからないから。

感想がそのままネタバレになってしまいそうで書くのが難しいのだが、とにかく「くらった」。

最近観たなかで最も「くらった」&「後味がよくなくしばらく居座った」映画は『最後の決闘裁判』なのだが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』も章立てで進むなかで真実に近づいていく作品であり、「有害な男らしさ」について考えざるを得なくなる作品。

構成が見事。この話はどこへ向かっているのか、わからないまま観ることになるが、徐々に登場人物たちの複雑な関係性がグルーブを持ち始め、わからずに観ていた場面の意味が明らかになる。

「有害な男らしさ」を描いているとはいえ、『最後の決闘裁判』と決定的に異なるのは、カンバーバッチ演じるフィルにそのように生きていくしかなかった背景/理由があるところだ。粗野で横暴なようで繊細、リーダー的だが限りなく孤独、そういう複雑さと奥行きを見せるカンバーバッチの演技が見事。

フィルに限らず主だった登場人物たちにはそれぞれみな、そうやって生きていくしかなかった理由がある。見た目や普段の振舞いとは裏腹の側面を持ってもいる。ひとは誰でも見た目や普段の振舞いでは計り知れない、ということだ。

「ひと」だけでなく、動物から景色までに独特の官能性を含ませて撮っているようなのが印象的。

そしてジョニー・グリーンウッドの音楽が終始不穏。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?