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「あしたのために あしたのジョー!展」

2021年1月31日(日)

世田谷文学館で、「あしたのために あしたのジョー!展」。

「あしたのジョー」にはかなり特別な思い入れがある。というか、「あしたのジョー」を好きなひとにはみんなそれぞれに個人的な強い思い入れがあるだろう。「あしたのジョー」とはそういうマンガだ。

出会いはアニメ版のほうだった。初回の本放送のときは、たまたま見たのが少年院でジョーがリンチを受ける回(ねじりん棒に、パラシュート部隊!)で、当時小学生だった自分は怖くて見るのをやめてしまった。が、それからしばらくして朝の再放送が始まったとき、学校に行く前に夢中で見た。アッパーカットをうけてマウスピースが口から飛び出しゆっくり空を舞う描写を見たとき、ボクシングにまったく知識のなかった子供の僕は、顎の骨が口から飛び出しているのだと思って恐ろしくなったものだ。

漫画版を初めてちゃんと読んだのはそのあとだいぶ時間をおいてからで、高1のとき。当時、自分は学校に行くのがたまらなく苦痛だった。西武池袋線の清瀬駅から30分近く歩かないと着かない学校だったのだが、歩いてる途中で完全に行く気が失せ、公園のベンチに座って「あしたのジョー」を読んでいた。「あしたのジョー」を見るともれなくその頃の自分を思い出す。

といったことはいいとして、「あしたのために あしたのジョー!展」。ちばてつやの原画が間近で見れることにまずは興奮する。その手描きの絵には非常に躍動感があり、ちば氏の熱がこもっていた。何度も読み返した漫画だが、原画のその熱と迫力に改めてやられた。いまとは漫画表現の技術も方法もまるで違う時代だが、あの時代だからこその熱量だと言えるだろう。まさにペンに魂がこもっているというような。

高森朝雄(梶原一騎)の文字原稿とちばてつやの漫画が上下に並べられ、比較できるそれも興味深かった。梶原の原稿からしてものすごい熱量だが、ちばてつやはむしろ熱をいったん冷まして、自分なりの冷静な目線でどこを削いでどこを生かすか取捨選択していたようだ。その過程でふたりのぶつかり合いもあったと聞くが、多大なる信頼がまずあったわけで、両者のその関係性にも思いを馳せた。ジョーと力石。そういう、今で言うならブロマンス的な親密さが、梶原とちばの間にもあり、それによって生まれた傑作なのだろうと考えた。

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真っ白になるあの最後の名シーンは、やはり最後にあった。写真が撮れるようになっていた。妻に頼んで撮ってもらった。撮るでしょ、そりゃ。

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3月31日まで。


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