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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』

2021年9月11日(土)

渋谷シネクイントで、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』。

大評判になっていて、週末はたいてい当日券が完売だったのだが、ようやく前もって予約して観ることができた。こういう種類の音楽ドキュメンタリー映画がここまでヒットするのは珍しいのではないかと思うが、いいものはいいものとして評価が広く人々に届くようになったのはSNSの良い点だろう。

自分は既にたくさん出ている解説や絶賛レビューなどをあえて読まずに観に行った。なので、「これまで埋もれていた歴史的なフェスの映像が発掘されて、それが凄いものだった」というそれくらいのものと勝手に思い込んで観たのだが、そうじゃなかった。その程度じゃなかった。歴史的なフェスの超レアな映像で、素晴らしいパフォーマンスをたくさん観ることのできる音楽ドキュメンタリーであることは間違いないのだが、それを大前提とし、これは「映画として」傑作だった。

そのフェス「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が開催されたのは1969年の夏(6月~8月の6日間)で、近い過去とその当時のニュース映像(ベトナム戦争、ジョン・ F. ケネデイやマルコム Xやロバート・ケネデイやキング牧師の暗殺、アポロ11号の月面着陸まで)がいくつも挿入されるのだが、それが単に「この時代はこういうことがあったんですよー」といった説明として用いられるのではなく、その全てがそこでのアーティストのパフォーマンスや歌詞内容に直接的に繋がっているのだ。そしてその大半が、あそこから50年以上経った現在の社会問題にも繋がっていて、「50年以上経って一体何が変わったんだ?」と問いかけてくる。そういう作りになっている。発掘されたフェスの映像をそのまま使うのではなく、そのように構成して「映画にした」クリエトラブの仕事は本当に偉業だ。心底素晴らしいと思う。

また、フェスの出演者(またはその家族)が50年経って初めてその映像を見て、当時の自分とそのフェスに出たことの意義を回想し、捉え直す場面も。そういうやり方でも、映画は当時と今とを繫げてみせている。クエストラブの使命感と情熱と人間味を強く感じる。

クエストラブはドラマーでDJでもあるだけに、テンポ感と繋ぎ方が本当に巧みだ。どのアーティストのどの曲のパフォーマンスをどこに持ってくれば、映画としてドラマチックになるか、メッセージが効果的に伝わるか、考え抜かれている。若きスティーヴィー・ワンダーのドラムソロが初っ端に来て(スティーヴィーのドラムソロなんて今までほとんど観たことなかったよ)、後半のスライ&ザ・ファミリー・ストーンのドラマー、グレッグ・エリコの言葉に回収されていくあたりとか見事なものだし、そこにクエストラブ自身のドラマーであることの思いも託される。巧みだなー。

自分がこの映画を観て何より強く感じたのは、やはり困難な時代にこそフェスが必要であり、重要だということだ。それもクエストラブ(彼はルーツ・ピクニックというフェスを立ち上げたひとでもある)が伝えたかったことの大きなひとつだろうと思う。パンフのクエストラブのインタビューにこうある。「ザ・ルーツがジミ・ヘンドリックスのように1993年から1997年くらいまでイギリスに移住しなければならなかった最大の理由は、ヨーロッパには700以上の音楽フェスティバルがあるからです」「ヨーロッパには音楽フェスティバル文化があることを知っていたので、私たちは4年間ヨーロッパに移ることにしました」

ウイルスのパンデミックでかつてないほど困難に陥ってしまったこの世界に、フェスはどのようにしてあり、どのようにして開催されるのがいいのか、フジロックに参加したこともあって、このところ前以上によく考える。1969年というあのような意味で困難だった時代には、ウッドストックがあって、このハーレム・カルチュラル・フェスティバルがあった。2021年にああいう形でフェスはできない。密になってはならないから。けれど、今のような困難さに対して、単に「フェスをやらないこと」は解決策になんかならないと自分は思う。この時代ならではのやり方のフェスが必要なのだ。と、そんなことも自分はこの映画を観てすごく考えた。困難な時代だからこそ、人々が喪失感に耐え続けているときだからこそ、(クラスターを発生させない)フェスがあってほしいと。

そして思ったんだが、非難轟々だった今年のフジロックも、クエストラブのようなとは言わないまでも情熱と知識と技術と音楽愛を持った誰か優れた監督が、ミュージシャンたちのステージ上の切実な言葉と熱演場面とパンデミック下の日本のニュース映像とをうまくまとめて1本の映画にでもしてくれたら、ものすごく貴重な歴史的記録になるし、今年のフジの評価自体が変わるんじゃないか。この「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」がそうであるように、意義のあったフェスとして後々捉え直される日が来るんじゃないか。

と、そんなこともグルグルと頭のなかを巡った映画だったのでした。

いやそれにしても、スライの「エヴリデイ・ピープル」と「ハイヤー」、ニーナ・シモンの「バックラッシュ・ブルース」と「トゥー・ビー・ヤング, ギフテッド・アンド・ブラック」は強度あったな。50年経った今にこんなにぶっ刺さるとはね。驚きですよ。

↑監督したクエストラブのコメント映像。わかりやすくこの映画のメッセージを伝えてくれているので必見です。下はトレーラー。

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