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「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」

2021年2月4日(木)

東京都現代美術館で、「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」。

以下、感想を箇条書きに。

物量と熱量に圧倒された。と共に、分野の横断の仕方にも。

パルコの作品群。70年代のものであるにも関わらず、デザインのメッセージとコピーが2021年の今にぶっ刺さる。わけてもジェンダーに関しての捉え方・考え方。爪の垢を煎じて森喜朗に飲ませたくもなるが、飲んだところであのひとに理解できるとも思えない。

コピーはコピーライターによるものだが、石岡瑛子から発せられる言葉として伝わってくる。石岡瑛子の言葉になっている。自分の言葉にならないならばそれにOKを出さなかったわけだ。

どこを切り取るかに迷いがない。「地獄の黙示録」のポスターしかり。マイルスの「TUTU」のアートワークしかり。ごちゃごちゃさせず、「ここ」というところだけを大胆かつシンプルに切り取る。少しの無駄もない。それゆえの強度ある伝達力。

普遍性と革新性がこんなにも両立するなんて!  という驚き。山本海苔のパッケージデザインが、まさに。

言い切ることの強さとかっこよさ。作品はもちろんのこと、降ってくるような彼女の(インタビューの)言葉を聞いててもそう思った。言葉のひとでもあったわけだ。

印刷に際しての色指定の言い回しが独特かつ的確。例えばMを何パーセント上げてYを何パーセント落とす…みたいな数字での説明ではなく、ここを鮮やかにしないとこういう感情が伝わらない、それでは意味がない、というようなエモーショナルとも言える指定を書く。印刷所にとってそれは困難なことだと思うひともいるかもしれないが、むしろそういう指定をされたほうが担当者も理解しやすいはずだし、頑張ろうという気にもなるだろう。つまり印刷所とも彼女はしっかりと共犯関係(信頼関係)を築いていたわけだ。そうしなければ、血や、汗や、涙は、デザインできないから。

グレイス・ジョーンズの躍動的な肉体表現、生命体としての稀なるパワー。それと石岡瑛子のメッセージのこれ以上ない相性。最高の共犯者。

コラボレーションというものの未知なる、そして無限の可能性。そのことについて改めて考えさせられたりも。



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