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『ワンダーウーマン1984』

2021年1月20日(水)

TOHOシネマズ新宿で、『ワンダーウーマン1984』。

久しぶりに電車に乗って街へ出る。新宿を歩くのも劇場で映画を観るのも今年初だ。街はさすがにひとの数が少ない。悪いことじゃないが、ちょっと寂しい。

映画を観て、カフェでコーヒー飲んで、街ブラして、本屋・レコ屋・服屋などのぞいて、お酒を呑んで帰る。これが自分にとってのステキな休日な過ごし方だった。コロナ禍でそれがしづらくなり、いまは飲食店が20時閉店なので昨日は「呑んで」の時間がとれなかったが、それでも久々に街をブラついて気が晴れた。自分は定期的に街ブラしないと息苦しくなる生き物なのだ。

封切から時間が経ってしまったが、ようやく『ワンダーウーマン1984』を観た。設定がユルい…というか雑。「なんでも願いが叶う魔法の石」となれば最早SFではなくファンタジー。マーベルならば隙のない脚本と最新の技術でそこに説得力をしっかり持たせるわけだが、DCはそのへんの稚拙さが相変わらず。アクションシーンにも何の驚きもなく、ハンス・ジマーの音楽によってどうにかドラマチックっぽく展開しているような気にはなる、というくらいのレベル。いまの世界に必要なメッセージを…というのはわかる。が、そこへの持っていき方が雑なので、泣くに泣けない。みたいな。あと、80年代という絵的にもおいしい時代設定なのだから、そこで面白くすることももう少しできたのに…という勿体なさもある。

と、残念なところはいくらでもあげられるんだが、つまらなかったかといえばそういうわけでもなく、久々に劇場で映画を観ることの嬉しさも手伝ってそれなりに楽しめた。前作『ワンダーウーマン』よりかなり明るいトーンになっていたのも、いま観る作品としてはよかった気がする。

「いま観る作品として」という意味で、もうひとつ。ヴィランのマックスをドナルド・トランプに重ねて描いたところがタイミング的にもポイント高し。大袈裟な身振り、うさん臭さ、せこくて小心で自己顕示欲のかたまりといったところがまさにで、わけても断末摩の叫びがトランプの心の叫びそのものに聴こえて笑ってしまった。子供を思う気持ちがあれだけトランプにもあるのかどうかは知らんけど。

完璧に見えるダイアナ(ガル・ガドット)に対するバーバラ(クリスティン・ウィグ)の感情の変化も、(特に中盤あたりまでは)「わかるなぁ」といった感じで、そのへんは女性監督ならではのよさが出てた気がした。あのテーマ(友情からの嫉妬)をもう少し深み持たせながら最後までうまく描ききれてたら、もっと評価される作品になったんじゃないか、とも思ったし。

更なる続編がもしもあるとしたら、よりダイアナの内面に深く分け入ったものを観てみたいかな。

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