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息子のめがね

私の息子は今小学校2年生で3歳半からめがねをかけています。

もともと子供を産む前から私の父が色覚障害があったので、私は保因者となるのことがわかっており、男の子が生まれた時は程度はあれどほぼ色覚障害の子供が生まれることは承知していました。

生まれて最初の乳幼児健診で、医師に「今は小学校での色覚障害の検査も昔と違って無くなってしまったので、ある程度大きくなったら自発的に受けるといいかもしれませんね」と言われていました。なので目のことには少し敏感になっていました。3歳半の健診で視力検査がありましたが、事前に家で検査して記入するものでした。3歳半の息子に私がする検査では不安だったので、当日検査はしてもらうようにお願いしました。

すると、左目がどうも見えてないとのこと。もちろん再検査になり、眼科受診をしました。視能訓練士さんにいろんな検査をしてもらったところ、左目は弱視、さらに立体視も出来ず(3D画像が見えてませんでした)、乱視もあるとのこと。先天的なものとは言われ、私が悪いわけではないと頭ではわかっていながら、たまらず身体は反応し、涙が溢れてきました。小さい頃からスマホの画像を見せて、大人しくなることもあったので、見続けることはないまでも、よく見せてはいました。「私が気をつけていればこの子はこうならなかった?」

弱視がわかってから医師の指示のもとアイパッチを良い方の目につけて、弱視の方の目を積極的に使うという訓練を毎日4時間やりました。幸い保育園も理解のある保育園だったので、協力が得られ本当に助かりました。家で行う時は医師から出来るだけ目を使う方がいいから、タブレットを見ることもすすめられました。なので、逆に私が避けた方がいいと思っていたものを積極的に使うことになったのです。

無事アイパッチの訓練も実を結び、順調に視力は回復し、5歳になるとアイパッチの訓練はなくなりました。でもめがねはずっとかけ続けなくてはいけないものとなりました。めがねをかけ続けることは息子にとってはわずらわしいのと、やはり周りにかけている子もいないことから、いつしか「かっこわるいもの」となっており、気が付くとかけてないこともありました。

先日「めがねこの作者さんが来て一緒に写真が撮れるらしいよ」と仕事場の同僚に言われました。「めがねこ」が最初はわからず、何の話と聞いているとどうも絵本のタイトルだそうで、当日その同僚がサインをしてもらったと嬉しそうに見せてくれました。絵本の帯には「めがねはかっこいいのだ!!」の文字。もしかしてと思ってみてみると、シュールな絵のめがねこはメガネ屋さんでいろんな動物たちのめがねを作っている。そのめがねをかけた動物たちはみんな幸せそうでした。「これは息子が喜んでみてくれるかも。めがねはかっこいいものと思ってくれるかもしれない」と思って早速購入。作者の柴田ケイコさんに息子の写真を見せると息子の似顔絵を描いてサインをしてくれました。柴田さんに息子が弱視であることを話すと、柴田さんの息子さんも弱視だったとのこと。息子さんがきっかけでこの本を書いたとお話しされていました。

家に帰って「お土産だよ」と絵本を渡しました。本が大好きな子ではありますが、「さっそく読んで」と言ってきました。内容もとても気に入ったようで、久しぶりに何回も「読んで」攻撃に会いました。そして帯に書いてあった「めがねはかっこいいのだ!!」という言葉を自分でも言っていました。

小さな子どもは自分がよく見えていないことを自ら説明することはできません。ある程度大きくなっても、生まれてからずっと見えていなければ自分が見えていない状態なのかわからないからです。なので成長の過程でスクリーニング検査することが大切なのだそうです。
現在、子どもの弱視は2~3%の確率、50人に1人います。4歳以下に治療が開始できれば95%の弱視は改善します。でも3歳半の検診で気づかず、就学前に気づく方も多いそうです。幸い私は色覚障害の心配があったので、慎重になっていたおかげで発見できたように思います。

このことをいろんな方に知ってもらいたいと思っています。そして知らない人に伝えてもらいたいとも思います。早く気付くことで、その子の可能性が変わるから。

そして、弱視だけじゃなく障害を持っている方たちにも知ってもらいたい。

一見障害はかわいそうだとも思いがちではありますが、めがねをかけていることが個性と思われるように、障害といわれるものも人と違う個性の一つなんだということ。めがねのように道具を使ってその人が生活しやすいように環境を変えることや周りの人の理解でその人が生活しやすいように互いに協力し合えること。私は仕事で認知症高齢者の方にかかわっていましたが、一般的に障害を抱える対象者である認知症の方の支援をする中で私自身が癒され、教えられてきたことがたくさんあります。一方的な支援でなく、ひとはお互いの個を認め、相互に支援し合えることを知ることで、人はつながり循環します。

読んでくれた方の思いの何かきっかけになればいいなあと思います。