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古代のタイムスケール、やばい。

最近の記事に何度も書いてしまっていることですが、明治維新から終戦と、終戦から現在が、同じ77年間なんですよね。

同じ時期の世界史の出来事を見てみると、

・現在
 ↓77年前
・第二次世界大戦の終戦
 ↓77年前
・普仏戦争/南北戦争のころ
 ↓77年前
・フランス革命/アメリカ独立のころ

というふうに、出来事間のタイムスパンの感覚がこんなものなのか、ということが何となく見えてきて、気付きがあります。

よく考えてみると歴史記述というのは、現在に近付けば近付くほど記述の密度や解像度が高くて、逆に古代ほど大雑把だったり、1つの時代区分のまとまりが数十年の場合もあれば数百年の場合もあるなど、縮尺が大きく歪んでいるよなあと思いまして。

年号を等間隔に刻んで書いたときの歴史の流れってどのようなものだろう、と調べていくと、最終的には古代のタイムスケールの大きさに驚きます。

そもそも、『地球誕生から現在までを1年だとしたら、現世人類が登場し農耕を開始するのが12月31日の午後11時58分だ』というような話はよく目にしますが。

先史時代を含めなくても、有史時代だけで見ても、だいたいの時代区分の割合って下図のような感じになるのだと気付きました。

なんと、現代のちっぽけなことか。

諸行無常を感じます。

このような流れの中で、"歴史がある"とか、"文化の権威"とかって、いったい何なのでしょうかね。特に近代文化について。

この図だと、バッハですらかなり右端ですよ。

何が「音楽の父」なんでしょうか(笑)

盛者必衰、諸行無常というか…
文化というものの脆さを感じました。

歴史があるからとか大事とか、権威があるからとか、そういうことではなくて逆に、文化や歴史というものは簡単に覆ったり消えたりする脆いものだから、だからこそ、目の前に感動したことや大事にしたいと思ったものを大事にしないといけないのだと思いました。

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