なぜ僕は俳句をやめたか【精神編】

『僕は時々どうしようもない不安を感じます。原因もわからないし、わかってもどうしようもない不安です。そしてその不安は、確実に心に残り続けるのです。毎日が楽しいからこそかえって心に強く影を落とすのかもしれません。

そんな放っておけばよい心の弱さをわざわざ拾いあげて、それが目の前の情景と結びついたとき、僕は五七五を作ります。見えない心の弱さを、俳句という一本の試験管のような目に見える形にして不安を癒すのです。』

これは僕が某賞を受賞したときに寄稿した文章の一節である。

今読んでもこれは僕の俳句観の一部を表す文章であり、『試験管』という比喩も実に自然な跳躍だったと思う。

これを極めた結果、僕は行き場をなくし、句を作るのをやめた。

というのは、おいしいごはんさんへのリプに書いた通り、句作とは僕にとって創作というより瞑想のような精神的な作業に近く、どれだけ作為性を排除するかだけが至上命題であり、出来立てほやほやの十七音に見え隠れする肉感的なエゴをいかに削ぎ落とすか、どれだけ空白に近い透徹なものにするかだけが、蜃気楼のような美への道だと確信した。

僧侶の修行のようなストイシズムを見出していたかもしれない。

しかし、十五歳でそのようなことを考えるのは、我ながら早熟な文学徒と思うが、周りに皆無であり、残念ながらその本人もそれを言語化する術を持つにはまだ青かった。

それはやがて失望に変わり、ただ一人でやり続けることに意義が見いだせなくなった。

受賞がなければそのまま僕は自身の精神的な竹林の中で一人黙々と竹を割っていた。しかし偶然、竹林はスポットライトが当たり、世間の評価となり、僕はその眩しさで道を見失った。

そのライトに抗し、もう一度見つけられるほどのしなやかさが僕に足りず、あまりにも未熟だった。

思ったより早く山頂を見たような気になってしまった。国語の先生に句作の個人的添削を受けたが、僕がコツの飲み込みが早かったのを見て取ると、先生は自身の娘で既に俳人として活動している某女史を紹介してくれた。

某女史は僕をとても熱心に指導してくれた。その先にあったのが先述の受賞であり、正直うれしさもあったが、これからジェットコースターに乗って頂点から落ちるぞ!というときに頂点で止められ、ジェットコースター終わりです、おめでとうとみんなから拍手を受けている気分だった。おめでとうシンジくん。

新聞からの取材も受け、小さな記事になり調子に乗ってわかったように達観してしまった。それは飽きに繋がった。

プレッシャーに弱かったのかもしれない。次も何か賞を取ってくれるのでは?という期待を周囲の関係者からひしひしと感じた。その心の弱さを掬い取る方法に『試験管』は適さなかった。

早すぎる賞賛は、かえってその芽を伸び悩ますのかもしれない。

僕だけの世界だと思っていたものが、突然様々な人々が来訪し、己の若さと未熟さで僕は世界を見失った。

数年経過し、ただ残ったのは俳句という箱庭を愛していたという事実と、まだそれを愛しているという残り火だけだった。


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