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野菜=無心になりたい、に気づく

ご縁で繋がっているお友達から、お野菜を分けて頂いている。お母様が菜園で育てているお野菜。

ピンポーンと宅急便が届く。小走りして玄関に出る。
箱を開くと新聞紙に包まれたお野菜たち。土と太陽の匂いをたっぷり吸い込む。

葉つきの大根とにんじん、里いも、
ほうれん草、見たことのない青菜(不勉強。。。)、ラディッシュ、
季節のお野菜ギッシリ。
それと、愛らしいお花たちも。

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同じお野菜を頂いている方々と、グループチャットで繋がっている。
その名も「◯◯◯(お母様のお名前)の畑」。
お野菜送りましたの連絡や、食べた感想などを
自由に語り合っていて、食の専門家からは栄養面でのアドバイスがあったりもする。
関心が高いのが、いわゆる「つくれぽ」。
創意工夫しつつも、素材を存分に活かしたシンプルなお料理に感心するばかりか、写真と簡潔なレシピに好奇心をそそられる。
何より「お野菜」という共通項だけで繋がっている、この時空間がとても心地良くて癒される。

食に関しては、子どもがアレルギー体質なこともあり、自然食の宅配便を中心に取り寄せしていて、有り難いことに子ども達は好き嫌いがほとんどない。しかし、いま思うと、食への愛情や想いはそれほど感じてなくて、「より美味いものを食べたい」「バランスよく栄養を取る」、そういったことに焦点が常にあった。
食育をかじっているので、「いのちを頂いている」という感覚はあるけれど、なんというか頭で分かっていても肚落ちできていなかった。
そういえば、田舎の亡祖父母から届くお米は格別に美味しくて、農作業での苦労を知っていたからとても有り難く、一粒も残せなかった。

作り手の顔が見えることは、
「食べる=いのちを頂くことにより、生きている=生かされている」
それを私自身が実感すること、なのかもしれない。作り手と頂くいのちへの感謝の念を忘れてはいけない。

世の中には不安なニュースばかりが流れ、
心の何処かや頭の片隅に、不安という薄暗い雲が常にある。
それをチラチラ気にしながら生活していて、
邪念なく「無心」でいられること、「夢中」になれることを必死で探している私がいる。

お野菜の土をタワシでこすり落とすときの爽快感。
箱の中でシュンとなった葉が、ちょっと熱めのお湯に浸した後のシャンとなる様。
皮を剥く、茹でる、そのとき刹那にいのちが香る。野菜の声が聞こえるよう。

頭も心もポカンとした真っ白な状態で、キッチンに向かいひたすら手を動かす。
ご機嫌な音楽をかけて鼻歌を歌いながら。
出来上がった料理に、家族で手を合わせて「いただきます!」と声に出す。

いまはこの時間に夢中で、たまらなく愛おしい。


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