タイパの時代に
近頃、若者の間では早送りして、曲ならサビの部分、映画ならシナリオだけ確認して了とするのが流行っているようだ。これを称してコスパならぬタイパ(タイムパフォーマンス)と呼ぶらしい。こんなことをして何が楽しいのか、昭和レトロ世代の私には理解できないでいる。果たして時間がもたらしてくれる豊かさや有難さは、何かを知る、何かを得るための効率を求めて生まれるものだろうか。
数年前のことになる。常勤で働くことを終えて、送別会など一連の行事も一段落した師走のある日、ふと思い立って上野の森に散策に出掛けた。たまたま訪ねた東京都美術館では「ハマスホイとデンマーク絵画展」が開催されていた。室内で顔を見せず後ろ向きに立つ女性。家具など調度品との配置の妙を描いた名画に包まれて、館内全体に静謐な空気感が漂う。
絵画展を観た後、黒田記念館が入る建物一階にある上嶋珈琲店に立ち寄った。通りに面したテラス席でストーブで暖を取りながら、温かい飲み物をオーダーしてしばし憩いの時を過ごした。寒い日で人通りは多くなかったが、近くにある東京藝大の学生なのか、時折スケッチブックを小脇に抱えながら上野の森を行き交う。紅葉の時期を過ぎ色を落とした落葉が風に吹かれて舞い上がる。
何を見るでもなく、何を考えるでもなく、ただ佇んでいるだけだった。何かを成すために多くの時間を費やして来たこれまでを振り返って、何もせず、ただ時の流れそのものを味わうように過ごす自分がなんとも贅沢に思えた。この心地好さはいったいどこから来るのだろう。ストーブで温まりながら、ついうとうと眠りこけてしまった。
夢の中で一つの絵画がおもむろに頭に思い浮かんで来た。今も記憶の底に眠るその絵は、フィレンツェで声楽を学ぶ女性の下宿先の薄暗い部屋の壁面にかけられていた。ターバンを巻いた二人の男が砂漠の小高い丘に佇んで、静かに暮れていく夕陽をじっと眺めている。その眼差しは砂漠の地平線の彼方に暮れなずむ夕陽の光芒が静かに消え入る瞬間を捉えていた。砂漠を背景に迫り来る漆黒の闇を描いた構図、徐々に沈み行く夕陽の色味が絶妙だ。何よりも、まるで時の移ろいそのものを慈しむようにじっと眺めている、二人の男の穏やかな満足げな表情が何ともうらやましく豊かに思えた。何かをするために時を消費するのではなく、時の移ろいそのものを慈しむーこれほどに時を贅沢に味わう術はないのではないだろうか。
フィレンツェを訪ねたのはもう半世紀近くも前のことになる。冷戦時代でヨーロッパはまだ西と東に分かれていた。ロンドンの旅行社が募集していたツアーに参加して、西ヨーロッパ各地を時計回りにキャンプ場を巡りながら、毎晩テントを張って寝泊まりし自炊しながら3週間ほど旅した。
初日は夕刻に各国から応募した20人ほどの参加者が集まり、大型バスに乗車してロンドンからドーバーまで行き、真っ白な壁のように続く断崖をフェリーの甲板上から横目で眺めながら、ドーバー海峡をフランス側のカレーまで渡った。翌日から旅は始まった。アムステルダム、ケルン、ライン川沿いのボッパルト、ハイデルベルグ、ミュンヘン、ザルツブルグ、ベニスを経てフィレンツェへ。
フィレンツェでは市街を見下ろす高台にあるキャンプ場で泊まった。日本からの参加者は私を含めて3名で、男子学生の姉がフィレンツェで声楽を勉強しているということで、下宿先のお宅に私も一緒にお邪魔させてもらった。もう随分前のことでフィレンツェの市街をどういう経路で訪ねたか思い出せないでいるが、目印にした大聖堂(ドゥオーモ)の前を通り過ぎたこと、アルノ川にかかる中世に作られたヴェッキオ橋を渡ったことだけは今でもしっかりと覚えている。お姉さんのお宅の近くの通りには革細工を扱う工房が立ち並んでいた。
お宅で別れた後、アルノ川のほとりをキャンプ場のある高台に向けて二人で話しながら歩いた。振り返るとガス灯に照らされて我々二人を追いかけるように速足で歩いて来る小さな人影が見えた。その影は少しずつ大きくなって来て、やがてそれがお姉さんであることがわかった。どうやら弟に手渡すつもりの土産を忘れていたらしい。お宅で別れて、再び巡り合うことはあるまいと思っていた女性との邂逅。アルノ川沿いのガス灯の温かい光に包まれて、思い出に残る旅のハイライトだ。
寒風にぶるっと身を震わせて眠りから呼び覚まされた。美しい思い出に浸っていたためか、心の中は温かさで満ち溢れている。
デジタルやタイパが喧伝される世の中だが、時間の経過を味わうアナログの良さを忘れてはいないだろうか。何も求めず、ただ時の移ろいそのものを味わう贅沢を知ることこそ、長く心豊かな人生を送る秘訣の一つだと思うのだが如何だろうか。
※写真は支笏湖畔から遠く山並みに沈む夕陽(2014年10月撮影)