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セレモニー会見に見る無謬性の原則、あるいは政治家の資質と共通前提について

どうも、殉太郎です。

約1か月ぶりの投稿となってしまいました。
こういったブログの類いはこれまでも大体三日坊主で、今度こそは続けたいと張り切ってnoteを始めたものの、やはり生来の怠け癖が遺憾なく発揮されています。
私淑するクリエイターの方はnoteで食べているわけでもないのに、毎日ちゃんと記事を上げていて本当にすごいなと思います。
基本的にはこれからもマイペースで、書きたいことが思い浮かんだ時に書こうと思っていますが、それでも最低1ヶ月に1本くらいは決めて書かないと、いつの間にか完全に面倒臭くなる日が来そうです。

そういえば先日、初めてオンライン読書会なるものに参加しました。
このコロナ禍ではともすれば、以前にも増して日頃交流がある人(職場・一部の友人)としか話しません。そのような中、面識がない方々との会話は日常の凝り固まった価値観予定調和のコミュニケーションから抜け出す良い機会となりました。
同じ本でも、自分では思いもよらなかった別のメッセージを受け取る方がいて、人によって考え方が違うというごく当たり前の事実に、何か久しぶりに触れた気がしました。
読書会に参加したことで、見たいものしか見ない生活に拍車がかかる現在の状況から、意図的に一歩外へ踏み出す大切さを、改めて教えてもらった気がします。

さて、最近は、と言っても全然最近始まったことでもありませんが、胸糞悪くなるようなニュースばかりで気が狂いそうです笑。
その中でも今日考えたいのは、記者会見をはじめとしたスカ首相へのインタビューについてです。

先日の記者会見でビデオニュースの神保さんが記者クラブ外のジャーナリストとして事前通告なしの質問をしました。
質問内容は要約すると「コロナ対策に関して、政府はこれまで何をして来たか、また医療法の改正も視野に入れ、これからの対策はどうするのか」といったものでした。
これに対しスカは答えにならない答えをグダグダ話した後、「国民皆保険も含め見直していきたい」などとトンデモ発言をかましました。
おそらく彼は普段から国民皆保険制度をどうにかしてやろうと考えているのでしょう。この答えにはびっくり仰天ですが、一方で、少なくともこの言葉だけは官僚の作文ではなく彼自身から発せられた生の声であることも事実でした。

しかし、この発言は何故かそこまでの大事にはなりませんでした。首相本人から発せられた生の声であるにも関わらず、です。実はその理由というのがこれまた仰天の内容だったのです。

曰く、「事前に通告されている質問ではなかったので、急に訊かれて首相もわけわからない事を口から出任せで言ってしまっただけ」ということだそうです。

・・・は?


つまり、「質問内容から事前に官僚と検討して練られた回答でないので、その発言は意味を成さない」ということなのです。

・・・さすがに意味がわからないです笑

いやはや無謬性の原則を守ろうとするあまり、なんと首相本人の「お考え」ですらひっくり返されてしまいました。ヒェ〜

どこか戦時中の軍部を思い出します。「国体」を守るという名目でその「国体」の本尊である天皇の忠告すら無視して暴走する、恐るべき日本の組織論です。

さて私はこの一件を見て二つのことを感じました。

一つ目はスカ本人の問題です。
自分の言葉で話すことができず、責任を持つこともできない人間は政治家として不適格ということです。
我々国民は政治家は選べても官僚は選べません。そのような中、官僚の作文を基にした「セリフ」だけが正式な回答であり、「アドリブ」は意味を成さないとなれば、我々が政治を評価する際の判断材料が、政治家からは与えられないということになります。これは代議制民主主義として完全に不適切です。
ちなみに事前通告なしの質問は完全に世界標準であり、あのトランプですら自分の言葉で、自分の責任で記者と対峙していました。
またBBCの番組内ではボリス・ジョンソン首相が司会者とコロナ対策について激しくやり合うシーンが放送され、またTwitterでも拡散されたことで、多くの人々が知るところとなりました。
事前の打ち合わせと違う内容を突っ込まれたらすぐ怒り、キャスターを替えさせるように圧力をかける某官邸や、またそれに唯々諾々と従う某公共放送局とは泣きたくなるほどレベルが違います。権力とジャーナリズムの関係性としても不適切すぎるのが現状です。
余談ですが、冒頭にお話しした読書会ですら、ファシリテーターにその場で本の感想や意見を求められても、参加者は皆さん一生懸命答えていました(もちろんアドリブで)。
日本の首相会見のレベルは、はっきりいって草の根の読書会より低いと言わざるを得ません。

二つ目は周りの問題、こうしたエクストリーム擁護が罷り通ってしまう体制を生み出す政治・社会状況の問題です。
近頃の自民党を中心とした政治の動きや、それを擁護する界隈の言説を見ていると、あるべき姿に対し、我々が共有していると思っていた前提がことごとく破壊されていると感じます。
前提とはつまり、先程述べた、政治家にとって「自分の言葉で話すことが必要」であるとか「発言には責任が伴う」といったものです。
イデオロギー以前の人品の劣化、感情の劣化が凄まじく進んでいることがよくわかります。保守として大切にすべき前提や構えは一体どこにあるのでしょうか。
こうした劣化は社会においても広く内面化されており、政治の劣化はそのまま、それを良しとしている社会の劣化から地続きの関係にあります。

と、ここまで書いてきて、どうすればこうした現状から抜け出せるのか、解決策を書こうと思いましたが、正直、妙案は浮かびません。しかも、劣化が進んでいると言いながら、その前には戦時中のようだとも言っており、自分の論立ての矛盾に今更気付きました。

・・・そうか、こうした劣化は何も近頃始まったわけではなく、そもそも日本型組織の宿痾であり、本来の姿を取り戻してきてるということかもしれませんね。
・・・何かもう溜息しか出ません。。

読書会への参加やこうしたnoteの投稿など、草の根の活動の中に少しでも希望を見出していきたい。。そんなことを小さく呟く殉太郎でした。

皆さんはどう考えますか?

ではまた。

殉太郎


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