マガジンのカバー画像

池田晶子を読む

11
池田晶子から学ぶ 善く生きるということ。
運営しているクリエイター

記事一覧

道徳と倫理

外なる規範としての道徳は、常に、「べき」とか「せよ」とか「ねばならぬ」等の規則や戒律の形をとる。したがって、それを行為する者には必ず強制や命令として感じられる。これに対して、内なる規範としての倫理は、単に「そうしたい」という自ずからの欲求である。 例えば、「悪いことはしてはいけないからしない」これは道徳であり、「悪いことはしたくないからしない」これが倫理である。 「善いことはしなければいけないからする、」これが道徳であり、「善いことをしたいからする」、これが倫理である。 『私

金では手に入らないもの

人は、金によってよいものが手に入ることに慣れてくると、金それ自体をよいものと思うようになる。手段と目的とが同一になったのだね。 困ったことはだね、このとき人々は、よいものは金で手に入るものという考え方に慣れすぎていて、金では手に入らないよいもの、すなわち、「善」という価値の欲し方がわからないということなのだ。いくら金を積んでも、金を貯めても、善だけは手に入らないのだ。なぜなら、いいかね、善はタダだからだ。 『無敵のソクラテス』

苦しみは喜びである

幸不幸とは、「境遇」とは別のことだ。 幸福とは、努力である。外的なあれこれによらなくても、いかなる境遇にあろうとも、それ自身で常に幸福であることができるための、魂の努力である。 ところで、努力とは、善くなるためになされるものであって、悪くなるために努力する人はいない。善くなるための努力は、必ず苦しいものである。 善く苦しむ 苦しみは喜びである 幸福とはこれである。そして、これ以外の何かではあり得ない。 『残酷人生論』

魔法の杖

言葉は道具なんかではない。言葉は、自分そのものなのだ。だからこそ、言葉は大事にしなければならないのだ。言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなのだ。自分の語る一言一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っているのだと、自覚しながら語ることだ。そのようにして、生きることだ。 言葉には、万物を創造する力がある。言葉は魔法の杖なのだ。人は、魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。それは、その杖を持つ人の、この自分自身の、心の構えひとつなのだ。 『死とは

死因はひとつ

生死することにおいて、人は完全に平等である。すなわち、生きている者は必ず死ぬ。 癌だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである。全ての人間の死因は、生まれたことである。どこか違いますかね。 『人間自身 考えることに終わりなく』

正しいことを考えよう

世の中の大多数の人は、当たり前のことを当たり前だと思って、分からないことをわからないと思わないで、「考える」ということをしていないから、正しくないことを正しいと思っていることがある。でも、いくら大勢で思ったって、正しくないことが正しいことになるわけではないね。だから、たとえそう考えるのが、世界中で君ひとりだけだとしても、君は、誰にとっても正しいことを、自分ひとりで考えて行けばいいんだ。なぜって、それが、君が本当に生きるということだからだ。 『14歳からの哲学』

自分だけでも善く生きる

私は考えるのです。私たちは、ひとりひとりは、時代や世界のことなど気にする必要はない。人は、自分のことだけを思って生きればいい。ひどい時代、悪い社会の中だからこそ、自分だけは、私だけでも、良く生きよう。良い人間として、良い人生を全うしようと、それだけを心がけて生きればいい。 世界規模の大破綻がいつ来るかわかりません。それでも、私ひとりだけでも、幸福な気持ちでいようではありませんか。ひとりひとりがそのことの意味に気が付くなら、ひょっとしたら、破綻は避けられるかもしれません。 『私

本当のプライド

自分の人生は、自分の生きたいように生きればよい。他人にどう見られるかが、、なぜ問題か。 問題は、自分に対する恥である。自分が自分に恥ずかしいと感じる、これが本当の恥である。 自分に恥じない、それを「プライド」と呼んでみる。他人に恥じるのではなく、自分に恥じない。これが本当のプライドである。「本当」の根拠は天にある。天に恥じないことをしているから、他人にどう見られるかは問題ではないのである。 『41歳からの哲学』

何のために生きるのか

この人生、何のために生きるのかとは、生きている限り避けられない問いではありましょう。それは人間にとって最も根源的な問いであって、だからこそこんな問い、人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、自ら問い自ら答える以外はありえないのです。もしも本当に答えをえたいのであれば、生きている限り一度は必ず自らに問いかけてみるべきでしょう。「私は食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」 さて、本当に楽しい人生はどっちだと思いますか。 『人生は愉快だ』 池田

わかる力は愛である

「分かろう」という意志、これは何か、言うまでもない、優しさである。わからないものを分かろう、自分ではない他人を分かろう、この創造的努力のまたの名は、他でもない愛である。愛のない人には分からない、愛のない人が、分かっている以上のことを分かることはあり得ない。なぜなら、最初から、分かる気がないからである。分かる気のない人に、なぜ分かる訳があるか。愛していないものを、なぜわかる気になれるか。わかる力は愛である。得てして人は気づいていない、真の知力とは、愛する力であることを。 『残

平和は善で、戦争は悪か

戦争に反対すると、、口で言うのは簡単だ。起こっている戦争に加担するのも簡単だ。難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ人は戦争するのかということについて、どこまでも深く見抜いていくことだ。考えることだ。考えるほどに、いろんなことが見えてきて、君は考えるのをやめられなくなるはずだ。それでいいんだ。それは、平和は善で、戦争は悪だと思い込んでいるよりも、はるかに賢いことなんだ。 「14歳の君へ」 池田晶子