“人生は知識を知恵にする、ただ一度の時間芸術。”TM 「絵画と色彩のある関係―ポール・デルボーの世界観」
日本にいる日常とヨーロッパに住んでいる時は、生活の時の流れも色彩も価値観も全く異なって感じる。特に様々なことなる画家の場合はその絵画に反映された色彩のハーモニーは、そこに生きた土地を訪れることで突然理解できる経験が数多く体感した。
私は27歳の時にパリから、知り合いの画家の息子がベルギーのオーステンド美術館で絵画コンペの公募があり応募した。直接搬入のため古いジーゼルエンジンのプジョーライトバンにアクリルの絵画100号数点を積み込み(しかしシュールな作品だった、後の受験生の作品と比較できない…)、友人と共
に3人で予算がないので海岸線脇の国道でちんたら向かった。当時陸路は国境に検問所+税関検査があり荷物の検査と書類を調べられ、とにかくいろいろとパスポートや荷物、書類などを調べられて特に絵画はフランスは入国時はゆるいが出国時は厳しい(なぜか値段はいくらかを聞く、公募は非課税なのに課税したがる..?)、何しろ仕事が遅いので呆れた….
ようやく開放されてベルギーの田舎の村で、降りて昼食のレストランというか中華料理屋を見つけ入ったが、子どもたちが路地から数人追いかけごっこして我々と鉢合わせした時は、瞬間止まりその時の驚いた顔が面白かった。
多分東洋人を普段見たこともないんだねと話しながら、中華料理屋に入った主人は中国語で話して来たが….車に戻る時にあちこちの壁に弾丸の後と標識があり、第2次大戦時のドイツ軍と連合軍との戦闘で命をお落とした人の名前が刻まれていた。
夜半にようやくベルギーのオーステンド海岸に着いて、夕食を取ろうとしたがもう時間が遅くほとんど閉店していた。パブに入ろうとしたが英国系パブは一斉に見られた視線で違和感を覚え入れなかった。やむなく、海岸に行き海岸線のカフエで休んだ。
その時なぜかBGMが“ナット・キング・コールのAn Forgetable”が流れていて、ヤラセでもなく自然体でもないそれがいい感じだった。
その夜10時過ぎ時間がゆっくりと流れるなか、ベルギーにある北海を臨むオーステンド海岸で突然ポール・デルボーの絵の中に私は存在した。