良い演技と情報密度

やじまけんじ先輩&コルク荘の面々で「キャラの演技」「情報密度」について語り合ったので、学びを書く。

なんでも定義付けしなきゃ気がすまない性格なので、話を通じて僕の中で作られた定義として書きます。違う意見・視点があったらコメント大歓迎です。

まとめ

「良い演技とは」
・演技とは、環境に誘引されたキャラクターの行動。
・環境が演技を作り、演技は環境を連想させる。
・いい演技は、環境の反映度が高い。

「情報密度が高い(=面白い)状態とは」
・情報量とは、演技が連想させる環境の情報量
・情報密度が高い状態=環境の情報量が高い
・情報密度を高めたい場合は、環境に対する解像度を高めた状態でキャラにいい演技をさせる

キャラにいい演技をさせるには?

「キャラに演技させろ!」「キャラが演技してない」というご指摘をよく受ける。「演技」なんだから、キャラの口癖なり、身振りなり、癖なりを研究することで解決するのではと思ってしまうんだけど、どうもそうではないらしい。

重要なのは、キャラクターが置かれている環境の具体性を高めて、リアクションと整合性をとることなんじゃないか。ここで言う環境とは「舞台」「出来事」「文脈」のセットを指す。環境に対してのリアクションがあるからこそ、演技は自然なものになる。

やじまけんじ先輩が受けた指摘の例を当てはめて考えてみる。(ここうろおぼえなので多少違う)

・コッペくんは母の死にまつわる手紙を発見し、それを読んで悲しんでいる
・周囲の人は手紙の存在を知っていたはずなのに、いままでそれを伏せられていた
・伏せられていた事実に対してコッペくんは怒る

ここで佐渡島さんから入った指摘が2つある。

①「ジロくん何もしてこないの?」
コッペくんには優しい同居人・ジロくんがいるから、コッペくんに異変があったならすぐ気づいてなにかしてくるはず。ゆえに、同居人がしてくるアクションに対してのリアクションがあるのが自然である。つまり「優しい同居人がいる」という環境要因が無視されているがゆえに演技がおかしいという状態になる。

②「唐突に感情が変わるとサイコパスじゃない?」
キャラクターの感情変化のリアリティが無い。シミュレーションの仕方が甘いというキャラクターの振る舞いについての指摘。

ゆえに、正しく環境を設定し、環境を正しく反映したリアルなリアクションが「いい演技」ということになる。

それを実現するための思考イメージは、おもちゃを置いた箱庭にネズミを放り込むような感じなんじゃないか。

おもちゃのある箱庭(舞台)で、おもちゃが動き(出来事)、過去の経験(文脈)ゆえのネズミ(主人公)のリアクションが起きる。このリアクションこそが演技だ。

情報密度を高めるには?

「短いのに情報量が多い(=情報密度が濃い)と面白い」ということをよく佐渡島さんは言う。この主張に僕はすごくAgreeなんだけど、その状態はなんやねんと。

演技の話から派生して導かれた結論としては「演技が連想させる環境の情報量が多い」ことを「情報密度が濃い」=「面白い」と呼ぶのだと思う。

正しく環境を反映した演技がされているなら、読者は演技を通じて環境を知ることになる(はず)。

なので、そもそも環境についての情報量が高くないと、伝達される情報量が高くなりようがないんじゃないか。

最近ネームを描いているときに「人物の周りが真っ白」という感覚に襲われることがよくある。これは文字通り紙面が白いということではなく、「この人の周りに何があって何が起きてるのか想像できない」というもの。

僕のネームはなにもない箱庭にネズミを投げ込んだ状態になってたんじゃないか。ネズミを投げ込む前に箱庭の中におもちゃを入れなきゃいけない。僕が怠っていたことは、多分そういうことなんじゃないかと思う。

まとめ

「良い演技とは」
・演技とは、環境に誘引されたキャラクターの行動。
・環境が演技を作り、演技は環境を連想させる。
・いい演技は、環境の反映度が高い。

「情報密度が高い(=面白い)状態とは」
・情報量とは、演技が連想させる環境の情報量
・情報密度が高い状態=環境の情報量が高い
・情報密度を高めたい場合は、環境に対する解像度を高めた状態でキャラにいい演技をさせる



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?