過ぎたるは及ばざるが如し

今日の打ち合わせでは久しぶりに前進した気がする。

今まで必要だと思っていたシーンが実は必要ないことに気づき、
作品の長さが3割-5割ほど減りそうだ。

描きたいメッセージと関係ないシーンは殲滅すべし

という割と当たり前のことで、別にずっと前から知っていたことだったが、ネームを10回直すまで実際のところはわからなかった。「関係ないシーンなんて無いし...」とおもってた。

なんでわからなかったかというと、描きたいと思っていたメッセージの中に、いつの間にかいらないメッセージが紛れ込んでいたからだ。

例えば今回の場合(詳細は伏せるが抽象的に言うと)
「主人公はすごい」ということを伝える時に「主人公が倒すヤツはすごい」「主人公の取り組んでいる問題は大事」「主人公の過去は大事」のようなことも書かなきゃいけないという先入観が生まれて、そこから必要だと勘違いしていたシーンたちが生まれていた。

何故書いてはいけないシーンがあるのか?

よく創作に正解はない(=不正解はない)というし、僕もまさにそう思う。ならなんで不要なシーンというものがあるんだろうか。

ここからは仮説だけど、人間の脳が追うことができる人物や感情はせいぜい1つで、その他の情報や事柄はその視界の脇に入っているおまけみたいなものなのかも知れない。

今まで書いていたシーンは、たしかに脳内世界に存在するシーンだった。ただ、そこでカメラを回してしまうと脳が何を追っている話なのかわからなくなってしまい、理解し難い作品になるということなんじゃないかなと思った。

ひらすら主人公の感情にフォーカスして、そこからカメラを外さなければよかっただけだなと。今まで描くべきと思いこんでいたことは、背景にぼやけて映り込むこともあるかも知れないし、全く映らなかったとしても生き残ったシーンに余韻として残れば良い。

明日いい感じのネームが書けたらいいなぁ。

おやすみなさい。


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