「できる」のレベル

妻が突然ピアノを買ってきた。
6000円くらいのちゃっちい最低限の機能だけ揃った電子ピアノ。
小さい頃少し習っていたのを思い出して、またやりたくなったそう。

買った日はもう子供のように部屋にこもって数時間は弾いていた。
漏れてくる音からすると、ほぼ忘れてるレベルのようだ。

ピアノが来て2日後。
「できたから聞いて〜」と言われたので聞くことにした。
おお、もうできるようになったのか。すげーな。
曲は「エリーゼのために」。


開始10秒でミス。「あーミスった!」
5秒後またミス。「ちょっとまって!」
ミスを宣言する言葉が楽譜に書いてるんじゃないかってくらい
もう頻繁にミスったりやり直したり。

最後のパート(急にハイテンションになるところ)は
難しすぎるから一旦飛ばして、フィニッシュ。


「できた〜!どう?」
満面の笑みである。


これは僕にとって
とんでもないカルチャーショックなのであった。

なぜなら、僕にとっての「できた」は、
最低でも地方の市民コンクール的なものに出られる程度には
習熟してないと「できた」とは言えないのだ。

「プロ並みにできてこそ意味がある」
みたいな価値観は絶対だったんだけれど、
今の僕はこれは捨てたい価値観だ。

出来てないと打席に立てない、人に見せるなんてもってのほか
というこの思い込みのせいで、作品を出すのが遅れているんだから。

一番身近なところに「出来たレベル」最強(最低)の人がいて
刺激になった。

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