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人類滅亡のVR(創元SF短編賞 応募作)

解説

 人類滅亡のVRは、創元SF短編賞(締切:2018年1月9日)に応募した作品です。自信があったのですが、一次選考にも生き残れませんでした。そこで私の作品がどこまで通用するのか? 挑戦しようと考えました。SF短編小説です。

人類滅亡のVR

 私は、朝目覚めると何時ものようにテレビのスイッチを入れた。ちょうどニュースのお天気コーナーで、今日は秋晴れの天気が一日中続くそうだ。
 私は、ベッドから立ち上がるとカーテンを開けた。窓の外は、雲一つない快晴だ。窓からは、遠くにスカイツリーと東京タワーがそびえ立つ光景が何時ものように望める。少し離れた所には、新宿や湾岸エリアの高層ビル群が見える。眼下には、低層階のビルや民家が密集しており、夜には夜景が美しい。この部屋は、二十階を想定しているとのことであった。
 それでも二年も眺めていると、あり得ない光景も現実と思えてくるから不思議だ。他にも、ハワイのホテルからの眺望など様々な光景に変えることも可能だ。実際は、ただの薄汚れた壁でしかない。
 ここは、地上二十階でもなくハワイのホテルでもない。地下五十メートルに造られた核シェルターの一室である。私が見ているのは、すべてバーチャルの世界だ。核シェルターでの、単調なそれでいて絶望的な生活を少しでも緩和するためのささやかな配慮とも言えた。
 あれから、もう二年にもなる。私は、あの日を時々振り返る…。

あのとき

 私が目を覚ました所は、病室だった。パジャマ姿で薄い掛け布団が胸の下まで掛けられていた。日差しを感じたので、顔を明るい方に向けるとカーテン越しに太陽の日差しが見えた。
 何故だ? ここは地下鉄の構内のはずだ。それに構内の中は、避難民で溢れかえっていた。地上は、放射線が高かった筈だ。私は、記憶と現実の状況の余りにも乖離していることに混乱した。詳細な情報は知らないものの確かにJアラートのメールを受け取った。私は、今までの経緯を思い起こした。

 その時私は、地下鉄に乗っていた。電車は、次の永田町駅で止まったまま動かなくなった。
 車内アナウンスは、「ただ今北朝鮮がミサイルを発射し、Jアラートが発令されました。当電車は、安全が確認されるまで当駅に停車致します」と乗客たちに告げた。
「また北朝鮮かよ」
「迷惑よね」
 車内は、乗客の怒りや諦めのような空気に包まれた。北朝鮮がミサイルを発射するごとにJアラートが発令され、交通機関がストップする。もう何度目か。東京でJアラート? 都心を通過するということだろうか? いったいどこに向けてミサイルを発射したのだろうか。北朝鮮から東京を通過してどこをターゲットにしているのか、私の知識では知る由もない。しかし私は、どこか今までとは違うような気がした。
「押さないで下さい。ここは、安全です」
 その時駅員の悲痛な声が聞こえたので、私は声の聞こえた方を振り向いた。エスカレーターは、すべてホームに至る下りになっていた。他にも階段からは多くの人たちがホームを目指していた。殆どの人々が慌ててエスカレーターや階段を下りている光景が見えた。やはり、何かあったのだろう。と、私は心細くなった。まさかターゲットは東京!?
「ただいま、北朝鮮からのミサイルが東京に着弾したと連絡が入りました」
 アナウンスの声に、避難した人達からざわめきが起こった。遠かったのかここが地下だ
ったからなのかは定かではないが、何の衝撃もなく音も聞こえなかった。実感が沸かないのも手伝って、不気味だ。避難した人々の不安は、否が応でも高まった。
 私は、咄嗟にスマホを取り出して妻に発信した。電源を切っているか電波の届かないところに…、という今では殆どあり得ないアナウンスの何もないかのような声しか聞こえない。昔ならあったのだろうが、都市圏では殆どの場所で携帯やスマホは通じるはずである。それに、私の妻はいつもスマホの電源を切る事はない。念のため、自宅の番号にかけてみた。繋がらない。私は、最悪の事態を考えた。車内にいた乗客たちも、ほとんどの人が電話をかけていた。全員繋がらないようだ。「駄目だ…」という近くに座っていた乗客が途方にくれて頭を抱えた。
 そんな事があるとすれば…、携帯会社か中継局が被害を受けた可能性がある。私は、何もできない自分を歯がゆく思った。
 地下鉄に乗っていた私を含めた乗客たちも、余りに唐突なアナウンスに様々な反応を見せた。絶望の余り抱き合う若いカップル。呆気にとられたのか、ぽかんと口を開けてまま焦点が定まらない中年の男。反応は様々だ。私は、自分の事より、自宅にいる妻と娘の事が気になった。核ミサイルだとしたら、妻と娘は…。
「皆さん、落ち着いて下さい。ここは、安全です」
 駅のアナウンスも、家族の安否が気がかりになった私には何の慰めにもならなかった。
「まさか、核じゃないよな」
 私の隣に立っていた若い男が呟いた。
「核戦争!?」
 男の友人らしい若い男が言ってからぞっとした顔になった。
「そんな…」
 衝撃が、永田町駅に渦巻いた。
「どうなってる!?」
 駅員の近くにいた男は、駅員に詰め寄った。
 避難してきた人々は、嘆く人、心細そうに家族や友人などと話す人、次の放送に備え耳をそばだてる人、何も考えられないのか呆然と立ち尽くす人など、様々な対応をみせた。
 アナウンスは、それからなかった。
 私は、他人事のように吊り革に掴まりながら聞いていた。余りにも荒唐無稽な話である。それでも、妻と娘のことを思うといたたまれなかった。
「どうなっている!? 説明しろ!」
 一人の男が、駅員の胸ぐらを掴んで怒鳴り散らした。
「私は、なにも…」
「おまえじゃ埒があかない。責任者を呼べ!」
 男は、駅員に詰め寄った。
「私は、永田町駅駅長の原田と申します」
 駅のアナウンスではなく、拡声機を手にした男が現れた。人々は、一斉に、声が聞こえた方に注目した。
「断片的な情報ですが…」
 駅長は、前置きした後に、「着弾したミサイルは、核ミサイルの可能性もある模様です。
 現在自衛隊が、調査を始めました。最悪の場合でも、ここは安全です。落ち着いて下さい。また情報が入りましたら、すぐにお知らせします。それから、ここに家族連れや友人知人と一緒ではない人がいらっしゃいましたら申し出てください」と、言葉を繋いだ。
 私は、訝りながらも手を上げた。土曜日だからか、手を上げた人数は、それほど多くはなかった。それでも百人近くになった。
 呼ばれた人達は、別の所に連れて行かれた。
「あなたも無事だったの。良かった…」
 呼ばれた人は、一人だけで避難した人のはずだが、それでもそこかしこで思わず友人知人に再会して喜ぶ姿が見られた。

「気が付いたようだね」
 窓とは反対側から、誰かが声を掛けた。私は、声のする方に顔だけ向けた。そこに立っていたのは、白衣姿の五十過ぎほどの中年男性だった。男性の背後には、病室のベッドを区切るカーテンが見えた。カーテンの先には、幾つかのベッドが置かれているようだ。
「驚いたかね」
 声の主は、静かに言った。
「ここは?」
 私の頭は、混乱していた。
「地下鉄の、駅の構内だ」
「そんな…」
 私は体を起こして、少しでも周りの様子を探ろうとした。何度見回しても私の目には、普通の病室にしか見えなかった。私の頭は、パニックになりそうだ。次の瞬間辺りは、だだっ広い空間に変わった。ベッドの感触も硬い感触になり、掛け布団の感触もなくなった。ベッドの仕切りのカーテンも消え失せ、地下鉄の通路に会議用のテーブルが等間隔で置かれ、その上に人間が寝かされていた。
「バーチャルの世界だ。今見ている光景が、残念ながら現実だ」
 白衣の男性は、言ってからだだっ広い空間を振り返った。
「どれくらい寝ていたんですか? 食事が配られて、食べたところまでは憶えてるんですが…」
 私は、記憶を辿りながら尋ねた。
「悪いとは思ったんだが、睡眠薬で少し眠ってもらった。その間に、ちょっとしたトリアージをさせて貰った」
「トリアージ?」
 私は、初めて聞く言葉に困惑した。
「簡単に言ってしまえば、災害時などに際して、負傷者を選別する作業だ。今回は、避難民の行き先を選別するために行った」
 私は、その男の言っている意味が理解できなかった。
「ここは、政府中枢が集まっている地下に位置する。戦争が始まった時に、国民を少しでも救出するため秘密裏に核シェルターが造られた。そのシェルターの行き先だよ」
「戦争が始まったんですね! 何も知らされていなかったのに…」
「厳密に言えば、とっくに終わっている」
 男は、吐き捨てるように言った。
「核戦争…?」
 私は、咄嗟に口に出していた。
「察しの通り、核戦争だよ」
「北朝鮮ですか? どうなりました?」
 私は、パニックになりそうに頭が混乱していた。それでも、現実を知りたかった。
「政府の阿呆どもも、詳しいことは知らないようだ。ただ、北朝鮮からミサイルが発射されたことは事実のようだ。どういう経緯があったのか判然としないが、結果的に世界の主立った国は甚大な被害を受けた。日本も例外ではない」
 『政府の阿呆ども』と、はき捨てるように言った男は、いったい何を知っているのだろうかという疑問が沸いた。いったいこの男は、どういう立場の人間なのだろうか。医者のように白衣を着ているがいったい何者なのだろうか。どこまで知っているのだろうか。
「助かったのは、我々だけでしょうか?」
 私は、一番気がかりな事を尋ねた。自宅には、最愛の妻と娘がいる。今日は休日だが休日出勤のための通勤でこんな事態に遭遇したのだ。
「それは…」
 男は、何かを考えているのか少し沈黙した後に、「解らない。今までのところ、何処とも連絡が取れていないそうだ」と言ってからため息をついてから苦渋の顔になって俯いた。 私は、家族の事を尋ねても無駄だと諦めた。
「政府が、機能しているということですか?」
 私は、質問を変えた。男が核戦争が起きた事を知っている。『今までのところ何処とも連絡が取れていないそうだ』という言葉で、こんな事態になっても政府機能が健在なのか知りたくなったからだ。
「機能しているかどうかは別として、総理と数名の閣僚それに側近の官僚たちが避難してきたことは事実だ」
 男は言ったが、どこか歯切れが悪い。
「会ったんですか?」
 私は、男の言葉に驚いた。
「ああ」
「我々は、どうなるのでしょうか?」
 私は、妻や娘の事も気にはなったがこのままではどうする事も出来ない。
「まあ、当座の生活は保障されている。君たちは、トリアージで特別に個室を使えるようになった」
「特別?」
「当然だろう。いくら、核シェルターを作ったといっても、個室を与えるだけの余裕はない。実際の個室を見れば君にも分かるだろうが、バーチャルによって快適に過ごす事ができる。だから、バーチャルの世界を採用したんだ」
 男は最悪な状況を私に教えた後に、余計とも言える気休めのような言葉を追加した。
「どんな基準で私が選ばれたのでしょうか」
 私は、気になり尋ねた。
「いたって公平な基準だ。くじ引きで決めた」
 男はあっさりと答えた後に、私が困惑した顔をしたのか、「他に、どんな方法があったというのかね。こうなってしまえば、どんな基準も当てはめられない」と、私のために説明してくれた。私は、納得するしかなかった。
「ここに寝ている人たちは、くじ引きで個室を引き当てた人たちだ。全員が気が付いたら、これから新しい避難場所に連れて行く、それまで待っていてくれ」
「先生。他の人たちは?」
 私は、ホームに溢れかえっていた避難民の事が気になり尋ねた。何も知らない私は、先生と男の事を呼んでいた。
「そうか…」
 男は、自分の白衣姿に気が付いたのか、「私は、医師ではない。科学者だ。このバーチャルの世界を作った狭山正一という者だ。他の人たちの避難は完了している。もっとも、君たちより環境は良くない。災害時の避難所に、毛の生えた程度のシェルターだ。後は、君たちだけが残っているだけだ」と、初めて名前を明かしてから状況を説明してくれた。
 私は、暫く為す術もなく会議用のテーブルに座っているしかなかった。そのうち、他の人たちも次々に目を覚ました。
 私たちがこれから過ごす場所は、ホームより相当下であった。小さなエレベーターに数回に分かれて乗せられ辿りついた場所は、お世辞にもまともとはいえない場所だった。
 狭山正一は、二つあるドアの右側のドアの前に立った。潜水艦のハッチのように、丸いハンドルが無機質に付いていた。狭山は、丸いハンドルを回して一人がやっと通れるようなドアを開けた。ドアは、厚く重厚感に溢れていた。ドアの中は広くなっており、テーブルが置かれて我々人数分の椅子が二つのテーブルを取り囲むように置かれていた。奥が、我々がこれから過ごす個室であった。我々は、椅子に座ってこれからの暮らしの説明を受ける事になった。
「外は、どうなってるんですか? 家族のことが気がかりです」
「そうだ。こんな所でのんびりしている状況じゃない!」
「核戦争が起きたなら、俺は帰る。最後のときぐらい、家族と過ごしたい」
 同じような意見が、ほとんど全員から語られた。私も、「妻と娘が、気がかりです。娘は、まだ幼い」と、言った。狭山は、何も言わず黙って私たちの意見を聞いていた。
 狭山は、一同の話を聞き終わると、「皆さんの気持ちは、よく分かります。しかし、事態は、深刻です。我々は、孤立してしまったんです。外は、数分で致死量に達する放射線量です。もう、外に出ることは不可能になったんです。残念ですが、皆さんのご家族の安否は、絶望的になりました」と、事実を我々に告げた。
「そんな…」
 私は、絶句した。他の人たちも、何も言えずにただ押し黙ったままだ。
「俺は、眠らされた。その間に、帰っていれば、エリカに会えたはずだ!」
 一人の若い男が、狭山に掴みかかった。
「ミサイルが着弾した後は、直撃を免れた所でも、放射線量が高い。交通は麻痺し、家族に会う前に死んでいたことでしょう」
 狭山は、事務的に答えた。敢えてなのかもしれない。掴みかかった若い男は、力なく狭山から手を離し床に崩れ落ちた。「先月結婚したばかりなのに…」と、泣き崩れた。
「皆さん。死んだと思って諦めてください。我々が出来る事は、これからのことを考えることだけです」
 狭山は、全員を見回しながら言った。
 だれも、口を開かなかった。この期に及んで、もうどうする事もできないと悟ったようだ。私も、諦める事にした。諦めきれる事ではないが、この状況では他に選択肢はない。
 そのまま狭山によるこれからの暮らしの説明が行われた。
「ビッグデータを利用して、これから少しでも快適に暮らせるようにバーチャルの世界を充実させます」
 狭山は、少し誇らしい顔になった。彼には、終わったことはどうでもいいのだろうか。それでも、彼の誇らしい顔を見ていると何故か少し安心した。最悪の状況の中で、これから我々のリーダー的役割をする男が嘆いていればどうなるか。このシェルターに住むしかない我々のことを考えて、不安を払拭しようとしているのだろうか。
「ビッグデータって、世界がとんでもないことになっているんでしょ。ビッグデータが残っているんですか…?」
 私は、現実的ではない気がした。それはそうだろう。核戦争が起きて、永田町駅だけでもこの混乱である。少なくとも、日本の都市部は相当な被害が起きているはずだ。もしかしたら、壊滅状態かもしれないのだ。田舎に行けば多少違うのかも知れないが、生き残った日本人の数は少ないような気がする。生き残った人にしても、強い放射線で生命が脅かされているのではないだろうか? ビッグデータが残っているとは思えない。
「サーバーや通信回線に必要な電力は、自動的に非常電源に切り替わったようです。そのおかげで、ビッグデータの画像や映像を利用してバーチャルの世界を作れた…、とも言えますが…。核兵器の性能が高くなったために数発でも日本の被害は甚大な模様です。しかし、光回線なども結構無傷で残っていた。それを利用したに過ぎないだけです。
 人類が存在しているから、サーバーの存在価値があるとも言えますが、果たして人類は、どれだけ生き残っているのだろうか? と、考えると空恐ろしくなってきます」
 狭山は、言ってから寂しげな顔で笑った。が、どこか自虐的なような気もした。
「狭山さんは、人類が滅亡すると考えているんですか?」
 私は、狭山の真意を図りかねて尋ねていた。
「さあ? それは、現在の限られた情報ではわかりません。アメリカでは、この期に及んでも威勢のいいことを言っていますが、実の事は当事者以外判らないので…。電話も駄目。通信設備は壊滅的なようですし、インターネットでさえいつまで使えるか判ったものではありません。今のうちに、出来るだけビッグデータを集めておく所存です」
 狭山は、首をすくめてみせた。
「そんな設備が、ここにあるんですか?」
 避難民の一人の男が尋ねた。
「はい。政府機能をここに持ってくるためにサーバーはもとより、パソコンがさっきの左側のハッチの中に設置されています。発電設備も完備されており、長期間電気を供給できます」
 狭山は、少し誇らしげな顔で説明した。

VRの世界

 私は、何故かバーチャルの外の景色を見ながらそんな事を想い返していた。
 あれから二年も経った。何時終わるとも分からない、避難生活が始まった。それは、単調ではあるが個室を与えられた我々にとって、皮肉にも孤独との戦いでもあった。一般的な核シェルターに避難した人は、我々より不自由な生活を送るしかなかった。それでも、家族や友人と暮らしている。個室を与えられた我々よりもまだ幸せなのかもしれない。
 明日をも知れない我々は、最初に悲しくそれでいて厳しい現実を受け入れる事から始めなければならなかった。家族の死。友人知人の死。これからの不安な人生。それでも、避難生活は単調で三度の食事と部屋に備え付けられているパソコンが唯一の楽しみとなった。パソコンから見られる過去のテレビ番組や映画を見るしかなかった。何故かニュースもやっている。ニュースには、お天気コーナーまであり過去のニュースや天気を今日のように伝えていた。
 狭山は、我々のためにバーチャルの世界を充実してくれた。最初は、無味乾燥な食事も自分が食べたいものの形が、味が、それに匂いまで追加して我々の避難生活を少しだけ快適にしてくれるようになった。
 狭山によると、世界がどうなっているのか…。日本がどうなっているのかもインターネットの情報では分からなかったそうだ。インターネットが機能しているとはいえ、インターネットを更新している国は、アメリカや中国それにロシア・ヨーロッパの数カ国だけであった。他の国は、どうなっているのか? 更新している国にしても、政府は強気一辺倒で自国の現実は伝えていないようだ。
 個人でインターネットを更新している人もいたが、それは主観的で限られた地域の事だけである。その悲惨な生活は、徐々に人類が滅亡に向かっている事を我々に印象付けた。

 私はその日の午後に日課となった、いや、この核シェルターに来てから毎日義務付けられている運動をしていた。避難生活では、当然仕事はない。体も動かす事はない。そこで、毎日健康のため午前と午後に三十分ずつウォーキングが義務付けられていた。
「やあ」
 私がウォーキングマシーンで歩いていると、矢部が現れて声を掛けた。
「最近どうです?」
 私は、最近会っていない矢部に尋ねた。矢部は、私より三歳程度年上だ。それでも長い避難生活で親しくなった一人である。
「どうもこうもない。相も変わらず退屈な毎日だ」
 矢部は、言ってからうんざりしたような顔になった。
「そうですね。毎日、ただ生きているだけです」
 私も同じだ。
「今日、久しぶりに一杯やらないか?」
「いいですね」
 その会話がきっかけになり、その日の夕方私は、もう一人の気の合った山田を加え三人で地下鉄に乗って飲みに出かけた。とは言っても、バーチャルの世界だ。現在、新宿や渋谷それにお台場ディズニーリゾートなど数カ所がバーチャルの対象になっており、その場所には自由に行ける。いや、行ったつもりになることが出来る。狭山は全員から要望を聞き、更に別の場所も行けるようにアプリを開発していると言っていた。
 しかし、あくまでバーチャルである。核シェルターの自室から外に出ると、各々の専用のテーブルと椅子が置かれている。自分専用の椅子に座ると、外出ボタンを押してからテーブルに置かれているヘルメットのような物を頭に被る。それからの行動は、すべてバーチャルの世界になる。
 食事は、テーブルに置かれているタッチパネルでの注文となる。居酒屋だろうが高級レストランだろうが変わらない。当然ウエーターやウエートレスはいない。もちろん無料である。タッチパネルで注文してから、食べ物や飲み物を取りにいくのだ。
 慣れるまでは違和感を覚えたものの、慣れれば別にどういう事もない。もちろん本物ではないはずだ。避難生活では望めない。それでも不思議なことに、注文した食べ物の味がする。酒も同じで、ビールや酒それにワイン、ウイスキーなども味わえる。おまけに、ちゃんと酔うことが出来る。
 マトリックスという映画のような世界ではあるが、現実は映画のようにスマートにはいかないようだ。

「乾杯」
 私は、ジョッキを矢部たちと合わせてから、一気に半分ほど飲むと思わず、「うまい」と、言っていた。
「そうだな。たしかにビールだ」
 矢部は、奥歯に物が挟まった言い方をした。
「うまけりゃいいじゃないか。詮索ばかりしていると人生面白くない。酒がまずくなるだけだ」
 山田は、単純に考えているようだ。いや、無理矢理単純に考えようとしているのかも知れない。
「バーチャルも、こんなに自然だと返って気味が悪い」
 矢部は言ってから、ビールを一口飲んで、焼き鳥を串のまま手に持つと一口食べた。が、焼き鳥を飲み込んだ後に、「それにしても、よく食糧があるもんだな」と、食べかけの焼き鳥を不思議そうな顔で見た。
「生き残った人間がいるようだし、なんとか補充していると言ってたじゃないか」
 山田は、呆れた顔になった。が、なんだか彼も歯切れが悪い。私も含め、全員が違和感を覚え始めたことは事実だ。
 矢部は、ビールのジョッキを口に運んで一口飲んでから、「このビールだって、本物じゃないかも」と、複雑な顔になった。
「じゃあ、どうして酔っぱらう?」
 山田は、懐疑的な矢部に尋ねた。
「そんなことは、俺に分かるはず無い。狭山に、聞くしかないが…、本当のことを教えてくれる保証はない」
 矢部も、負けてはいなかった。
「もう、よしましょうよ。せっかくの酒が不味くなるだけです」
 私は、見かねて口を挟んだ。が、私も、山田の言っていることは理解できる。何も情報がなくバーチャルの世界に浸っていると、バーチャルの世界が現実に思えてくる。何が真実かどうか理解できなくなる危うさも孕んでいるのだ。
「そうだな」
 山田は、言ってから罰の悪い顔になった。

 それから数日後、私はその時玲奈と映画を渋谷で見ていた。バーチャルではあるが…。核戦争後に新しい映画が作られる筈もなく、過去の映画である。それでも自分の人生の全てを費やしても見られないほどの量が、ビッグデータには含まれている。
 観客も、存在している。一般用のシェルターの住民も混じっているかも知れない。が、元々面識もなく、あの日にたまたま永田町駅にいただけだ。その後まもなく我々二十名が今のシェルターに居住することになり、他の避難民とは接触することはなかったから、他の観客がバーチャルの観客かどうかも判らない。
 私は、映画を見ながら今までの生活を振り返った。玲奈と始めて会ったのは、核シェルターに連れて来られたときであった。狭山の研究を一緒にしている助手であると自己紹介された。年齢は、二十九歳。派手ではないもののすらっとした美人の部類に入る女性であった。仕事の関係か、どこか知的な雰囲気が漂っていた。それから、全員の自己紹介から新しい避難生活が始まった。
 狭山と玲奈を含めた二十二名と少ない人数ではあるが、男女が半数ずつになっていた。生活が長期に亘るにつれ幾つかのグループが生まれた。そのうちの一つのグループが私と、山田それに矢部と玲奈。後二人の若い女性であった。孤独な生活の数少ない潤いで知らないうちにカップルが生まれていた。

危 機

 私が映画を見ながら、取り留めのないことを考えていると、突然けたたましいサイレンの音と共に赤い証明が点滅し始めた。
「どうした?」 
 私は、動揺して玲奈を見た。玲奈も心細い顔になり私を見つめていた。
 狭山は、私の前の座席に突然現れて、「ついに、最期の時が来た」と我々に告げた。が、悲壮感はない。予め予測がついていたということなのだろうか。私は、玲奈の顔を見た。玲奈も心細そうな顔で私を無言で見ている。
 最期の時? 私には、理解できない。食糧が無くなった? それとも放射線量が高くなったとでも言うのだろうか?
 私の頭は、混乱して固まってしまった。私は、それでも狭山の次の言葉に興味を持った。
 狭山は、私が何も答えられないためか、「電源が尽きかけている」と、現実を私に告げた。
「このシェルターが暗闇になる…」
 私は、思わず呟いた。
「いや、次に誰かが電源を入れるまで、我々は、復活出来ない」
 狭山は、おかしな言い回しをした。
 私から説明しよう。狭山の声がどこからともなく聞こえてきた。私と対峙している狭山は、無言であった。次の瞬間私の視界から狭山は消え去り、真っ暗になったと思うと私の視界に、薄汚れた顔の髪の毛や髭を伸ばし放題にしたボロボロの衣服を纏ったホーメムレスのような男が現れた。男は、私が驚いたような顔になったのか、「驚かせたようだな」と言ったが、話しぶりは淡々としていた。
「狭山さん…?」
 私は、男の声に更に驚かされた。それに、体が動かない。何かで押さえつけられている訳でもない。先ほどまでと同じように、座っているようだ。狭山の後ろには朽ち果てかけた地下鉄の車両の窓が見えた。という事は、地下鉄の座席に座っているようだ。手足の感覚はあるのだが手を上に挙げても見えない。首も動かない。視線を下に下げても何も見えない。私は、混乱した。「どうなっている!? 何故だ!?」
「落ち着いて聞いてくれ」
 私は狭山の言葉に、狭山の顔に釘付けになった。
「そんな事言われても…」
私は困惑したが、狭山から話を聞かなければ始まらないと観念するしかなかった。「いいでしょう。ちゃんと説明してくれますね」 私は、覚悟を決めた。
「今君が見ている光景が、本物だ」
 狭山は、後ろを振り返って少し眺めた後に、私に視線を戻した。
 私は、その光景に戦慄した。私の視線の先の狭山の背後には、地下鉄の車両の窓があったが、その先のホームには、そこかしこに人骨が散乱していた。私は、声もなく狭山を睨み付けた。
「見ての通りだ。地上は、相変わらず放射線量が高い。多くの避難民の食糧なんか確保できる訳がない」
 狭山は言って、逡巡したのか少し間をおいてから、「苦渋の選択だった」と、その時のことを私に告げた。
「あなたが…」
 私は、その後の言葉を呑み込んだ。余りの恐ろしさに、何も言えなくなった。
「私が殺したとでも?」
「違うんですか?」
 私は、平然としている狭山に不気味さを感じた。それでも狭山からは、視線を離さなかった。恐怖心はあったものの、真実を聞きたい気持が勝っていたからだ。
「実は、政府の意向だ。もっとも私も、助手の玲奈君も手伝ってくれたがね」
 狭山は、押し黙ってしまった。が、「結局私の研究では、時間とサーバーの性能から、そんなに多くの人をAI化できないことが分かった」と、苦渋に満ちた顔になった。
「まさか? 私は、AI…。人工知能だというんですか!?」
 私は、絶句した。
「そうだ。君は、とっくに死んでいる。いや、君の肉体は滅んだが、君の頭脳は、いや、君の心は、死んではいない。簡単に言うと、君の脳をコピーしたんだ」
 狭山は、あっさりと認めた。が、自分の行ったことを正当化しようとしているのか私の心がまだ残っていると言いたいようだ。それにしても、そんな事が可能なのだろうか? 私は、複雑な心境になった。が、本当に私がAIになったのかまだ信じきれていなかった。
 自分は、ちゃんと生きている実感がある。ちゃんと考えられる。夢も見るし、眠くもなるし酒を飲めばちゃんと酔える。それに、体調も悪くなるし風邪だって…。SFのような荒唐無稽なことが、信じられるか!
「君は、生きている実感があると考えただろう。しかし君が思っているような、SFのような荒唐無稽なことではない。私の文字通り、人生を掛けた最後の研究の成果なのだよ」
「そんな…」
 私は、自分の心の中を見透かされたような恐怖を感じた。
「実は、君も死ぬ前に私に協力してくれた」
 狭山は、おかしな言い回しをした。
 私は、呆気にとられたような顔になったのか、「君も、いや生きていた君も、状況が分かると、どうせ死ぬんならと、最後まで協力してくれた。自分が知っている全てを、教えてくれた。もちろん、自分のことでも潜在意識に隠れていて知らないことや気が付かなかった些細な事もあるから仕方ないが…」
「まさか? 玲奈さんも山田さんや矢部さんたちもバーチャルだったんですか?」
 私は、気になり尋ねた。自分がAIなら、今までの私の行動も見聞きした事も全てバーチャルになる。狭山は、無言で頷いた。「でも、なぜ私なんです?」私は、詰問口調で尋ねていた。
「玲奈君や他の人たちも、当然君が今まで接してきた私もAIだ。AIには違いないが、それでも感情や心は持たせられなかった。だが君だけは違った」
「私が、感情を持ったからですか?」
 私は、驚いた。どんな経緯でこうなったのかは、知る由もない。
「そうだ」
 狭山は、頷いた。私は、何も言えなかった。
「基本的に私が今語っていることは、玲奈君たちAI全員に共有される。だが、それでは永遠に誰の眼にも触れる機会もないかも知れない。それに私が、生身の動物で生きているうちに誰かに伝えておきたかった」
 狭山は、孤独だったに違いない。最後に、誰かに自分が行ったことを知ってもらいたいのかも知れない。最後? まさか? 死を択ぶとでもいうのか?
「でも、私はAIになってしまったんですよ! それも、知らないうちに…」
 私は、刺のある言い方をした。せめてもの反抗であったかも知れない。
「理由は定かではないが、全面的な核戦争に発展したようだ」
 狭山は、それから今までの経緯を話し始めた。

 北朝鮮の挑発がエスカレートし米軍が北朝鮮を攻撃した日、北朝鮮は全世界に向けもてる全ての核ミサイルの発射ボタンを押した。日本やアメリカだけではない。中国はもとより、ロシアやヨーロッパにも届くだけの航続距離がある。
 それが発端となり、全世界規模で核戦争が始まった。人類は滅亡したかに見えたが、一握りの生存者がシェルターや地下鉄構内などに避難する事ができた。
 日本では、地下鉄の構内に避難できかろうじて生き残る事ができた人間もいた。私たちもそうだ。それでも、食料は地下鉄の備蓄だけでは数日分しかない。それに、地上には放射線が多量に存在しているため外に出ることも不可能である。地下鉄の構内と地上を結ぶ通路は、すべてシャッターが閉じられてはいるものの、構内の放射線量も少しずつではあるが徐々に高まっていた。死は目前に迫っていた。
 そこで考えられたのが、頭脳のコピーである。幸いにも政府は核攻撃を想定して地下にサーバーやパソコンなどの諸設備と政府要人の核シェルターを秘密裏に構築していた。私は、その時政府に招聘され総理とAIについて打ち合わせをしていた。その時に、北朝鮮のミサイルが発射されたのだよ。お陰でAIの研究が実現可能となった。肉体は滅びても、脳をコピーしておけば不老不死となる計算になる。
 それでも全避難民に不老不死を与える事は不可能だった。そこで三回目の食事のときに食事の中に睡眠薬を混ぜ前に説明したトリアージを行った。今回は、コピーできる人数が限られているため避難民の中から家族や友人知人が一緒に避難していない人間を選び、その中からくじ引きで決めることになった。

 
 狭山から衝撃的な話を聞いた私は、何も言えなかった。もうすぐ、電源がなくなる。即死につながらなくても、人類が生き残っていなければ、死も同然ではないか。「総理は? 政府は?」と、私は、やっとのことでそれだけの言葉を発して尋ねた。
「最初に、安全なところに逃げた。まあ、立場的には、生き残ることも必要かもしれないが…。そんな場所があったとは思えない。それに、それ以降何の音沙汰もない。忘れられたのかも知れないが…」
 狭山は答えた後に、無言になった。が、「まあ、今更言っても始まらない。私の研究は、完成の域に達した。残念だが、研究の成果を発表しても意味がないかもしれない。それでも、人類が生き残っていれば、私の研究を役立ててくれるであろう」と、自分の成果を強調するような口ぶりになった。狭山は、そこで説明を終えたようだ。

 狭山の衝撃的な説明が終わったと同事に、鉄の扉を勢いよく開けるような音とともに、「警察だ!」と言う声が、聞こえてきた。警察? しかし、声だけで、姿は見えない。
「大丈夫ですか?」
 警察だと言った男は、私のすぐ近くに来たようだ。気配で分かった。次の瞬間私の顔に手をかけて、何かをはずそうとした。私の視界が揺れると、別の視界が現れた。一人の男の顔が見えた。スーツ姿の、眼光鋭い面長の男だった。
 狭山は、数人の制服姿の警察官に取り押さえられていた。先ほどとは違い、最初に出会ったときと同じ白衣姿だった。狭山の手には、手錠が掛けられていた。スーツ姿の男がもう一人、狭山の手錠に手を掛けていた。
「わかりますか?」
 スーツを着た男は、私に尋ねた。
「はい」
 私は、にわかに現状を呑み込む事が出来ないまま答えていた。
「私は、警視庁の松木です」
 男は、警察手帳を私に見せながら名前を告げると、「あなたは、この男に拉致されてここに二ヶ月監禁されていたんです」スーツを着た男は、私に説明すると後ろに立たされている狭山を振り返った。
「私の研究は、完成した。AIは、遂に完成した。彼のおかげだ」
 狭山は、警察に拘束されているにもかかわらず、笑みまで浮かべていた。
「連れて行け!」
 松木刑事は、吐き捨てるように制服警官に命令した。制服警官は、狭山を連れて行こうとした。
 狭山は、「どうです? AIになった気分は?」と私に聞いた後に、私の答を聞かず自分から堂々とした態度で警官たちに従って出て行った。
「二年ですよ。二ヶ月の筈はない」
 私は、困惑した。「核戦争が起きて、私たちはシェルターに避難した筈じゃ…」それ以上私は、何も言えなかった。
 松木は、制服警官に目配せした。
「こちらです」
 制服警官は、私の妻と最愛の娘を伴って現れた。
「パパ!」
 娘は、私が眼に入ると私に跳びかかるように抱きついてきた。娘は、最後に会った時と何も変わっていない。育ち盛りで、二年もすれば大人びてくる年齢である。私は、確かに二年間という時間を過ごしたはずだ。狭山が何かをして、私に二年間と思い込ませたのだろうか。そんな事が可能だろうか。私は、そんな取り留めのないことを考えていた。それに、拉致された記憶すら無い。
「あなた。もう終わったのよ」
 妻は私に、優しい言葉を掛けながら優しく私を、娘の後ろから抱きしめた。その時、何か違和感を覚えた。それだけではない。そんなことが起きる訳はない。
 私は、妻を優しく私から離すと、娘の両肩に手を掛けた。娘の背後では、救急隊員が待機していた。命に別状はない私の久々の妻子との再会を見守る配慮のつもりなのだろうが、芸が細かいと私は呆れた。次の瞬間私は、娘の服に手を掛けて両側に引っぱった。
「あなた!」
 妻の動揺する声が聞こえた。
「何を…」
 驚愕した松木の声も同事に聞こえた。
 私の視界に映ったのは、娘の下着姿ではなく虚無の暗黒であった。

真 実

「よく気が付いたね」
 狭山の、抑揚のない事務的な声が聞こえた。
「視界の端が、揺れたのに気が付いた。それに、刑事から見せられた警察手帳。あれは、テレビで見るようなマークだ。おかしいとは思ったが…」
「その通りだ。それに、君が行った行為。そこまでは、考えていなかった。お見事だ」
 狭山は、舌を巻いたような口ぶりになった。
「どれが、真実だ? 私には、真実を教えてもらう権利があるだろう」
 私は、怒りに任せて叫んだ。
「私の最後の配慮なんだが…」
 どこからともなく、狭山の声が聞こえた。
「私を…、私の気持ちを弄んでいるのか!?」
 私は、精一杯の大声を出した。
 私の視界は、さっきのままフリーズして固まったままである。娘の胸に空いた虚無の暗黒が自分を呑み込んでいく恐怖が広がっていく。
「どうだね? 君も、夢だったら、悪夢だったら、と思ったことがあるだろう」
 狭山は、私の心の中をお見通しだと言いたいようだ。そういえば、山田と矢部と一緒に酒を飲んでいたときに自分が、『核戦争もバーチャルなら良かったんだけどな』と、言ったことを思い出した。
「そんな…。私の気持ちは関係ないはずです。真実を教えてください」
 私は、混乱した。いったい何が真実か分からなくなっていた。
「君の、心を傷つけるようなことをして申し訳ない」
 狭山は、初めて謝罪した。言い方は、本心のように思えた。それでも狭山の姿は見えず、私の視界はフリーズしたままだ。
「今のは、最終テストになる」
 私は、狭山の意図が分からなかった。何を考えている?
「君が、どれだけ生身の人間に近づいたか最後にテストする必要があった」
「で、結果は、満足でしたか?」
 私は、あえて嫌味な言い方をした。
「満足したとも。しかし、私が出来る精一杯の配慮でもあるのだ。もし人類が生き残っていて君を発見したら、君は、人類の希望となるだろう」
 狭山は、予言めいたことを言った。
「今、どうなっている!? フリーズしたままだ!」
 私は、狭山に詰め寄った。
「悪いが、もう電源が尽きかけている。それに、人生の最期ぐらいそっとしておいてくれないか?」
「まさか…。死ぬつもりでは…?」
 私は、驚いた。
「もう食糧も残り少ない。賞味期限なんかとっくに過ぎている。それでも、私の研究が完成するまで生きるしかなかった」
 狭山は、そこで言葉を切った。暫くすると、「最近になって、一回だけ外に出た事がある。しかし、相変わらず放射線量は高く、生身の人間なら一日も生きていられないぐらいの放射線量だった。北朝鮮のミサイルは、不発弾だったようだ。皮肉にも不発弾だったことで、核物質がそのまま残ったようだ。ここも、放射線量が徐々に高くなっている。放射線量が高くなれば、コンピュータなどの精密機器にも影響するが、人間よりは強い。ここも、人間には影響しても、コンピュータは安全な程度だ。だから君は、心配しなくていい」と、私を安心させるためにか言った。
「そんなこと、どうでもいい事です」
 私は、呆れた。今更私が安心するとでも思っているのだろうか。
「日本に、どれだけ国民が生き残っているかは判然としない。インターネットにアクセスできる人間は、生き残っていないかも知れない。生き残っていたとしても、インターネットの環境がない可能性もある。私の発信した救助要請を見ていない可能性もあるが、助けがこない限り私はいずれ死ぬしかない。もう私は疲れた。このまま死を座して待つより、自分から死を選ぶことにした。もういいだろう。私が死ぬまで、そっとしておいてくれないか。君とも、残念だがこれでお別れだ」
 狭山は言った。その後すぐに、スイッチを切るような音が聞こえた。
「狭山さん!」
 私は、何度か名前を叫んで狭山を呼んだ。狭山は、沈黙したままだ。私の視界もフリーズしたままだ。
 時間の感覚もない。本当に、自分がAIになったなら、この先どうなるのか? 私は、何もできないもどかしさを感じた。視界は、フリーズしたまま。何も聞こえない。何も匂いを感じない。手を動かしても、いや手を動かしているつもりでも何にも触れる感触もない。立ち上がることも出来ない。私は、覚悟を決めた。自分がAIになったとしたら?
 AIに感情は、生まれるのか? という疑問が残る。自分なりに残された時間で考える事にした。
 個性は、生物が持っている。感情は本能とは別で、犬や猫などの高等生物であればもっている。
 人間が滅亡しようがサ、ーバーには関係ないことであるし理解できない。そもそも自我すら存在しない。AI(人工知能)でさえ、人間と会話が成立するようになったもののそれは単なるアプリ(プログラム)に過ぎず、アプリに沿った受け答えを実行しているだけである。
 AIに個人の認識が出来たとしても、AIを起動させなければ、AIは何も考えられない。
 仮にAIが常に稼動している場合でも、カメラに人物が映らずマイクから音声データが入らない場合どうだろう。それにキーボードなどの入力が無くてもAIは、自分に関係のある人物の消息がないことを不審に思わないだろう。プログラミングで機能を追加したところで、AIの気持ではないのだから。
 人間にしても、生まれてから社会と何の接触がなければ自我の確立は望めないかも知れない。AIに、人間の子供のように接していればAIに感情のようなものが生まれる可能性も捨てきれない。但し、AIのプログラミングが優秀であること。人間の思考をパターン化出来ることが、最低条件となるのだろうか。しかし、私が本当に脳をコピーされAIになったとしたら? 今までの事は、すべてバーチャルだとしたら? 狭山の研究は成功したという事になる。
 私の最期の想いは、自分がAIになった衝撃でも将来に対する不安でもなく、『AIは、そこまで進歩していたのか』と、いう驚きの感慨だけであった。

 狭山は、自分の作り上げたAIをしみじみと見ながら、笑みを浮かべた。私の声は聞こえていたが、もう答えるつもりにはならなかった。
「狭山さん!」
 私の叫びを狭山は聞いていた。が、自分のマイクのスイッチは切っていた。私の最後に聞いたスイッチを切るような音は、この音であった。
「悪いが、これでお別れだ」
 狭山は、呟いてスピーカーのスイッチも切った。私の声が消えた。もう私の叫ぶ声を聞きたくなかった。狭山には、私が死ぬなと言っているように聞こえたようだ。実際私は、そう思ったから叫んだのだが…。
「死にたくはない。当然だ。が、どのみち私は、生き残ることは出来ない。もう食料が付きかけている。それに私は、コンピュータより柔にできているんでね」
 狭山は、自嘲気味に笑うと完成したAIの私の電源を切った。それから狭山は、私を眺めながら満面の笑みを浮かべってからカプセルを一気に飲んだ。

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