神様との別離

氏神様の参拝を終えて。。
東金の山のふもとに神社が区ごとに並んでいる。東金は昔から人々が神様と共に住まう土地である。

東金のお山のふもとに帯状につながる旧商店街では,各々の地区の神社,天神様,いそせ神社,田間神社,火正神社…を祀りながら仕事をしていた。神様の御前でご加護を受けて商売ができることをありがたいと思っていた。後ろに地区ごとの神社,その奥に東金を見下ろす氏神様のお山を控えた旧商店街であった。


私はなぜか若い頃から新興住宅地になじめなかった。その理由は,生まれたときから神様と共存する生活をしてきたからだ。

生家の裏口は天神様の参道に面していて,2階の窓からは天神様を拝む生活であった。今の家も毎朝2階の窓から東金を守る日吉神社様の山に拝礼できる位置にある。


その昔,国鉄が東金市に線路を引き外房線と総武本線のターミナル駅にという計画が持ち出されたときに,線路を引くなどとんでもないとご先祖様を含む住民たちは反対したという。今の人たちはそれを非難するが,確固たる理由があったはずだ。

千葉市から東金町(その頃は市ではなく町)に線路を敷くということは,東金を守る日吉神社様のお山を通る、つまり神様の山に手を入れるということだ。昔の人は神様に敬意を払って生きていた。神様のご加護によって生活を営めるという畏怖の念があった。

とにかく猛反対したために千葉県太平洋側のターミナル駅の案は消えて,東金は線路という交通網に乗り遅れた。最終的にお山には全く触らないように,山から一定距離,離れたところに外房線と総武本線の間をつなぐローカル線を走らせることになった。

一見愚かな住民だし,生活するにも(今現在も!)全く不便でストレスがたまる。しかし大切なものは守られた,と信じている。

とにかくその線路ができて,線路を境に上と下と呼ばれた。神様側を上,田んぼ側を下と呼んでいた。それは住む人の区別ではなく,神様への畏敬の念だった。たぶん線路の位置は,山からみて神域をちょうど出たところなのだろう。。

物質の境は霊的な境でもある。つまり「上」とよばれる地域は神域のようなエネルギーがあり,「下」と呼ばれる地域は下界という「人間の生活する」地域となったのだ。私が感じるくらいだからご先祖さま方は,ビンビンに感じていたと思われる。生家の土地のほうが神聖のエネルギーを感じたし,うちの裏は線路なのでエネルギーを感じるぎりぎりのところだが,踏切を渡るとそのお山のエネルギーを感じられない。ローカルな話だが,谷の人たちは本当に神様と共に寝起きされていると思う。実際,人間の中になにか神様の魂みたいな塊を感じる。


旧道沿い,つまり東金商店街にあった最後の銀行(数年前にATMと建物のみになった)も今月末で閉鎖となり,市内にあるすべての銀行がバイパス側に移る。つまり駅の東口の埋め立て地が東金市街とみなされる。今,東金市は人間の生活する地域が盛んになったということだ。東金に住まう人たちの感覚といわゆる観念が俗世となった。神と人とを別物として生活するようになったのだ。

別離されても,命の真髄は神にある。何があろうと「神に感謝」を真髄に人は生きていくものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?