肉体を脱いで…

たとえ私がこの肉体をなくしても悲しむ人はいないだろう。困る人はいるだろう。次に利用できる人間を探さなければならないからだ。お人好しで他人のために自分の時間も金銭も労力も無償で使いきる人間はなかなかみつからないだろうが,頑張って探してください。とその人たちに言っておこう。

家族には恵まれた人生だった。生まれたときから何でも当たり前のように与えられ,何不自由なく育ててもらった。つれあいは人生を共に歩むことなく天に召されたが忘れ形見を残してくれた。彼との約束も果たし,娘は父親に似て心優しくおおらかな,素晴らしい女性に育ってくれた。

仕事運も恵まれ,東京のど真ん中で好きな仕事をした。その縁でマンハッタンの事務所に出入りすることになり帰国後は英語を子供たちに教え,フラワーデザインの教室を開くようになった。親のおかげでもあり,またご先祖様のご加護のおかげと心から感謝している。

教室の運営だけでなく国際舞台で活動する機会を得たのは天に召されたつれあいが助けてくれていたからだろう。娘の教育も天から支えてくれていた。そして今も娘を見守っているのがわかる。

つれあいとは,何のために花をいけるのか語り合ったが答えは見つからなかった。それが最近,ふとしたきっかけで答えが見つかった。と同時に花から離れていいような気がした。披露するために花を活けるのではなく,花の命のためにそして故人のためにいけるだけで満足するようになった。

多分,彼との人生の終焉だと思う。彼は天にいながら私という肉体を使って花を活けていたのだ。それは逝ってから30年近く経つが,ずっと感じていたことだ。それが彼と共に生きているという実感だったし,彼と共に花を活けているだけで十分幸せだった。けれど,もう彼の花を活けることはない。そして自分だけの道になるのだ。



自分だけの道,それはきっと教育,フラワーデザインに限ったことではなく,子供たちを教育することだ。日本人としての魂を目覚めさせることだ。だから,エセ教育をしている輩に腹が立ち,彼らと同じ場所で子供たちと接点を持つ自分が情けなくなる。

だからこの肉体をもう脱ぎたいと思う。エセ教育者,先生気取りの輩に合わせて子供たちに英語や国語を教えるのはもうまっぴらだ。子供一人一人に才能がある。その才能の芽を出すことなく12歳まで育てられてしまった子が多すぎる。その原因は親や公教育の怠慢だともいえる。

12歳からその芽を出すのは子供にとっても痛くてつらいことだ。かなりの努力と忍耐がその子自身に必要だからで,悲しいことに無理な子が多い。わずかに芽を出そうという意識の子に自称教育者,自称先生が間違った詰込み教育をする。その現場をこの5年間見てきたが,何とかしてやりたくてもできなかった。

本来は6歳までに人間としての基礎を身につけなければならない。それが早期教育だ。遅くても10歳までに学ぶ姿勢を身につける。けれども近隣市町村ではそれは未だに受け入れてもらえない。だからほとんどの子どもたちは公立中学3年生という時期にあくせくしなければならないのだ。そしてそれが終わればまた,今まで通りの生活になる。その状態を出稼ぎ先の塾で見てきた。

私は無力である。子供が本来教育を必要とする時期に手を差し伸べてやれない。それどころか,今まで何もやってこなかった公立中学3年生を進学校に合格させるためにゴーストライターとして指導する役割にすぎない。

本当は,自分の教室で幼稚園生や小学校低学年から指導したい。けれどもそういう教育を受け入れてもらえない土地柄であることは実証済みだ。だから観点を変えて隣町の学習塾に出稼ぎに行ったわけだが,残念ながらさらにひどかった。


フラワー教室を作ったころは父が生きており,つれあいもいた。子育てしながらはたいへんであったが,心強いサポートのおかげで進められた。しかし今,幼児教育から学習指導までの教室をたった一人で行えというのは無理だ。無理なんかじゃない!という声も自分の中にある。けれども,もう勢いだけで進める年齢ではないではないか。それはまた来世にしようと思う。

来世はつれあいに長生きをしてもらって,共に励ましながらたくさんけんかしながら今生の間違いを活かして子供たちを育もう。だからもうそろそろ今生を終わりにしよう。早々にあの世に行って休んで出直そう。もちろんあの世でたくさん反省もして罰を受けてからの話だ。

肉体を脱いでもう休みたい。

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