また一つ、重いものを手放しました

ベッドフレームを手放しました。

大学入学の時に買ってもらったベッドフレーム。

7年間お世話になりました。

家具の寿命的にはちょっと早かったかな。と思いつつ

手放しました。


高さが高いものが減り、圧迫感がなくなりました。

部屋の見た目がすっきりしました。

それと、

昔なんとなくで買ったものだったから

自分で簡単に動かせないものだったから

なくなってみると、なんだかすっきりしました。




決断は思い切り。


私は、自分のことをアダルトチルドレンと強く思っていた時期があります。(今も自分をアダルトチルドレン だと思ってはいます)


「私はいい子。」

本気で思っていました。

だから、親に与えてもらったものを手放すなんてこと考えられない、親に悪い、親が悲しむ、...


でも、

もう大人だから自由に生きていい

らしい。

1度だけ行ったことのあるカウンセラーの方が言っていました。


そうかー

私は大人なんだ。

だから、自分の暮らしに必要なものは自分で選んでいい。

自分でお金をもらっているんだから

本当に必要になったらもう一度自分で選んで買えばいい。

うん。きっとそう。


こう思い浮かんだものの、

正直、「でも...」と何度も思ったので、

上記の思い浮かんだ言葉を自分に何度も言い聞かせながら、勢いで市の粗大ごみセンターに電話。

いざなくしてみると、部屋も心もすっきりしました。

これが世にいう親離れってやつですか?



自分で簡単に動かせないものがなくなると、

「ここにこれがあるならこうするしかない」と、消去法の発想から

「こうしたいからこうする」と、自分の理想に自分で近づけている感じ

こう考えると、つくづく消去法で生きてきたなって思ったり。

あ。つまり、消去法じゃない生き方がしたいんだなって気づいたり。

徐々に、自分で足かせだと思っているものを外している感覚。



インターネットで得た情報ですが、

「アダルトチルドレン」は自己認知の概念なんですね。


「アダルトチルドレン」は、子供本人が自分を定義するときに使う言葉

子供自身が「機能不全家族」だと感じたときに使う言葉

本人が変わろうとしている時に自分自身を定義するときの言葉


といったような表現をされたサイトを見つけたとき、救われた気持ちになったことを思い出しました。


自分を「アダルトチルドレン」と思うことが、今の私の心の支えになっています。

最後まで読んでいただきありがとうございます:)