「英語の再再再・・・学習をするはめになった!」
今年76歳になる。昨年、後期高齢者の範疇に入れられた。
その私が去年の末から英語の勉強を再開することにしたのだ。60歳で仕事を辞めた時に、海外旅行を楽しんだり、若い時から趣味だった映画鑑賞が字幕に煩わされずに観ることができたら、という野望をいただいて、英会話教室に通ったり、スカイプで海外のネイティブに教えてもらったりしたものだ。妻に言わせると大枚をどぶに捨てたということらしいが・・・。
そして、海外旅行は、ほぼ10年間、サバイバルイングリッシュを駆使して十分に楽しむことができた。
私たちは寒い季節が嫌いだったので、冬以外の季節に旅行を愉しんだ。インドに旅したときには、5月がちょうど観光に良い季節かと思って出かけたら、インドでは5月が1年で最高に暑い月だという。タージマハールで43度を体験した。大理石がひんやりして気持ちよかった。暑いところでは石の建築が多いのはそのせいかとも思ったものだ。今年のインドの熱波騒ぎは十分想像できる。
初めの頃は旅行会社のツアーに参画していたが、遠路はるばる外国に行って、ものの1週間かそこらで帰ってくるのはもったいない気がして、そのうち自分たちでホテルを予約して出かけ始めた。
ヨーロッパはユーレイルパスを使って列車の旅を愉しんだ。1つの大きなスーツケースに二人分の荷物を詰めての旅だった。外国の列車はプラットホームからかなりの段差があるが、それを力任せにスーツケースを持ち上げて旅を続けた。だから、予約するホテルは駅の近くに取った。あるホテルではフロントでスタッフと口論になった。私は大阪弁混じりのサバイバル英語で声を張り上げて自分の思いをぶっつけた。私の怒りは通じたようで、次の日からスタッフの態度がずいぶん改まっていた。そんな経験も今となっては懐かしい。
印象に残った旅としては、春先にオランダを出発してドイツ、デンマーク、スエーデンと旅したときのことだ。オランダでは、チューリップが満開の畑の中を自転車でツーリングをした。ヨーロッパ中が花の季節に突入していたのだ。滞在したどの国でも街中でよく見かけたのだが、桜によく似た花の満開の時期になっていた。その花の開花前線を追うように北上した旅になっていた。行く先々で、桜?が滞在する街を彩っていた。一月足らずの旅行だったが、列車を使って精力的に北ヨーロッパを旅した。特にドイツ北部は鉄道を使って観光客の全くいない土地の人だけが暮らす田舎までくまなく旅をした。
また、アブナイ綱渡りのような旅もあった。ミュンヘンからオーストリアのザルツブルクに行って3日滞在して、再びミュンヘンに戻って、午後1時発の列車に乗ってイタリアに行く旅を実行したときのことだった。ザルツブルクを早朝に発つために車に乗り込んでナビをミュンヘンにセットしようとしたら、いくら入力してもパリ郊外にある街しかセットできない。スタートすることができず、その場で長い時間焦りまくった。が、そのうちナビが示すルート上にミュンヘンを通ることに気付いた。それでナビに従って行って、ミュンヘンで降りてからまたナビを入れ直そうと考え直して出発した。アウトバーンに入ったら濃い霧が立ちこめていて、行きに見えていたきれいな景色が全く見えなかった。約150キロの間、濃霧に覆われていた。前を走る大きなトラックのテールランプを必死で見ながら運転した。やっとの事でミュンヘンを表示するプレートが見えたので、そこで降りてガソリンスタンドで給油しながら再度ナビを入れ直した。するとミュンヘン中央駅を案内してくれたので無事にレンタカーの案内所に行き着くことができ、イタリア行きの列車にも乗ることができた。そんな状態が10年ほど続いた。
最後に妻のたっての希望であった赤毛のアンの故郷カナダ東部のプリンスエドワード島に行って一週間、レンタカーで動き回った。そこからケベック、トロント、ナイヤガラと東部を旅し、さらにバンクーバーで3日滞在した。カナダで3週間滞在して、日本に帰るために空港に行く日ホテルの朝食を食べているときに「ああ、もう十分堪能したな」と思った。
そこからぷっつり海外には行かなくなった。(本音は金が続かなくなったこともある)
しかし、ネイティブの人たちと細かい深い会話をするほどの能力は当然?身に付かなかった。ましてや、映画を字幕なしで観ることなど到底無理。
全く英語とは縁が切れてしまっていた。ほぼ同時にパスポートも期限切れになってしまった。
ところが昨年12月の初めにテニス仲間からホームパーティに誘われて、妻と二人で友人の自宅に出かけた。そこには南米からの留学生のドリアン君がいて、英会話教室の生徒であるガッキーと陽子さんも参加していた。友人と彼の夫人は海外赴任が長く、現地で家庭教師を付けて英語の勉強をしていて、語学が何より好きという夫婦だ。今、自宅などで英語教室を開いている。それで、私たちが参加したホームパーティは英会話の練習の一環だったらしい。
しかし、私の英語力はさび付いているし、妻に至っては海外に行ってもほぼしゃべっていない。そこで、私は「日本に来た留学生は、日本語と日本の文化を覚えて帰ってもらわないといけない」という理由を付けて、日本語で通して、その留学生にも日本語で話させて、おかしなところを妻が訂正するということで会話を進めて行って、事なきを得た。ガッキーと陽子さんは不満だったかもしれないが。
ところが、翌週から生徒向けの英語のレジュメがメールで毎週送信されるようになった。
教材はNHKのテキストだ。それで私は仕方なしにテキストを買い,NHKのアプリをダウンロードして1週間遅れで、その番組を聞くようになったのだ。
この歳になっても忙しく、一日のうちで余分に時間が取られるのが辛いのだが、認知症に抗して頭を鍛えることになると思って、今全身を耳にして英語を聞き分けようとしている。
ボイス・オブ・アメリカの初心者向けの放送をアプリで時々聞くようにもなった。
英語に再び浸かり始めて半年になる。当然、効果は全く出ていない。そして、これまで習慣だった読書、執筆活動が全くお留守になってしまった。
私のハードディスクには、私の半生のデータが入っている。その量は2テラもある。これもあの世に行くまで整理しておかないといけないデジタル遺産だと思っている。少なくとも私の半生の生きた証を形あるものにしたいと熱望している。このままの状態で終末を迎えれば、ハードディスクはそのまま機械ごと処分されるか、初期化されて再利用されるかの運命にあるものなのだ。残りの人生を考えるとまだまだ読みたい本、読むべき本が山ほどあって時間が足りないと思っているのに、さらに時間を潰して新しいことを始めるとは、一体何をしているのだという焦りを少し感じているところだ。一つの技術をマスターするには最低1000時間かかるという。一日1時間なら3年掛かることになる。それでも1年は続けないと目に見える結果は認識できるかどうかと思う。が、人生のゴールはすぐそこに迫っている・・・!
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