「沖縄慰霊の日」と「ひめゆり学徒隊」

 6月23日は太平洋戦争末期の沖縄での戦闘が終了した日で、この日を「慰霊の日」と定め、今年も戦後79年目の式典が執り行われた。高校生が詠み上げた自作の詩が鮮明に輝いていた。
 NHKでも、番組で「ひめゆり学徒隊」のことを取り上げていた。「ひめゆり学徒隊」とは、沖縄女子師範学校と沖縄第一高等女学校の生徒が一緒になって、看護要員として戦場に趣くことになり、総勢222名の内半数以上が沖縄戦で犠牲になったのだ。
 その中で、印象的だったのは、 沖縄女子師範学校の西岡一義部長は、自由な発想で教える教師は左遷したり、戦地に送ったりし、生徒たちには、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」と捕虜になるより死ぬことを選べ、と常々生徒たちには説いていた。しかし、いざ沖縄戦が始まると生徒たちはひめゆり学徒隊として戦地に趣くのに、自分は裏工作して軍隊の司令部付きになって、戦地には行かなかった。沖縄戦末期、沖縄南部に追い詰められた生徒たちは最後に崖から海に飛び込んで自決したりして自ら命を絶つものが多くいた。
 しかし、西岡は捕虜になって生き残り、戦後、東京学芸大学の教授になり、その後一度も沖縄を訪れることがなかったという。
 こういう連中が戦後、日本の中枢に数多くいたことだろう。
 

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