「アフガン救出」

 8月26日にバス20数台を連ねて空港に向かったが、ISのテロが勃発して計画がとん挫した、ということで、一日早かったなら、と運の悪さが強調された。しかし、実態を調べると、そうではないこと判る。
8月、バイデンがアフガンから撤退すると表明し、日本を含む各国はアフガンからの撤収に追われた。タリバンが首都を制圧したのが15日。まず、日本には2つの壁があったということだ。それは、避難対象に大使館や関係する組織の現地スタッフとその家族を加えることの是非について議論があった。JICAでは長年共に働いてきた現地雇用者らに命の危険が迫っているとして、その家族も含めて可能な範囲で国外に退避させる方針を早期に立てていた。さらに日本への元留学生や、研修を通じて能力向上に協力してきた現地の女性警察官らの安全を確保するために様々な方策を検討していたという。
 日本大使館員は17日に英軍機で避難した。各国は現地関係者も含めた避難オペレーションを急いでいた。現地関係者には前政権との関わりで邦人以上に身の危険を感じる人が多いのだ。
2つ目が、避難に使うのが、民間機か自衛隊機か米軍機かという問題だ。JICAの北岡伸一理事長が18日に岸信夫防衛相に面会した。菅首相が外務・防衛両省や国家安全保障会議幹部を集めたのが22日午後。避難するアフガン人にも日本での在留資格を与えること、自衛隊機を派遣することが決まった。
だが、時すでに遅し。失敗したのだ。

米大統領バイデンが既に7月8日に8月末までの米軍撤退を発表していた。その直後から米国や欧州主要国は準備を急いでいた。日本政府が退避策の本格検討に入ったのは、8月4日だ。欧米主要国は、カブール没落後に軍用機を送り込んだ。米国は12万人超、英国は1万5千人超、独仏やイタリア、オーストラリア、カナダも約3千~5千数百人を退避させた。(当然アフガン人を含む)
 アジア諸国でも、インドネシアは8月20日に空軍機を送り、アフガン人を含めた33人を救出。韓国も25日までに現地スタッフと家族ら約390人を出国させた。これに対し、日本はカブールに自衛隊機を送り、現地職員を救う手はずを整えたのが8月26日だった。自爆テロが起り、計画がとん挫した。
これは、単なる一日遅かった、という話ではない。そもそも本格的な検討に入るのが遅すぎたのだ。
 現地スタッフだけではなく、JICAの研修プロジェクトで来日し、学んだ元留学生など、これまでに約600人が参加し、現在、アフガンの省庁などで活躍する幹部もいる。タリバン政権下では、外国の協力者として報復を受ける恐れもある。だから、日本政府が責任を持って、海外に救出すべきアフガニスタン人は1000人以上いるのだ。それをどうするのか。今後の日本の国際的な地位にも関わってくる問題だ。

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