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「赤木ファイルが存在した」

 公的機関のつくった文書、集めた資料類は、すべて国民の財産だ。それを日本政府は、これまで、江戸時代の大衆支配よろしく「寄らしむべし、知らしむべからず」という態度で、公文書の公開にあたっては処してきた。その端的な例として「赤木文書」があったのだ。国家公務員であった赤木さんが作った資料は、決して、官僚の裁量に任せて処分されるものではない。全て、国民の眼に触れるところに晒さなければならない。それが重大な国家機密でない限り。これまで国の情報公開の対応は、常に後ろ向きで会った。
5月8日の朝日新聞の天声人語では、
「主権者たる国民の求めに応じて、国が行政文書を公開する。そんな情報公開法の施行前夜だった2000年度。多くの省庁が異常な量の文書を廃棄していた。法の施行をにらんだ「駆け込み廃棄」だったとみられている▼NPO法人の情報公開クリアリングハウスがその後、明らかにした実態である。財務省や環境省の廃棄量は前年度の2倍を上回り、農水省は21倍。文書の存在を消せば、求められても公開しようがないというわけか▼それから霞が関では「問題になりそうな案件は文書で残さない」との不文律が広がったように思う。」と言っている。
 この情報公開法は、日本各地で住民の情報公開を求める運動が広がり、地方自治体が先駆的に情報公開条例を制定し始めたので、国が渋々作った法律なのだ。
 だから、官僚は、国民に見られては困るそれまでに作成した文書類を大量に廃棄してしまったのだ。まるで、第二次大戦後の日本のように。1945年8月15日から日本中の役所で書類を焼く煙が何日も絶えなかったという。それと同じことが行われていたのだ。
 法律を作ったからといっても、国の姿勢は一向に変わらないまま、今に至り、財務省で、安倍首相の国会での「私自身や妻の関与があれば、総理も国会議員も辞める」という発言に辻褄を合わせるために、森友関係の公文書を大量に改ざんした事件に繋がっていったのだ。

 5月6日に、国は、赤木文書の存在をやっと認め、非開示部分を最小限にとどめ、公表するとした。まだ、出し渋っているのだ。さらに実際に開示するのは、裁判所での次の口頭弁論の日だという。6月23日だ。何年も隠匿した国民の財産である赤木文書を、この期に及んで、さらに公開を一月以上も引き伸ばすのだ。また6月23日と云うのは、通常国会が6月16日で終了するので、国会で疑惑追及の材料にされないことを見越しているのだ。本当に日本の官僚というのはアザトイ。
 この事件は、結局、検察が、立件できなかったのだが、国民の大半は、「おかしいな」と思っていたはずだ。安倍夫人や政治家の姿を事件の裏に見たはずなのだ。
 司法の場では、違法性が証明できなければ訴えないのだが、しかし、政治の場では、違法ではないが不当である場合は、追及しなければならない。この事件は、明らかに不当であろう。国の用地が、8億円の値引きをして、右翼的な教育をしている人物に売り渡されたというのは、明らかに不当だ。このことを論うのが政治ではないのだろうか。
 この際、この赤木文書の公開をきっかけに国の情報公開の在り方を根本的に変える議論を国会でなされるべきであろう。

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