「アフガン政権崩壊:民主主義の有りよう」

 8月15日、アフガニスタンのガニ大統領は隣国タジキスタンに出国したと言うニュースが流れた(後日、UAEへ家族とともに脱出したと言うことだった)。米国バイデン大統領が8月末でアフガンを撤退すると発言したのは7月8日だった。撤退するまではアフガニスタンの政府軍は国内を維持できるという思いだったのだろう。しかし、アフガン政府は、腐敗に満ちていて、その政権を維持できる体裁は整ってはいなかったと言うことだ。アメリカはイラクでも同様のことをして、失敗をしている。
  フセイン大統領を倒して、選挙を全国で実施し、一挙に民主的な政府を樹立しようと考えた。しかし、その結果、元々少数派のスンニ派のフセインが支配していたイラクで、選挙をすれば、多数派のシーア派の候補が勝利するに決まっている。その結果、スンニ派は、各地で公職から追放され、冷遇を受け、遂にはISという形で、イラクとシリアの間に別の支配地域を作り上げる以外になくなったのだ。そのことを理解せずに、選挙をすれば、機械的に民主的なシステムが産まれると考えていたアメリカ主導の権力はオメデタイとしか言いようがない。
  アフリカでも、選挙の度に流血の惨事が展開する。アフリカなど開発途上国は、部族支配が地域のシステムとして成り立っている。そこに選挙という制度を持ち込めば、部族対立の構図をそのまま選挙に当てはめることになり、選挙の結果、対立部族の候補が大統領になってもそれを認めることはできず、流血の争いになる。だから、そのような国に開発援助を行っても、金や物資は横流しされ、有力者の懐に入ったり所属する部族に流れるなどになるのだ。そして、それぞれが武器を持つために部族間のジェノサイトも頻々と起るのだ。
  アフガニスタンでも、結局、地域の部族の集合体で地域が構成されていて、中央政府の支配が末端にまで及ぶことはなく、開発援助もご多分に漏れず、あちこちに漏れ出していったのだろう。
逃亡したガニ大統領が、空港まで現金を満載した車を何台か横付けして飛行機で飛び立ったという噂はそのことを象徴している。ことほど左様に、開発途上国で間接民主主義のシステムを導入するのは困難なのだ。
北ヨーロッパを旅すると、古い街の中心には必ず立派な市庁舎が建っている。建設されてから何世紀も経て、現在も使われている。その中には、格調高い設えの議会が存在し、様々な市民生活に必要なことが議論され決定されている。そのシステムの歴史は古いもので千年の歴史があるという。それだけの年月を経て、やっと定着させた代議制民主主義のシステムなのだ。
  新たにそのシステムを吹き込むためには、まず地域住民の識字率を高め、ある程度の教育を受けることが必要になるだろう。粘り強い訓練も必要となる。

  リビアでも、権力者のカダフィを倒して、民主的な政府を、という思いで欧米が軍事行動を主導した。しかし、カダフィ亡き後、今では、内戦状態が継続し収拾付かなくなっている。
まだ、民主主義が未熟な国では部族対立、宗教的ないがみ合いなどを抑え、国中に一定のシステムを保証するためには、強大な権力が必要な状態なのだろう。そこから、一挙に民主主義を導入するには、国連などの監視と粘り強い教育などによって、民度を急速に向上させることが急務なのだ。
  アフガニスタンでは、せっかく20年もあった時期に、このことを成し得ず、部族間の政治に委ねてしまった結果、再び、タリバンがカブール制圧という事態を招いてしまったのだろうと思う。
   以前から思っていたことだが、民主国家を樹立するには、多くの年月と教育が必要なのだ。それを武力で平定して、一気に作り上げようとしてもダメだというのは、歴史が証明している。

   それは、この日本でも同様なことが云える。日本では、民主主義的なシステムが全国民対象に適用されたのは、第二次大戦後なのだ。まだ1世紀にもなっていない習熟途中のシステムなのだ。だから、不断の努力が求められる状況なのだ。


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