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荒野を駆けるこの両足で/2022年と2023年の間に

語りを聴きながら端々にどうしようもない社会や地域の矛盾を感じて、しかしそれに応える力になれない時。みんなのため、あなたのためという名を借りて、身近な人をおざなりにしてしまう時。目の前の自分の大切な人を、傷つけてしまう時。

喝采を浴びる学生と、幾度も訪ねてくれる若者と、一緒にやろうと声をかけてくれる地域の人と、これが一番いいやり方と信じて精一杯働いてくれる職員と、事例を話して欲しいと呼んでくれる方々、そんなふうなみんなと、話す時。

今日と明日、昼と夜の間で、矛盾した自分自身に気がつきながら、それが役割だと思い込もうとする時。

いろいろな狭間で、慌ただしく、焦って過ごしてしまった1年でした。
そんな中でも、わたしと一緒に仕事をしたり、お祝い事をしたり、野山で過ごしたり、考えたり、食べたり、話したりしてくれたみなさま、本当にありがとうございました。

何回だって言うよ 
世界は美しいよ
君がそれを諦めないからだよ
最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ 
君のまま光ってゆけよ

『光るとき』羊文学

アニメ『平家物語』は2022年に鑑賞したすべての作品の中で忘れられない作品でした。オープニングテーマの羊文学が、何回だって世界は美しいと歌ういうフレーズを、何度も聴きました。

世界は美しい、それは、何回だって言わないと、そのことを私たちは信じられない。

だって、本当は美しくない、物語も、家族も、社会も。

アニメーションで描かれるのは、咎を引き受けるべくして引き受けた、平家の物語です。なにもそこまで…と思う敗走や屈辱を、話を重ねるごとに、一身に引き受けていく一族が、無惨に滅んでゆく物語です。その伏線には、盛者としての欲望や驕りが下敷きにあり、ただただ純粋に歴史の被害者と見ることもできない。世の中に矛盾や理不尽を振り撒いていたのは、つい数年前まで平家の側だったからです。

壇ノ浦、関門海峡に旅行に行ったのは2017年だった(その時は平家物語に興味がなかった)

物語の舞台となるのは、京都や瀬戸内海の景色です。
六波羅も、福原も、壇ノ浦も、大原も。どの景色も、とても美しい絵のタッチで描かれています。美しい景色が描かれているからこそ、どうしようもなく残忍な人々の姿が浮かび上がります。政略結婚、寺院の焼き討ち、首を斬り斬られる者達、幼児に入水を強いる一族、父と兄弟、子供を失ってなお独り残される母。あああ、世界は本当に、美しくない。

今年は、大原行幸の舞台・建礼門院徳子の滞在した寂光院に旅行しました。

それでも、滅びゆく平家の中にある愛情や実直さを、アニメーションを通じて描いた作品が『平家物語』だったと思います。清盛の先見性、重盛の礼節、維盛の責任感、徳子の慈愛。敗戦と屈辱、血で汚れた歴史の中にあるわずかな美しさに希望を感じて、語り、祈り続けた人がいたことを物語が伝えてくれます。羊文学は、何度でもリフレインして歌ってくれます。

本当は美しくないこの世界だけども、その中にある美しさを諦めない。

今だけは、過去になにがあろうと、今目の前のことに実直であれよと歌う歌詞は、重盛や徳子、維盛の姿に重なり、自分の矛盾を感じる自分にも重ねて聞いてしまいました。

何回だって言うよ
世界は美しいよ
君がそれを諦めないからだよ
混沌の時代に
泥だらけの君のままで輝きを見つめていて
悲しみに向かう夜も
揺るがずに光っていてよ

『光るとき』羊文学

残念ながら、とてもではないのですが、諦めたり、矛盾したりしている自分ですが、いまは美しくなくとも、今できる目の前のことは諦めない。

語りを聴きながら端々にどうしようもない社会や地域の矛盾を感じる時
みんなのため、あなたのためが必要だと感じる時
目の前の自分の大切な人を、大切にしたい時

そういう場面で、揺るがずにいる自分で居たいです。

世界も、社会も、家族も美しいと、言いたい。
自分自身もそう言いたい、そう思えない人を手助けしたい。

2022年の1年間、皆様私を支えてくださり、本当にありがとうございました
何回でも、来年も頑張ろうと思います。どうぞ2023年も、よろしくお願いします。

ちなみに『光るとき』、親友の結婚式でも親友が流していて、これから色々なことがある旅路の区切りの日に流すとか、まじ本当に最高だなと思いました。上記、個人的な勝手な思いを吐露して申し訳ない…が、門出の素晴らしい日に招いてくれたことを心から嬉しく思っています。これも2022年の忘れられない出来事です、ありがとう。

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